障害者も高齢者も病院や施設ではなく、地域で暮らす「在宅福祉」が広まる中、東日本大震災は起きた。災害時、自力で避難できない人たちをどう救い出すか。「福祉防災学」を提唱する同志社大の立木茂雄教授(57)に聞いた。
−率先避難者が増えれば、要援護者が置き去りにされないか。
率先避難は、自分が逃げることで周りの人も逃げるように同調させ、命を救う行動だ。他人を見捨てる考え方ではない。いち早く要援護者を連れて逃げることも、率先避難の一つだ。
災害時は行政による「公助」が機能しなくなる。平時に地域で要援護者避難対策を準備しておくべきだ。障害のある人やお年寄りがどこに住んでいるか隣近所で把握し、助け合えるか。行政も責任を持って、地域の要援護者を自治会や民生委員、企業など関係者と橋渡ししてほしい。
都市部は隣近所の顔を知らないのが当たり前。だが東日本大震災の教訓から、生きるため考え直してほしい。東北の沿岸部は伝統的な地域社会が残り、要援護者対策を進めていた地域でもあった。八幡町の防災ネットワークは代表例。寝たきりや障害のある要援護者はリストがなければ助からなかった。
−東日本大震災で障害者の死亡率が健常者よりも高かった。
一概に高かったわけではない。宮城県は高かったが、岩手、福島県は健常者とあまり変わらなかった。なぜか。宮城は、重い障害のある人も施設に入所せず地域の自宅で暮らす「在宅福祉」の先進地だからだ。
施設の多くは内陸にあり、避難の必要がない。沿岸にあっても高台に避難させる介護スタッフがいた。一方、自宅の障害者は助けてくれる人がいなくて、犠牲になる例が多かった。
在宅福祉は、障害者も健常者も同じ地域で生きる「ノーマライゼーション」の考えに基づき、日常的には意義がある。だが、非常時に障害者を避難させる態勢が整っていないことが露呈した。
東海地方は障害者団体の活動が活発で、宮城以上に在宅福祉が進んでいる。一般の人も自分の家の近所に、重い障害がある人が暮らしている。あるいは、家族や自分自身がいつか要援護者になるかもしれない。人ごとではないとしっかり意識して、支援者になることを考えるべきだ。
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