特別読み物 末期がんと闘った医者の告白 最後の最後、なぜ医者が信用できないか分かった

2013年08月17日(土) 週刊現代

週刊現代賢者の知恵

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 鍋島氏を支えたのは、妻・幸子さんの献身的な看病であり、また2度目の手術の直後、闘病記の読者から贈られた一篇の詩だったという。

〈より大きなことをしようと/健康を祈り求めたのに/より良いことをするようにと/病気を与えられた

 人生を楽しもうと/あらゆるものを祈り求めたのに/あらゆるものを楽しむようにと/人生を与えられた

 祈り求めたものは/何一つ与えられなかったのに/実は私が望んでいた/すべてのものが与えられた〉

「この詩を読んでから、夫は『病気になってよかった』とさえ言うようになったんです。残された時間の中で、できる限りのことをやるんだ、と」(幸子さん)

 事実、彼は闘病記の中でこのようにも書いている。

〈がんになったおかげで、僕はたくさんのことを学んだ。残された時間が長くないことで、一日一日を大切に生きていく姿勢を学んだ。がんになったことを僕は心から感謝する〉

 最初のすい臓がん発病からほぼ5年が経った'11年2月。2人目の孫の誕生を見届けたのち、50歳の誕生日を目前に鍋島氏は亡くなった。両肺への転移があり、最後の数ヵ月はかつての勤め先だった聖マリア病院のホスピスで過ごした。家族と親戚に囲まれた、穏やかな最期だった。

 すい臓がんの5年生存率は手術を受けてもわずか10~20%であり、胃がんの約70%、大腸がんの約73%などと比べればいかに厳しいかが分かる。だからこそ、家族をはじめ、精神的な支えを得られるかどうかが明暗を分けるのだろう。

これが医者の限界

 '02年に65歳で喉頭がんを発症し、放射線治療を受けたという埼玉県・上福岡双愛病院の篠田徳三医師は、自身の体験についてこう告白した。

「いざ自分ががん患者になってみると、手術が怖くて仕方なかった。実は、喉頭がんに加えて食道がんが併発した際、直前で手術をキャンセルしてしまったことがあるんです。

 咽頭がんは比較的治りやすく、予後がいいので深刻には考えなかったのですが、食道がんと言われたときには、冷や汗がどっと出て『これはだめだ』と思いました。まずX線画像を見てかなり厳しいと感じたし、外科医としての経験から、いかに大規模な手術になるかもわかった。それに当時はまだ、食道がん手術の成績もよくなかった。それまでに診察した人たちのことを思い出して、『もし自分のような患者を診たなら、恐らく「あと数ヵ月の命です」と言わなければならないだろうな』とも思いましたね。

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