ぼくは 週刊誌の ゆわゆるスキャンダルや 暴露本といった類はあんまり読まないし さほど信用もしていない

それでも藤圭子が 宇多田パパと結婚したときだったかの 彼女のインタビュ-記事は 鮮明に覚えている

「…いえっ 主人は今 キュウ・ショク・チュウ なんです」

休職中?!

「だから・ ‥ …求職 仕事を探しているところなんですぅ」

求職中!何者なんだ? この人?!仕事 してないのか?

ヒモ っ か・あァァ‐

宇多田照實はとうじ山口の宇部市だったか 実家の親父さんの編集(レイアウト?)か何かの手伝いを やってたかで それもさほど 忙しくもないらしく 手持ちぶさ だったのか ぶらっとN.Y.で遊んでいたらしく '79年頃? 藤圭子と出会っている?? 良く云えば英語の家庭教師として 彼女のアパ-トメントに入り込んでいたようだ '82年宇多田照實と結婚翌年1月に宇多田光が生まれている 出産を控えての入籍 ((のような気がした)…一時 藤圭似子と改名は していた(←'84年芸名を藤圭子に戻す)ものの これといった目立った芸能活動はしていなかったように思られるが '79年の突然の引退表明から だいぶ時間も経っており 世に謂われる‘藤圭子’は すっかり忘れられていた存在だった


実は'93年頃?ぼくは宇多田ヒカルが9つ位の時に彼女の顔を見ている

赤坂のニュ-オオタニである

クリスタル・ル-ムで藤圭子のレヴュ-ショウが行われていて ぼくは その公演を見ている


とうじニュ-オオタニの支配人を クラブやBar ホテルのラウンジなどでピアノの弾き語りをしていた小峰とゆー女性から紹介を受けていたこともあって ニュ-オオタニのbar・カプリに入っていたからね そのチケットも彼女から買い求めた気がする

当日 その支配人の顔が見えなくて代わりの黒服に声をかけた

「マネジャ-と話が したいんですけど」

宇多田様と?で らっしゃいますか?? どういったご要件で ございましょう

「藤圭子さんのこんごのお仕事について聞いておきたいことがあるんです」

プロダクションの方で らっしゃいますか?

「……と いっても広告の方なんですが」

かしこまりました とゆー黒服の返答に対して しげ
が また余計なことをいう

「いいんです いいんですこの人 酔っ払って ますから 相手 せんとって ください」‐あのな しげちん 酔っ払っているのは テメェ‐ だろうが…

俺は 一滴も 酒は 飲んじゃあ いね‐ゾ

「まったく 一緒に来んじゃなかった… ‥ ・」

なんか言った?

「言わねぇ-よ」

'93年当時 HipHopが流行っていて 『圭子の夢は夜ひらく』にも そう いった要素を取り入れるとか またハ-ド・ロックの分野に挑戦する などといったゆわば

藤圭子 脱・演歌を図る といった内容の記事がスポ-ツ新聞の隅の方に小さく書かれていたのを

ぼくは見逃さなかったけど けして期待はしていなかった

当時の風潮として演歌はダサく格好悪いもの としてイメ-ジづけられていて

藤圭子自身も「演歌は もう唄いたくない!」といっていたし
常々「BOROの『大阪で生まれた女』みたいな あんな風なバラ-ドが歌いたい!」そう言っていた