ああ祖国よ:中国残留邦人のいま/1 配偶者の人生/上 言葉に阻まれた希望 /兵庫
毎日新聞 2013年08月14日 地方版
やがて、帰国したばかりの孤児の通訳をするまでになった。孤児仲間から頼られる存在となり、張さん夫婦に対しても、家族ぐるみの付き合いをして面倒を見た。張さんが倒れた際、張さんの娘から「おばさん、何かあったら助けてください」と涙ながらの相談を受けていた。
7月16日朝、張さんの悲報を娘から伝えられると、宮島さんは朝食も食べず、張さんの自宅に飛んでいった。
遺体と対面すると涙があふれた。「張さん、つらかったねえ。もう安心して眠ってね」。通夜、告別式、火葬まで見届けた。
宮島さんは「何十年も苦しんできた同じ境遇の者同士なんだから、助け合うのは当然のこと」と話す。日本社会から孤立した孤児らは、寄り添い合いながら生きていた。
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戦争で家族と引き離された中国残留邦人。置き去りにされ、苦難を味わった人たちは、祖国日本に帰って、どんな生活を送っているのか。今を追う。【桜井由紀治】
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■ことば
◇中国残留日本人孤児
終戦前後の混乱で、旧満州で肉親と離別して中国に残された日本人の子ども。厚生労働省は、孤児になった年齢を13歳未満と定義。孤児は中国人の養父母に育てられたが、日本人であることを知らなかったり帰国の機会や手段を与えられず、中高年になるまで帰国できなかった。厚労省によると、6月30日現在2551人が永住帰国している。県社会援護課によると、県内では「中国残留婦人等」も含め174人(昨年9月30日現在)が暮らしている。
〔神戸版〕