ロバート・アルトマンは、大戦中、戦闘機パイロットとして前線で日本軍と戦っている。戦後、企業のCF番組を手がけながら金をため、50年代から独自のドキュメンタリー短編を撮りはじめる。
“裏切り者”エリア・カザンの『エデンの東』は、同じ“裏切り者”エドワード・ドミトリクの『駆逐艦ケイン号の叛乱』と同じ年、1954年公開。主演はジェームズ・ディーン。アメリカの大農場が舞台である。そしてその元となっているのは、またしても、旧約聖書のカインとアベルの物語なのだ。楽園エデンを追放されたひとびと。愛される兄と疎んじられる弟。ディーンは「さすらう者」カインとなり、孤独に叛乱し、おのれの出生の秘密を探求する。
二人の”裏切り者”が、同時に”カイン”の物語を語ろうとするということ。
『エデンの東』でカインを演じたディーンは、その翌55年、24歳の若さで帰らぬひととなる。
アルトマンの最初期の作品、57年の映画『ジェームズ・ディーン物語』はその名の通り、ディーンの伝記である。短い叛乱の人生を緊密なドキュメンタリーとして描いた。同時に、彼がディーンを通して見ていたのは、その映画人生を開始しようとした時代に目の当たりにした、裏切り者たち、叛乱者たち、カインたちの悲劇に他ならない。つまり、アルトマンはハリウッドの歪みのただなかをまなざし、出発したのだ。
その後アルトマンは、その才能を見込んだヒッチコックの推薦でTV映画シリーズに携わる。そして自らの映画プロダクションを設立、配給会社との契約は一本ごとに行うというインディペンデントの姿勢でもって、他のどんなハリウッド映画とも異なる、奇妙な居心地の悪さを発露する作品を創り続けていく。
彼の映画では、いつだって運命に縛られた世界を突破しようと、烙印を押されたカインたちがもがく。世界としてのハリウッド、ハリウッドとしての世界に対する、アルトマンの尽きせぬ悪意が、そこには顕れている。その最初の頂点となるのが、70年の『マッシュ』だ。この世界の表象としてのベトナム戦争を、たどたどしいユーモアで笑い飛ばし、戦場を描かずに戦争を射抜いた。そしてそれはカンヌ映画祭でグランプリを受賞する。ハリウッドで異物とされた監督は、遠いヨーロッパの地でようやく理解されたのだ。
しかし、その叛乱は摘み取られる。
80年、ディズニー製作のもとアニメ『ポパイ』の映画化。悪者プルートから恋人オリーブを守る正義のポパイ。アメリカを象徴する”水兵”ポパイ。ところが、アルトマンが実写化であたかも悪意をこめるかのように薄っぺらのリアルで再現したそのファンタジーは、無気味なフリークスの世界に他ならなかった。もちろん、映画は記録的な赤字を記録し失敗、アルトマンは危険視され、ハリウッドから追放される。以降、およそ10年にわたって、インディペンデントで低予算映画を創り続けることになる。彼もまた烙印を押され、「さすらう者」となるのだ。
ところが、メジャーの意向から離れた場所での映画たちは、最低限の書き割りのなか、緊密でミニマムな演劇的空間のなかで、アルトマンの核が明確に表れることになる。“失われた10年”、彼は打ちひしがれるどころか、不自由さにおいて自由に表現し続ける。
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そのような状況のもと、88年、テレビ映画『軍事法廷/駆逐艦ケイン号の叛乱』は完成する。しかし、予算はないのにどうやって軍艦のシーンを撮影するのか。アルトマンは大胆にも、オリジナルの最大の売りだった海上・艦内のシーンをすべてカットしてしまう。つまり、映画はほぼ法廷でのやりとりだけで出来ている。
法廷は、バスケットボールのコートを改造して急場に作られている。なんという貧相な裁きの場だろう。そのような場所で、アルトマンは何を描こうというのか。
法廷とは、すべてが不明である場所である。なぜなら、すべてはすでにして起こってしまっており、被告も原告も真実だと主張するが、本当の真実はどこまでも決定不能であり、不明である。そして、アルトマンの演出とカメラワークはスリルを高めていくものの、結局、明らかになるものは何ひとつとして、ない。嵐の夜の叛乱が正しかったのか、悪かったのか。艦長は正常だったのか、狂っていたのか。名誉はあるのか、ないのか。
そのような法廷がかつてあったことを、わたしたちは知っている。カザンが、ドミトリクが裁かれた、あの法廷だ。誰が悪かったのか。誰が正しかったのか。いったい、それを誰が決められるというのだ?
映画の最後、あたかも決着がついたかのような法廷の閉廷後も、反乱者たちの祝勝パーティーの席において、当の弁護士に徹底的に再否定される。ここで、弁護士グリーンフォルドはユダヤ人であると自ら明言する。そして、オリジナルよりもさらに苛烈な啖呵を切る。
「俺はユダヤ人だ。俺の母はナチスに“石鹸”にされかかった。俺やお前たちがまだ学校でお勉強していた時に、俺の母が“石鹸”になるのを止めてくれたのは誰だ?クィーグのようなやつらが戦ってくれたんだ!」
言うまでもなく、これは戦争の肯定などではまったくない。監督は『マッシュ』を撮った男なのだ。ここに聞き取るべきは次のようなことである。カザンが、ドミトリクが、“狂い”、“名誉”を失った。だが、「俺やお前たちがまだ学校でお勉強していた時に」、映画という戦場で戦っていたのはいったい誰だ?戦時下、戦後の怒号のなか、映画が“石鹸”になるのを止めてくれたのはいったい誰だ?
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“赤狩り”の主体、非米活動委員会は、反・共産主義を第一にかかげながら、その実、反ユダヤ主義、人種差別主義的な性格を色濃く持っていた。
繰り返すが、エリア・カザンは国を追われてきた移民の子である。彼が1947年に創った『紳士協定』は、主人公の新聞記者が、自分が“ユダヤ人”であると偽って、反ユダヤ主義の実態を暴こうとする。ユダヤ人となった主人公は日常のあらゆるところで差別を体験し、アメリカに差別を黙認する“紳士協定”があることを知る。それまでタブー視され、まさに紳士協定が守られてきた映画界に叛乱した作品だ。
繰り返すが、エドワード・ドミトリクもまた国を負われてきた移民の子である。彼が『紳士協定』と同じ1947年に創った『十字砲火』は、戦後、兵士たちが復員するなか、社会復帰できない元兵士たちの鬱屈が反ユダヤ主義に向かっていく状況を、ある殺人事件を通して描くものだった。この作品は、公開後3ヶ月で上映禁止となり、当局に封印される。
ここで、さらに繰り返そう。
「俺やお前たちがまだ学校でお勉強していた時に」、映画という戦場で戦っていたのはいったい誰だ?戦時下、戦後の怒号のなか、映画が“石鹸”になるのを止めてくれたのはいったい誰だ?
それは、カザンのアカデミー名誉賞受賞の場で、拍手とブーイングにかき消されて響くことのなかった問いだ。立ち上がった者と立ち上がらなかった者、どちらがその問いに答えているのだ?
ここでわたしのいう“ユダヤ人”とは、ただある民族のことを指しているのでは、ない。それは追われるひとびとのことである。それは「さすらう者」のことである。叛乱し、裏切り、名誉を失ったひとびとのことである。判決が出たその後にも、名誉と叛乱のはざまで身を焦がすひとびとのことである。おおぜいの“ユダヤ人”がいる。名もなく追われたひとびとがいる。そして、わたしたちが挽き潰され、“石鹸”になるのを止めたのも、彼らなのである。
アルトマンは、なぜ『ケイン号の叛乱』を創ったのか。
それを繰り返してみせるためだ。“踏み絵”として創られたオリジナルを繰り返してみせるということ。両義的に描かざるをえなかったほのめかしをカットし、あらかじめすべてが不明である法廷のシーンのみを徹底的に顕微し拡大して、繰り返してみせる。誰が悪かったのか?誰が正しかったのか?誰も、それを決定することなどできないということこそを見よ、というのだ。自らがハリウッドからの流謫の身であるそのときに、それを突きつけてみせたのだ。
これが、アルトマンの戦い方である。
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93年、アルトマンはハリウッドへ帰ってくる。ひっさげた映画の名は、『プレイヤー』。それはまさしくハリウッドそのものを描いている。 同作で受賞したカンヌ映画祭監督賞を手みやげに凱旋するアルトマンを止める者はもういない。彼はもはや“巨匠”なのである。しかし、なんという奇妙な、巨匠だろう。
彼の映画においては、通常の映画のような、主人公に集約する、または物語の軸が持つ「映画的権力」が剥奪されている。たとえばカメラワークだ。人物のアップが忌避され、カメラはしばしば人物の群像の上をたゆたう。彼の映画において、しばしばおおぜいの登場人物が右往左往するのもそのためである。録音もまた同様である。各所からのざわめきが中心の音場をゆらす。中心への力を分散させること。システムを震わせること。それは哲学者テオドール・アドルノ晩年の文体に似て、全体性を歪ませる、奇妙な渦を描く。ゆえに、それらの映画はしばしば居心地の悪さを発露する。
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エドワード・ドミトリクが叛乱したのは正しいのか悪なのか。獄中で彼が仲間を裏切り、密告し、生き延びたのは正しいのか悪なのか。エリア・カザンが、ハンフリー・ボガードが、スコセッシが、スピルバーグが。正しいのは誰だ?悪いのは誰だ?名誉と叛乱のはざまで、それを誰が決めることができるのだ?
カインは罪を犯す。けっしてぬぐいさることのできない罪だ。彼らは故郷を追われた「さすらう者」であり、その身に烙印を、しるしを持つ。しるしをおそれ、ひとびとは彼らを追いやる。賞も名誉も問題ではない。叛乱が正か悪かは問題ではない。しるしを見よ。眼をそらしてはならない。彼のひたいに輝くしるしをまなざせ。
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ロバート・アルトマンが、アカデミー名誉賞を受賞する。
(終わり)
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