大技で「銀」女子に変革 2013年8月1日 読売新聞朝刊 15歳の時、練習で初めて大技を決めた伊藤みどりだったが、その代償は大きかった。 着氷時、約250キロの負荷がかかるとされる右足首や、腰を何度も故障した。 けがで練習できないことがT付き、「もうあきらめようか」と弱気になった。 そんな気持ちを再び大技に向かわせるきっかけになったのは、18歳で迎えた1988年のカルガリー五輪だった。 2大会連続金メダルに輝いたカタリナ・ビット(当時、東独)は、ミスのない美しい滑りながら、3回転ジャンプは2種類だけだった。 伊藤は5位に終わったが、5種類の3回転を跳び、フリーの技術点は1位。 この結果から、「私の武器はジャンプだ」と、覚悟が決まった。 〔中略〕 「チビで太っていた私に、優雅さや美しさは急には出せない。 でも、得意なジャンプを跳ぶことで、世界に認めてもらえると思った」と、伊藤は笑顔で振り返る。 男子顔負けの高難度ジャンプを次々に成功させる伊藤の登場は、女子フィギュアを「芸術」から「スポーツ」に大きく転換させた。 2004年には日本人初の世界フィギュア殿堂入りを果たした。 ……。 ----------- カルガリー五輪、すごく印象に残っています。 5位に終わったと言うけれど、私としては「見事5位に入賞」という記憶でした。 お客さんたちも大歓声でスタオベしてくれて、はじけるようなみどりちゃんの笑顔が目に焼き付いています。 このときみどりさんが演技中にジャンプを決めてガッツポーズしたことが批判もされましたが、 私は、スポーツなんだからいいじゃないかと思ったものでした。 ま、振り付けとしては減点でしょうけどね(笑)。 ただ、だからといって「芸術」でなくなったわけではないんですよ。 見る者はやはり芸術性や優雅さ、美しさも求めています。 どちらかではなく、「芸術性のあるスポーツ」であってほしいと、私は思います。 ただ、美しさというのは1種類じゃない。 ビットの演劇系の表現は確かに美しかったけれど、みどりさんのジャンプもスピンもそれ自体美しかった。 そして真央ちゃんは両方を持っている。 それはそれぞれの個性でいいと思います。 |
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