仲田順和師が醍醐派の宗議会で説明した岩間寺の住職に就任した理由のひとつが混乱している岩間寺の建て直し≠ナした。しかし、仲田順和師は龍空住職在任中はおろか、その葬儀にも、またその後、住職に就任後も一度も岩間寺に来ておらず、岩間寺が混乱しているかどうかなどわかる筈がありませんでした。現在も同様です。 岩間寺の住職の地位を奪って最初に仲田順和師が来たのは、その約二年後の、平成21年3月7日の一時間ほどだけで、長瀬福男広報室長、清水紀尚出版局長、田村照晃教学部長(いずれも醍醐派の役職)、仲田順英師などを引き連れての、職員などに対する説明の時でした。それまで岩間寺に来なかったのは、副住職などが不法に占拠していた為来られなかったのだそうです。この時に檀家も出席させるように強く申し入れましたが、仲田順和師に拒否されました。(職員は騙せても檀家は騙せないからです。) 当日は本堂まで車で乗り付け、周りを囲まれるように建物に入り、用件が済めばそそくさと帰って行きました。(その説明も嘘で塗り固められたものでした。)その後も数回、身を隠すように数十分訪れるだけで、まともに住職として本尊に手を合わせたことはありません。 そして、現在に至るまで職員・檀信徒が住職としての仲田順和師を見たことはなく、未だ顔すら判別できずにいます。 以前女性同伴でお忍び≠ナ来山し本堂に入り、参拝態度が悪いことを手伝いに来ていた出入り業者に咎められたこともありました。 どの世界に檀家が住職の顔の見分けがつかない寺がありましょうか。 |