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【プレイバック芸能スキャンダル史】

ツイッギー来日で火が付いたミニスカートブーム

【芸能】

楽天SocialNewsに投稿!
2013年8月15日 掲載
<1967年10月>

 60年代、ロンドンでマリー・クワントが世に送り出し、モッズファッションとともに世界を席巻したミニスカート。ブームの火付け役となったツイッギー(当時18)は67年10月、マネジャー兼恋人同伴で来日した。ウエスト55センチ。“小枝”の愛称通りのスレンダーな肢体は国内を熱狂の渦に巻き込み、その人気は前年来日のビートルズに匹敵するともいわれた。しかし、ツイッギーはファッションモデル。来日したとはいえ、コンサートや劇場公演を行うわけではない。週刊誌には、仕事の合間に恋人同伴で遊ぶプライベート記事が並ぶ異色の事態となった。

 10月18日午後4時半過ぎ、ツイッギーを乗せたスカンジナビア航空機が羽田に着陸。しかし、ミニを期待して集まったカメラマンの前に降り立ったツイッギーは、意外にも黒のキュロットスカートに毛皮のコート姿だった。デッキにはファンクラブが作った垂れ幕が掲げられたが、大きな混乱はなく、ツイッギーはホテルに向かった。

 翌19日、偶然同時期に来日していたクリフ・リチャードとホテルでバッタリ。日枝神社の参拝や銀座での買い物は、やじ馬がぞろぞろと後ろにくっついてくるなどのハプニングも。午後3時半からの記者会見では、膝上20センチのミニで登場、記者たちをどよめかせた。爪を噛み、表情をクルクル変えながらのあどけないコメントに、記者からは「やっぱり18歳だねえ。すれてなくっていいよ」という声も出た。

 日本での仕事は東レのファッションショー出演の他、森永、トヨタのCM撮影などで、ギャラの総額は15万ドルといわれ、トヨタは他にゴールドに特別塗装した2000GTをプレゼント。前年来日のビートルズは4人で6万ドル。ツイッギーはまさに破格の扱い。大阪を皮切りに行われたファッションショーでは、訓練されたモデルウオークではなく大股でスタスタ歩き、会場を沸かせた。

 トヨタはコロナのCMに加え、第14回モーターショーのモデルに起用。森永チョコフレークのCMでも自由に演技し、魅力を振りまいた。71年発売の“小枝”はツイッギーの名前をヒントに発売されたといわれている。ツイッギーは仕事の合間に動物園や大阪吉兆を訪れるなど日本を楽しみ、11月8日に帰国した。

 仕掛け人は当時、東レの宣伝課長を務めていた遠入昇氏。ビートルズ来日公演もコーディネートした“国際的呼び屋”の永島達司氏とともにツイッギー来日を実現した。だが、百戦錬磨の永島氏にとってもファッションモデルのコーディネートは初めて。ツイッギーとの契約の他、後から米ファッションメーカーとの権利調整が必要なことが判明し、急きょニューヨークに飛ぶなど戸惑うことも多かったという。

 ミニスカは翌年、帝人が打った「街からミニが消え始めます」というネガティブキャンペーンをものともせず、10年にわたって続いた。その後のツイッギーはマネジャーの元から離れ、女優や歌手など活動の幅を広げている。

◇1967年10月 1日、オールナイトニッポンが放送スタート。9日、チェ・ゲバラが銃殺される。10日、巨人・堀内恒夫が広島戦でノーヒットノーランと3打席連続本塁打。17日、ラストエンペラー、愛新覚羅溥儀が死去。61歳。20日、吉田茂元首相死去。89歳。31日に戦後初の国葬。

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