夕感!:葦平“善友”へ幻の追悼文 福岡・柳川市出身の長谷健に送る 作家的力量問う記述も
毎日新聞 2013年08月17日 西部夕刊
福岡県柳川市出身の芥川賞作家、長谷健(はせけん)(1904〜57年)の死去の際に北九州市出身の芥川賞作家、火野葦平(06〜60年)が書いた追悼文が見つかった。研究者も未見の“幻の文献”。長谷の人間性をたたえる一方で、作家的力量に疑問を呈するなど率直な記述もあり、昭和期の有力作家の関係を知る貴重な資料となりそうだ。【米本浩二】
今年4月に葦平の直筆原稿を古書店が売りに出し、存在が分かった。原稿は収集家が落札した。火野葦平資料館(北九州市若松区)の坂口博館長が収蔵資料を再調査したところ、沖縄県出身の政治家、徳田球一の妹の矢野克子が主宰する月刊誌「共悦」第32号(58年2月)に掲載されているのを確認した。400字詰め原稿用紙3枚分。「共悦」はA5判の小冊子で目立たず、これまでの調査・研究の際には見落とされていたらしい。
長谷健は福岡師範学校卒。柳川で小学校教師をした後に上京し、39年に小説「あさくさの子供」で芥川賞を受賞した。同郷の北原白秋を描いた「からたちの花」もある。東京で葦平と同居するなど親密だったという。死去の際は葦平が葬儀委員長を務めた。
見つかった追悼文は「善友長谷健!」の題で、「まったく、彼のように、心のきれいな、嘘(うそ)のない、正直な人間は珍しかった」などと故人を懐かしむ。一方で「作家としては、いま一息というところであった」と異例の記述もある。
葦平の三男で「葦平と河伯洞の会」の玉井史太郎代表(76)=北九州市=は53年ごろ、葦平と長谷が酒を飲んで激論をするのを目撃した。「子供向けの小説を書け、と葦平が勧め、大人向けの小説を書くんだ、と長谷がやり返す。涙ながらの応酬に驚いた」という。
坂口館長は「長谷の追悼文を何本か書いた葦平だが、今回の文章は2人の交友を端的に示しているように思う。“善友”の表現には人はいいが文学者としては今一つというニュアンスがあるのではないか」と話す。
筑紫女学園大の松下博文教授(日本近代文学)は「掲載誌の主宰者との関係など、葦平の公職追放(48〜50年)後の身辺検証の上でも大切な資料。葦平には基地化される沖縄の苦悩を描いた『戯曲ちぎられた縄』(56年)もあり、長谷健との交友に加え、沖縄との関わりも興味深い」と話している。