横浜市内の下水処理場で発生した汚泥のリサイクルを手がける「南部汚泥資源化センター」(横浜市金沢区)----。巨大なタンク群や焼却施設が立ち並ぶ一角に、下水汚泥を焼却してできた灰を収納したコンテナが2段重ねでびっしりと積まれている。
「このままでは来年3月末には焼却灰の置き場がなくなる。ハラハラしながら業務を続けている」。施設を案内しながらこう話すのは、横浜市環境創造局下水道施設部の野村茂・南部下水道センター担当課長だ。
コンテナは1日に3基ずつ増えていき、取材で訪れた5月9日には1500基に達していた。横浜市によれば、現在、汚泥焼却灰は南部および北部(鶴見区)の資源化センター合計で約2万5500トン(6月末現在)も存在し、コンテナの数は約2000基にのぼるという。
わずか5日で撤回された、埋め立て計画
東日本大震災以前に、全量がセメント原料や土木工事の改良土として用いられていた下水汚泥焼却灰は、「リサイクルの優等生」とされてきた。それが「厄介者」に一変したのは、福島第一原子力発電所事故がきっかけだった。首都圏にも放射性物質が降り注ぎ、下水汚泥焼却灰に濃縮された。ピーク時の2011年5月19日には北部センターの汚泥焼却灰から1キログラム当たり1万3056ベクレルの放射性セシウムが計測。南部でも同6月16日に、6468ベクレルの最高値を記録した。
こうした中で、11年5月下旬にはセメント会社が汚泥焼却灰の引き取りを拒否。やむなく横浜市は、専門家による安全性評価を踏まえたうえで海面の廃棄物処分場への埋め立てに踏み切ろうとしたが、突然の話に周辺住民や処分場の跡地利用を予定していた港湾業者が猛反発。林文子市長が謝罪するに及んで、埋め立て計画は公表からわずか5日でとん挫した。11年9月14日のことだ。
以来、焼却灰の埋め立ては「凍結状態」(小浜一好・横浜市環境創造局下水道施設部長)が続き、行き場を失った焼却灰がコンテナ保管の形で増え続ける形になっている。
凍結宣言から2年近くが経過した今年8月6日、汚泥焼却灰の埋め立てに反対してきた港湾業者や地元町内会、市民グループ、漁協支部などが一堂に会して「港の安全を守る連携懇談会」を発足。25日の横浜市長選挙を目前に、「関係者一同を集めた検討会の開催」などを求めて行動していく方針を決めた。
住民や港湾業者団体、市民グループが反対姿勢を貫くのにはそれぞれ理由があるが、ともに問題として挙げているのが「8000ベクレル以下であれば埋め立て自体に問題はない、とする市の姿勢」(大谷賢治・ハマの海を想う会政策部長)だ。
東日本各地の下水汚泥から高濃度の放射性物質が検出されたことを受けて国が11年6月16日に示した「考え方」では、放射性セシウムの濃度が1キログラム当たり8000ベクレル以下の汚泥焼却灰を埋め立て処分したうえで跡地利用する場合には、個別に安全性を評価したうえで、長期的な管理の方針を検討していればよしとされた。この考え方は放射性物質汚染対処特別措置法が全面施行された12年1月以降も変わっておらず、横浜市の処分方針も国の考え方を踏まえたものだ。
ところが、地元住民や港湾業者にとっては、埋め立て処分そのものが「寝耳に水」(岩村和夫・本牧・根岸地区連合町内会会長)に等しいものだった。
11年9月15日の埋め立て開始を前にした8日の晩、岩村氏の自宅に突然、市役所の担当課長から電話がかかってきた。「急を要する話がありますので、明朝9時にご自宅にうかがいたい」。怪訝に思った岩村氏だったが、翌日その内容を知って腰を抜かさんばかりに驚いたという。
「実はこれまで放射性物質を含んだ汚泥焼却灰を、2700トンほど保管してきました。安全が確認されたので、9月15日以降に南本牧廃棄物最終処分場で埋め立てを開始します。ついてはご了承を願います」
市の担当者の説明を聞いた岩村氏は、「ちょっと待っていただきたい。8000ベクレルと言われても、何のことかわからない。賛成反対以前の問題だ」と抗議した。
港湾業者も反対を表明
同時期、運送会社や倉庫会社など約250社で構成する、横浜港運協会(藤木幸夫会長)にも、下水汚泥焼却灰埋め立ての話が舞い込んできた。報道機関向け発表前日の9月8日に港湾局の担当者が突然、協会にやってきて、「南本牧最終処分場の件ですが」と切り出した。「焼却灰を新たに投入したい。安全なものなので承知してください」と市の担当者は語ったという。
応対した水上裕之・横浜港運協会企画部長は、その話を聞いて絶句した。「市が作成したペーパーを読んでみると放射性物質を含む焼却灰だという。
「『本当に大丈夫ですか』と聞いてところ、きちんとした説明がなかった」(水上氏)。そして「今まで灰はどうしていたんですか」と水上氏が問いただしたところ、「原発事故後、セメント会社が受け取ってくれずに困っている」との説明があった。そこで水上氏が「安全だというのならば、セメント原料として引き取るはずなのでは」と尋ねたものの、ここでも明確な答えはなかったという。
それからわずか6日後の9月14日、林市長自らが協会に駆け込んできた。
「会長、ごめんなさい。埋め立ては凍結します」と林市長。自身の後援会長でもある港運協会の藤木会長を前に、林市長は「説明不足」を詫びた。下水汚泥焼却灰をめぐる問題について、それまでの間に林市長と藤木会長の間に意思疎通はなかったという。
このように横浜市は当初からつまづいた。その後、住民向けの説明会や施設の見学会、横浜港運協会との勉強会など、関係者との協議を重ねてきたものの、いまだに一致点を見出すことができないでいる。
市は「国の考え方は妥当」と住民に説明する一方、国には神奈川県や県内のほかの自治体とともに「緊急要望書」を11年11月1日付けで提出している。そこでは「日々増え続ける汚泥焼却灰に県民から不安の声が上がっている」こととともに、「1キログラム当たり8000ベクレルの『比較的低濃度』の汚泥焼却灰についても国が具体的な処分方法を明示し、国の責任で最終処分場を確保すること」「処理に当たって安全性が確保される基準値を法令で定め、国が示した基準に基づく処分の安全性について国民に十分な周知を図ること」などが述べられている。
しかし、国は「8000ベクレル」を金科玉条とする一方で、実効性のある対策が打ち出されないまま現在に至っている。
前出の水上氏が厳しい口調でこう語る。
「かつてアスベスト問題では、われわれ港湾事業者や労働者は、国がいっている『安全』を信じてひどい目に遭った。今回の原発事故でも外国の貨物船が横浜港への入港を避ける動きが相次ぐなど、風評被害で大変な苦労をした。そうした苦い経験があるうえ、放射能で汚染された焼却灰が埋められた跡地が安全だとの確信が持てない以上、埋め立て処分を容認することはできない」
問われる林市長の指導力
原発事故から2年半近くが経過する中で、汚泥焼却灰に含まれるセシウムの濃度は確かに下がってきている。8月1日のデータでは、北部センターの汚泥焼却灰の濃度は1キログラム当たり604ベクレル、南部センターのそれは494ベクレルに低下している。しかし、横浜港運協会が主張する「(再利用の基準である)1キログラム当たり100ベクレル以下」にはほど遠く、セメント会社もいまだに引き取りを拒否している。
廃棄物問題に詳しい森口祐一・東京大学大学院教授は、「1キログラム当たり8000ベクレルでの線引きは、原発事故後に汚泥処理が立ち行かなくなる中で暫定的に決められたもの。ワーストケースを想定した場合の被曝量から導き出されたものの、決定過程がわかりにくく、不信感が残った。事故以前からの再生利用の基準と比べた場合に基準緩和に見えるうえ、全国一律の運用でよいのかどうかの議論はなされなかった」と指摘する。
「国の安全基準は満たしている。住民の皆様にはご理解いただくしかない」(市担当者)というだけでは、解決の糸口を見出すのが難しい。人口380万人の巨大自治体を束ねる林市長の指導力、そして住民や事業者との対話能力が問われている。