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Razor
「ちっ、けったくそ悪りい・・」 フランスの大衆車、プジョー405の後部座席から、不機嫌そうにその男は降り、荒々しくドアを閉めると、そうつぶやいた。そして、右手で深めにかぶったベージュの帽子を後へずらし、目の前のビルの二階の窓から見下ろしている男をにらみ返す。すぐに目線をそらし、帽子を元に戻すとまた、不機嫌そうにその手をバーバリーのコートのポケットに突っ込み、ビルに向かった。 ここは有名なオペラ座から少し離れたパリの中心街。とある美術商がオーナーのビルの前だ。洒落た造りのビルの一階はギャラリーになっていたが、今はシャッターが降り閉められている。脇の通用口の周りには、何か事件があったらしく、警官が二人立っており、他にも何人かうろついて通行を制限していた。しかし、バーバリーコートの男は、その警官達を無視してビルの中に入って行く。警官達もその男を知っているのか、制止する様子もない。 男の名前は銭形幸一。日本の警察庁からICPOに出向している、ルパン三世専属捜査班の班長だ。警察庁での役職は警部。警部と言えば聞こえはいいが、それほど大した役職ではない。一般的な会社で言うところの係長くらいがこの役職に当たる。しかし、この男に限って言えば、肩書きなど何の意味もなかった。そもそもこの男が警部程度の役職でいること自体がおかしいのだ。通常で行けば、とっくに警視正、いや警視長になっているはずだ。銭形は、いわゆるキャリア組なのだ。東大法学部を首席で卒業し、国家公務員T種試験を通り、そのまま警察庁に入庁した。東大法学部首席卒業となれば、大蔵省か通産省に入り、事務次官を目指すのが普通だ。しかし、銭形にはその自由がなかった。と言うのも、銭形家は代々官憲を職としてきた血筋なのだ。その始まりは、銭形平次という、伝説的な岡っ引きからで、江戸時代からの筋金入りの警察一家だった。当然、大学卒業当時も、父親が警察庁長官をやっており、銭形が大蔵省や通産省入りするのを許すはずもなかった。元々、かなり正義感は強い方だったが、銭形はなりたくて警官になったのではない。嫌々なったのだ。父親が引いたレールの上を素直に走るには、銭形には才能がありすぎた。警察のエリート官僚となり、大きな失敗さえなければ警察庁長官の椅子は約束されていたが、そんな決められたレールの上を走るなどまっぴらだった。そこで、警官の最も最下位の巡査から始めさせてくれと父親にわがままを言った。巡査から、実力で長官まで登りつめてやると駄々をこねたのだ。でなければ警官にはならないと。さすがに父親は困り果てたが、長官の肩書きがあれば、それくらいは何とかなる。他の職業を選ばれるよりはマシだと父親は考え、銭形のわがままを聞いた。キャリアなのだが、銭形の最初の勤務地が埼玉県警西大滝町派出所だったのは、そうした理由からだった。 さすがに血筋なのか、銭形は恐ろしく優秀だった。迷宮入りかと思われるような難事件を次々と解決し、巡査部長、警部補、そして警部とあっという間に昇ってきた。ついたあだ名はカミソリ銭形。よく切れた。いや、あまりに切れすぎた。だが、警部となり、警視庁捜査一課でその敏腕を振ることにも少し退屈してきた頃、銭形の人生を大きく狂わせる事件が起こった。それがルパン三世との出会いであった。ルパンが犯人とわかっている窃盗事件でも、どうしても捕まえることが出来ない。いや、正確に言えば、何度か捕まえたことはあるものの、必ず逃げられた。ルパンはカミソリとあだ名された銭形よりも更に切れた。プライドはズタズタにされた。最年少の記録を更新して長官になるのではないかと噂された銭形が、初めて味わった屈辱だった。 それ以来、もともと出世することに大した興味を持っていなかった銭形は、ルパン三世を捕まえること、ただそれだけが人生の目標となり、生き甲斐となった。 やがてルパンが活動の場を日本国内から世界に移すようになり、銭形もルパンのスペシャリストとしてICPOに出向しルパンを捕まえるべく、世界を飛び回るようになる。このICPOに出向ということも銭形の優秀さを物語っていた。というのも、ICPOに出向できる警官というのは、バリバリのエリートばかりだからだ。日本からはほんの数人しか派遣されていない。しかし、銭形が単に優秀なだけのエリートではないということを証明したのは、その後だった。ICPOとは、そもそも国境を越える世界的な犯罪、もしくは犯罪者の情報を各国機関に提供する組織であって、捜査権を持たない。それはそうであろう。こんな第三者機関に捜査権を持たせ、自国内を勝手に捜査されて喜ぶ国などあるわけがない。自国の恥を晒すようなものだし、そもそもその国家自体が犯罪に関与している場合だってあるのだ。現在、ICPOに加盟している国家は178ヶ国。その中でICPOに捜査権を認めている国家はただの一つもない。 だが、現在、銭形が所属しているのはルパン三世専属捜査班である。捜査権のない組織に捜査班というのはどういうことなのか?つまり、ルパン三世に関する事件のみという限定つきではあったが、銭形は各国に捜査権を認めさせてしまったのだ。どのような権謀術数を使ったのか定かではないが、これはとんでもないことであった。極端な話をすれば、ルパン三世に関連づければ、どんな捜査でも出来るということであり、場合によっては一国の大統領であっても逮捕できるということだ。恐ろしく強大な権限を入手したのである。悪用すれば、やりたい放題ができる。こんな権限を持った組織は世界中どこにもない。それを銭形は創り上げてしまったのだ。『超』が付く優秀さだった。大体、ICPO総裁とタメ口を利けるような男は、銭形しかいない。影の総裁と揶揄されることもしばしばだった。 そんな男が、この美術商のビルに来たということは、当然ここでルパン絡みの事件が発生したということだ。 銭形は、無線機のような物をポケットにしまい込みながら、二階の社長室と書かれた扉をくぐり、中で待っていたひどく偉そうな階級章のついた制服の初老の男に話しかけた。立派な口ひげを蓄えている。 「長官自ら事件の捜査ですか?恐れ入りますな」 「やっと来たか、銭形君。遅いぞ。ICPOはいつもこんなに悠長なのかね?まあ、それはいいとして、今回の事件の被害者は私の旧友なのだ。だから、私が陣頭指揮をとろうと思ったのだがね」 「いやいや、ご苦労様です。しかし長官、こりゃあルパンの仕業じゃありませんな・・・」 「ほお、どういうことかね?銭形君」 横柄に男は答える。パリ警視庁のモーリス長官であった。 「確かにルパンがフランス国内入りしたという情報は、ICPOでも掴んでますが、今回のこの強盗殺人事件は明かに今までのルパンの手口とは異なります。第一、奴は『盗み』はしても、『殺し』はしません。それが奴の美学ですからな」 どうやらここで、強盗殺人事件が発生したらしい。天然オーク材でできた立派な机の隣に、壁埋め込み式の大金庫が、その扉を開け放っていた。その真ん前に、白いチョークで人型が描かれ、頭部にあたる部分にはまだ生々しく、血溜まりが出来ている。 「しかし、パリ警視庁にこんなルパンの犯行声明が届いている。『バークレイ商会所有のゴッホの筆を確かに頂いた、ルパン三世』とな・・・。こんなふざけたことをするのはルパン以外に考えられないではないか」 モーリス長官が、これが証拠だと言わんばかりにルパンから届いたとされる犯行声明のFAXを銭形にヒラヒラと見せつける。銭形はいかにも興味なさげにそれをチラっと見、不機嫌そうに答えた。 「ルパンは犯行予告はしますが、犯行声明などしません。それに、犯行予告は警察にではなく、必ず本人にしてきます。少々手口が違うようですが・・・」 「ほう、では君はあくまでこの事件はルパンの仕業ではないと言い張るわけだな?証拠も無しに」 「そうは言いませんが、私の見解としては、従来のルパンの手口とは異なりますので、ルパンが犯人である可能性は低いということです」 「君の個人的な見解など聞いてはおらん!ルパンから犯行声明が届いたのだ!ルパンが最も疑わしき容疑者であることに変わりはない!本来ならばパリ警視庁で捜査すべき事件だが、ことルパン三世に関する事件に対してはICPOに優先的な捜査権があるから通報したのだ。パリ警視庁はこの事件から手を引く。こう見えても、割と忙しいのだよ、フランス警察も。コソ泥一匹しか追いかけていないどこかとは違ってな」 「・・・・・・・・・・・・・」 長官の剣幕に押されたのか、銭形はしばらく沈黙した後、ボソッとつぶやくように言った。 「どうしても、ルパン三世を犯人にしたいように聞こえますが・・・・長官」 一瞬だが、長官の顔色が変わったのを銭形は見逃さなかった。 「いずれにしろ、ルパンが容疑者であるということは、ルパン絡みの事件には違いないだろう。君が捜査したまえ。無事解決し、ルパンを逮捕することを祈っておる」 「・・・・・本当にいいんですか?」 「どういう意味かね?」 「本当に私がこの事件を捜査してもいいんですかと聞いているんです、長官」 「当たり前だろう!君は一体何が言いたいのかね?」 そう長官が激昂しかけた時、ピリリリリリリリという携帯電話の着信音が鳴った。銭形の携帯だった。コートの内ポケットから取り出すと一言「銭形だ」と言ったきり、無言で相手の話に耳を傾けていた。そして最後に「わかった」と短く言うと素早く携帯を懐にしまい、長官に向き直って言った。 「では、今回のこの事件はICPOで受け持たせていただきます」 そう言うと銭形はおもむろにコートのポケットから手錠を取り出し、長官の両手にそれを有無を言わさずに掛けた。 「残念ですが、モーリス長官、あなたを逮捕します」 そう言うと銭形は部屋の入り口に待機していた部下を目配せで呼んだ。 「な、な、な・・・・ふ、ふざけるな!銭形君!これは一体どういうつもりだ!?」 激昂する長官を銭形はギロリと睨み付け、視線で黙らせる。 「モーリス長官、だから私は『この事件を捜査してもいいんですか』と聞いたんだ。私はね、言っちゃなんだが、ルパン三世以外に興味はないんだ。だから、あんたが旧友のバークレイを殺してゴッホの筆を奪い、それをルパン三世の仕業にデッチ上げたこの事件を、別に見逃してもよかった・・・・、私の知ったこっちゃない。それを、あんたがやれと命令するから、こういうことになるんだ、長官」 「い、一体、何を証拠に私が犯人だと・・・・」 「証拠?私がここに来るまで一体どれだけかかったと思ってるんです?長官。三時間ですよ。あんたから連絡を受けて最初の一時間でこの事件の詳細な情報を収集し、次の一時間でプロファイリング、過去の犯罪データの洗い出しを経て実行犯の特定、そして次の一時間で実行犯の身柄を確保、さっきの電話はその実行犯があなたの指示で犯行を働いたと自白した、その報告です。証拠なら腐るほど上がってますよ、長官」 モーリス長官の顔色は真っ青、体はガクガクと震えていた。ICPOの銭形は恐ろしく優秀だとは聞いていた。だが、まさかこれ程とは思ってもいなかった。いつもルパン三世を取り逃がしている間抜けな男だとたかをくくっていた。それが・・・・、それが・・・・・・。長官は憮然とした表情の銭形に言い知れぬ恐怖を感じた。この男を侮るのではなかったと後悔したが、もう遅かった。 「むしろ、私に感謝して欲しいくらいですよ、長官。私に逮捕されたおかげで命を落とす危険が随分と減った。ルパンは『盗み』の時に『殺し』はやらないが、自分の名を騙った者には容赦しない。奴は『ルパン』の名に誇りを持ってますからな。ルパンの名を騙った者は必ず殺される。あまり知られてはいませんが、奴は殺し屋としても超一流なんですよ。奴ほどのビッグネームになれば、名前を詐称した事件が頻発してもおかしくはない。それが、数えるほどしか起きないというのは、裏の世界の人間は知っているからです。奴の名を騙れば必ず殺されるということをね。ルパンの名を騙る奴は大抵、素人か小物ばかりだ、長官、あなたのようにね。ま、しかし、私に逮捕されたおかげで、奴はやりにくくなったはずだ。運が良ければ、諦めてくれるかも知れない。幸運を祈ることですな、長官」 そう言ってから銭形は、部下に「連れて行け」と短く命じた。 そして、ポケットからしわくちゃになった煙草の紙箱を取り出し、その内の一本を口にくわえた。日本製の『しんせい』という煙草。100円ライターで火をつけようとしたが、なぜかそのまま火をつけずにまたポケットにしまいこみ、眩しそうに窓の外を見つめた。 通りの向こうの建物は、さすがにパリらしく、個性派揃いのビルが並んでいた。ビルの窓が傾きかけた日の光をキラキラと反射している。 「ちっ、けったくそ悪りい・・・・」そう銭形は毒づいた。 だが・・・と銭形は思う。窓の外の景色を見つめながら、薄くニヤリと銭形は笑った。この事件は使える・・・・・・。くるりときびすを返すと、銭形は開け放たれた社長室の出口に向かった。 出入り口は、長官が逮捕されたというのに、まだ事態をよく飲み込めていないパリ警視庁の警官が一人、見張りに立っていた。まだ、新米らしくガチガチに緊張しているようだ。銭形が前を通り過ぎようとすると、その警官は慌てたように敬礼し、 「ご苦労様です」 と裏返ったような声を出した。 初々しいものだ、と銭形は思った。かつて自分もこんな時代があったことを思い出す。警官になって、初めて葬式以外で死体を見た。肉が食べられなくなるほどヤワではなかったが、それでも、気分のいいものではなかった。この警官も、こうした殺人事件は初めてなのだろう。銭形は聞いてみる。 「君は、殺人事件は初めてかね?」 「は、は、はい。初めてであります。なにせ、パリ警視庁に配属されてまだ一週間ですので・・・・」 「ふん・・・まあ、すぐに慣れるさ。頑張り給え」 「ありがとうございます、ミスター銭形。ミスター銭形は我々のあこがれです」 ICPO本部がパリ近郊にあるためか、パリ警視庁とICPOは結構、緊密な関係にある。そのためか、パリ警視庁でも銭形は割と有名であった。長官は最近赴任したばかりで、銭形のことをよく知らなかった。それが不幸を呼んだ。 「おいおい、手本を間違えると人生を踏み外すことになるぞ。俺は単なるルパンのストーカーさ」 「ルパン三世なんて、本当にいるんですか?」 「そうか・・・・・。君はルパン三世を見たことがないのか・・・・」 当たり前だった。ルパン三世が一般大衆の前に『俺がルパンだ』などと名乗って現れることはない。それに奴は変装の名人だ。ルパン絡みの事件に出くわすことはあっても、素顔を拝めることなど皆無に等しい。それどころか、ルパンなどという人物など存在しないという説まで出回る始末だ。それ程、普通の警官にとってはルパンは謎の人物だった。だがルパンは存在する。何度も生死をかけて奴と対峙した記憶が銭形の脳裏に蘇る。いつもいつも逃げられた。寸での所、紙一重の差で奴はするすると自分の手の平から逃れていく。なぜなのか。どうしていつも逃げられてしまうのか。そのたびに銭形は自問自答を繰り返した。答えはハッキリしていた。原因は二つある。一つは、奴が自分より優秀だと言うことだ。認めたくはない現実であった。自分は、関係者からは『カミソリ』などとあだ名され、優秀だと言われはしていたが、自分がカミソリなら、奴はレーザーだ。銭形はそう思った。頭のキレの次元が違いすぎる。そして、もう一つの理由は、優秀な相棒がいないことだった。ルパンには次元大介、石川五右ェ門という頼れる仲間がいる。しかし、銭形にはいなかった。一匹狼的な性格のためか、他人と組むということができなかった。しかし、それもじきに解決する。銭形はそう思った。小野寺と黒井。銭形が一年掛けて育て上げた優秀な部下が半年の研修を終えて、今日ICPOに配属される予定になっている。この事件には間に合わなかったが。 「で、先程長官が連行されていったようですが、この事件はルパンが犯人ではないのですか?」 「ルパンを犯人に見せかけた、おたくの長官の犯行だったのさ。モーリス長官は有名なゴッホマニアでな、今回盗まれた物は、ゴッホがピストル自殺する前に使っていたという、最後の筆さ。それがどうしても欲しかったんだろうな。しかし、友人に高値を吹っ掛けられて逆上し、殺し屋を雇って強奪したというわけさ。折りよく、ルパンが国内に潜入したという情報を耳にして、ルパンの仕業にデッチ上げてしまえと考えたのだろうが、馬鹿なことをしたものだ。そう長くは生きられんかもしれん。ルパンに命を狙われることになるだろうからな。ルパン帝国、ルパンシンジケートと呼ばれる組織は警察内部にも浸透している」 「はあ・・・ルパン帝国ですか・・・」 「聞いたこともないか?まあ、無理もない・・・」 ルパン帝国という組織は、ルパン以上に謎に包まれた存在だった。身内のICPO情報部でさえ、その存在を疑問視している。ルパン得意の情報戦略で、無いものをあるように見せかけているだけだという説が有力だ。だが、実際は逆だ。銭形はそう思った。あるものを無いように見せかけているのだ。 存在しないという説の根拠は、そんな組織が実在するなら、なぜルパン本人が現場に出張って盗みを働くのか説明がつかないということだ。マフィアのように、ボスはふんぞり返っているだけで、下っ端が仕事をすればいいではないかという理屈だ。 だがそれは実際のルパンを知らない者の戯言だ。ルパンは金や名声が欲しくて盗みを働いているわけではない。奴は不可能に挑戦したいのだ。ロマンを求めて、ライフワークとして盗みを働いているのだ。それを部下にやらせるなどということをするわけがないではないか。ルパンの行動原理を普通の犯罪者と同じように考えていては奴を理解できない。頭でっかちのエリート共は何もわかっちゃいない。そう銭形は思った。 「しかし、うちの長官が犯人とは・・・・情けない話です。でも、これで事件は解決ですね、ミスター銭形」 「いや、まだだ」 「・・・どういうことですか?」 「ルパンが来る」 「えっ!」 「ルパンは自分の名を騙った者は決して許さない。この事件は発覚してから、まだ三時間しか経っていない。奴はまだ情報収集をしているはずだ。もしかしたらこの現場に乗り込んでくる可能性もある。いや、既に潜り込んでいるかもしれん」 そう言うと銭形はポケットからタバコを取り出し、100円ライターで火をつけた。 「ま、まさか・・・。こんなに警官に囲まれている所に」 「奴は来る。必ずな」 「それこそ、ルパン帝国の下っ端に調べさせるんじゃないんですか?いくらなんでも」 「いいや、本人自ら乗り込んでくるはずだ。奴はそういう奴さ」 そう言うと銭形は、目の前の新人警官に顔を近づけ、下からジロッと見上げて言った。 「そうだろう、ルパン?」 はあ?っと面食らった顔をしていた警官は、次第にその表情から新人特有の初々しさが消えていき、代わりにふてぶてしい不敵な笑みで唇が歪んでいった。 「あっらあ・・・・・ばれちゃったのね」 「おおっと、動くなよルパン!少しでも動けば、向かい側のビルから狙っている狙撃手に撃てと命じてあるんだ。タバコに火をつけたら、俺の一番近くにいる奴を狙えとな。火を消さなきゃ、この命令は解除にはならん」 そう言うと銭形は、大きく吸い込んだタバコの煙をルパンの顔に向けて吐いた。 「ちぇっ、手回しがやけにいいじゃねえか、とっつぁん・・・。でも、なんで俺だってわかったんだ?」 「ふん、手っ取り早く情報収集しようとしたら、俺と長官の話の内容を盗聴するのが一番だ。この社長室に入る前に盗聴器が仕掛けられていないかどうか調べたのさ。不審な電波はなかった。盗聴器は仕掛けられていない。となれば、読唇術で口の動きを読むしかないわけだが、向かいのビルは全部チェック済み。あとはこの開け放たれた社長室のドアの前に立った奴が自動的にルパン、貴様というわけさ」 「罠の中に飛びこんじまったってわけか・・・まいったな、こりゃあ」 「今回は俺の勝ちだ、ルパン。おとなしくお縄をちょうだいするんだな」 そう言いながら銭形はポケットから手錠を取りだした。 「おーとっと、待ちなよ、とっつぁん。とっつぁんも何か一つ忘れちゃいませんかってんだ。俺には銃の名手、次元大介っていう、強ええ相棒がいるんだぜ。ほら、向こうを見てみなよ。あそこに三人警官が立っているだろ?その中の一人が次元さ」 見ると、確かに廊下の曲がり角に三人の警官が立っていた。 「俺が撃たれたり、あるいは逮捕されそうになりゃ、次元が黙っちゃいねえ。次元の早撃ちは知ってるよな。0.3秒だぜ。俺に手錠を掛ける前に撃たれちまうんじゃねえのか?」 銭形の手の動きが止まる。しかし、すぐに銭形はニヤリと笑った。 「よせよせ、ハッタリは、ルパン。お前のことだ、次元は実行犯の始末に向かわせた筈だ。警官に取り囲まれている実行犯を殺ろうとすれば、五右ェ門の日本刀よりも飛び道具の方がやりやすい。あそこにいるのは五右ェ門の方だろう?」 そう言い終わると同時に、銭形の懐の携帯電話が鳴った。静まり返った廊下にピリリリリリリと甲高い着信音が鳴り響く。 「出なよ、とっつぁん。俺は逃げねえからよ」 「ちっ」 そう舌打ちしてから、銭形は携帯電話を取り出し「銭形だ」と応答した。そして「まさか・・・・・」とつぶやいた。 電話は、実行犯が日本刀を持った、石川五右ェ門と思しき男に斬られて死んだという報告だった。ということは、ルパンの言う通り、あそこにいるのは次元なのか。 「ほーらねぇ。俺は嘘は言わねえだろう?」 電話の内容を盗み聞きしていたのか、ルパンは得意そうにそう言った。 「くそったれめ。貴様を目の前にしながらお互い身動き取れねえってことか・・・」 携帯電話を懐にしまいながら銭形は言った。 「ところが・・・そうでもないんだなあ、これが。とっつぁん、俺が今日変装してるのは警官。警官の装備ってクソ重たくて嫌いなんだ、俺。特にこのチョッキなんかさ」 「し、しまった!それは防弾チョッキか・・・・」 「そういうこと。俺様の勝ちい・・・・ははは」 「くっ・・・」 銭形は今にも飛びかからんばかりの形相でルパンをにらみつける。しかし、ルパンは涼しい顔をしたまま勝ち誇っていた。そして、真顔になって言う。 「さ、次元に撃たれたくなけりゃそのタバコの火を消しな。いくら防弾チョッキを着てるからって、狙撃されたんじゃ、騒ぎがでかくなりすぎる。逃げ出すのが一苦労だ。おお事にならねえうちにトンズラしてえんだ。早く消しなよ、とっつぁん」 どうしようも無かった。防弾チョッキの上からでも、ルパンが狙撃されれば、次元の銃は火を噴くだろう。ルパンを目の前にしながら、また今回もまんまと逃げられるのか。銭形は悔しさと怒りでぶるぶる震える手から火のついたタバコを足下に落とす。そして、悔しさを紛らすように靴でギュッと踏みつけた。 「そう、それでいい。ま、また今度があるさ。じゃ、俺はこれで失敬するぜ。とっつぁんはそこを動くなよ。またな、とっつぁん」 そう言うとルパンは大げさに銭形に敬礼をしてから、大股で悠々と遠ざかっていった。と、その時、また銭形の携帯電話の着信音が鳴り響く。 「いっけねえ・・」 そうつぶやきながらルパンは振り向き、電話を取り出そうと懐に手を突っ込んだ銭形に向かって言う。 「とっつぁん、その電話には出るな。出たら次元に撃たせるぜ・・・」 その言葉に動きを止めた銭形だったが、妙に緊張しているルパンを訝しんだ。 「ああ?どうした、ルパン。貴様、何をそんなに焦っている?」 その時ルパンの制服の襟元から覗いている小さな黒いものに銭形は気が付いた。 「・・・それは携帯電話のマイク・・・。さてはさっきの電話は、貴様がかけてきたんだな?腹話術でしゃべっていたんだろう。そして、この電話は実行犯が次元に撃たれたという報告だ。そうだろう?ルパン!!」 次元は、この現場にはいない。全ては窮地に陥ったルパンの機転だったのだ。 「ばぁ〜れたか・・・」 そう言うとルパンは脱兎のごとく駆けだした。 「待て!ルパーン!!」 そう叫びながら銭形は素早くコートのポケットからロープ付手錠を取り出し、ルパンに投げつける。銭形の特技、投げ手錠だ。警官の制服を脱ぎ散らかしながら逃走するルパンの手首にみごとに手錠がはまる。と、同時にルパンは手首の関節をはずし、手錠から逃れ、全力で前方の廊下の踊り場に向かって駆ける。銭形も急いで後を追う。ルパンは走りながら、懐からワルサーを取りだし、真っ正面の踊り場の採光用の開かない窓に向かって三発撃ち込む。割れやすくするためだ。その窓を体当たりでぶち破って外に飛び出すつもりだと銭形は判断。外に逃げられれば、ルパンのことだ、周到な逃走手段を用意しているに違いない。逮捕できる確率は格段に下がる。何とか建物内で取り押さえたいと考えたが既に遅く、ルパンと窓の距離はもう3メートルも無い。 両手を前でクロスさせて頭を低くし、ルパンは上体から窓に突っ込んだ。ガシャーンというガラス窓の破壊音と共に、ルパンの体はビルの外、空中に舞う。 最後のチャンス。空中で身動きのとれないルパンに銭形の投げ手錠が飛んだ。手錠は、ルパンの足首を捉えた。足首なら、関節をはずしても手錠は抜けない。やった!と銭形は思った。手錠のロープにずしりとルパンの体重がかかる。ルパンは足首に手錠が掛けられた状態で宙づりになっているはずだ。 「どうだ!ルパン、もう逃げられまい・・・」 そう言いながら、銭形はロープを力強くたぐり寄せつつ、割られた窓に近づいていった。 と、突然ロープからルパンの体重がフッとかき消え、その反動で銭形は尻餅をついた。銭形の手錠は特別製だ。いくらルパンでも外そうとしたら、たっぷり一時間は頭を働かせなければならない。ということは、ロープが切られたのだ。投げ手錠のロープにはチタン合金でできた極細の針金が編み込んである。ナイフでは絶対に切れないし、燃やしても千切れることはない。そのロープが斬られたということは、石川五右ェ門だ。五右ェ門が窓の外に待機しており、斬鉄剣で斬ったに違いない。そうとしか考えられなかった。 急いで窓に駆け寄り、階下を見下ろすと、幌をつけた軽トラックが裏路地から大通りに出て行こうとしているところだった。ルパンが用意していた逃走車両に違いない。目を凝らせば何とかナンバーは読みとれたが、そんなものは何の役にも立たないことを銭形は知っている。勝負あった。 「ちっ・・・逃げられたか。だが、まあいいさ・・・・」 俺とお前が対決するには、こんな舞台じゃチンケすぎる。もっと、ふさわしい大舞台で必ず逮捕してやる、と銭形は大通りを往来する車の群れに紛れていく軽トラックを見つめながら、心の中でつぶやいた。 割れた窓から大通りを見つめ続ける銭形に、バタバタとようやく駆けつけてきた警官達が何があったのかと矢継ぎ早に問い掛ける。だが、銭形はそんな警官達に「何でもない」と言い捨てるときびすを返し、コートを翻しながらその場を後にした。 パリのメインストリートを奇妙な軽トラックが駆け抜けていく。何が奇妙なのかと言えば、運転席に誰も座っていないのだ。いや、よく見ると運転席の奥にもう一つ運転席がある。 ルパン三世だ。軽トラックの風貌は偽装だった。時速60キロ以上の風圧でその偽装は吹き飛ばされるように出来ていた。今、その紙やベニヤ板でできた偽装がバラバラとはがれ落ちていく。傍目には、自動車の部品を撒き散らかしながら走っているようだった。そして、偽装の下から出てきた本物の車体は、豪華な黄色のクラッシックカー。車体の左側に三本の太い排気管が覗いている、ベンツSSK。ルパンの愛車だ。通常のSSKは6気筒7020cc225馬力のエンジンを積んでいる。だが、ルパンはそれをフェラーリの水平対向式12気筒エンジンに積み替え、500馬力を捻り出すモンスターマシンに改造している。マニアが涎を垂らしながら失神するほど、豪華極まりない車だった。 運転席には途中で運転を交代したルパンが座り、助手席に日本刀を抱え込むようにして腕を組んでいる和服姿の男、石川五右ェ門が座っていた。ルパンの運転はいつもより荒々しい。唇を尖らせながらさっきからブツブツとつぶやいている。その様子を横目でチラリと見た五右ェ門は、ルパンに話しかけた。 「どうした?何が不満なんだ、ルパン。目的は達したし、首尾は上々ではないか。次元もうまくやったのでござろう?」 「だぁってよぉ・・・・ったく、自信なくすぜ、くっそぉ。こっちは二重三重に策を練って乗り込んでるってのによ、とっつぁんが相手になるとどうしていつも最後は体力勝負になっちまうのかねえ・・・。とっつぁんもIQ、300近くあるんじゃねえのか、疑っちまうぜ」 「銭形がか?まさか・・・。いつもうまく逃げおおせているではないか」 「おや?五右ェ門はそんな風に考えてんの?そりゃ、とっつぁんを過小評価してるぜ。何とかいつもとっつぁんの手から逃れちゃいるが、マジな話、俺ととっつぁんにはそんなに実力差はないんだぜ」 「ほお」 五右ェ門は少し驚いた。いつも自信過剰なルパンが、他人をこれだけ評価することはほとんどない。それだけこの一件がルパンのプライドを傷つけたというのか。 「さっきのことにしたってよ、お前がいなけりゃ俺は捕まっていたかも知れねえ。サシの勝負となりゃ、俺は毎回勝てる自信はねえよ。とっつぁんはあれで結構優秀なんだ。俺なんか追っかけてなけりゃとっくに警察庁長官になってるぜ。だけど、まあ、とっつぁんが俺を捕まえるのは絶対に不可能だけどな。俺ととっつぁんには決定的な差があるからよ」 「どんなだ?」 車のエンジン音と風切り音にかき消されそうになりながら、五右ェ門が聞き返す。パリの優雅な景色が次々と二人の視界を横切っていく。 「それは二つある。一つは五右ェ門、お前や次元のような強力な相棒がとっとぁんにはいないってことさ。さっきみたいな決定的な場面でその差が響いてくるんだ。そしてもう一つの差は、とっつぁんには俺たち以外に手強い敵がいるってことさ」 「我々以外に敵?どんな?」 「組織さ」 「組織?どこかのマフィアでも追いかけているのか?銭形は」 「そうじゃねえよ。身内ってことさ。組織に属している者にとっちゃ、逃れようのない宿命みたいなものさ」 「そういうことか・・・」 「組織は何とかして構成員をコントロールしようと自由を制限する方向で圧力をかけてくる。それから逃れようとすりゃ、上に行くしかないんだが、そうすると今度は別のしがらみができてきて、なかなか自由にはなれない。難しい話さ。その点、とっつぁんはうまくやってるわ。出世を拒否して、そこそこの肩書きで、影響力だけ上に伸ばしている。俺を捕まえる自由を最大限に発揮しようとしてな。そんなに俺を捕まえたいのかね、とっつぁんは。ははは」 根っからの自由人のルパンは銭形を笑い飛ばすが、人知れずそんな苦労をしているのかと思うと、五右ェ門は笑う気になれなかった。 「知ってるか?五右ェ門」 しかめっ面の五右ェ門にルパンが話しかけてきた。 「何をだ?」 「銭形のとっつぁんは俺の先輩なんだぜ。学生時代のよ」 「それは初耳だな」 「冗談でよ、大学に通ってたことがあるのさ、俺は。東大だぜ。中退しちまったけどな、アホらしくて。実際にキャンパスで何度か会ったこともある。とっつぁんは優秀だったぜ。法学部でトップ。その頃からの腐れ縁さ。とっつぁんは卒業して警察入り。俺は中退して泥棒デビュー。初対決はとっつぁんが警視庁の捜査一課にいた頃さ。なんだかんだと色々あったのさ、銭形先輩とはよ。ま、だからといって、捕まってやる気はさらさらねえけどな。ははは」 ルパンが饒舌なのはいつものことだったが、昔話は滅多にしない。銭形とそんな因縁があったことを五右ェ門は初めて知った。なんだかんだ言っても、ルパンは銭形をライバル視しているようだ。俺とルパンも奇妙な因縁からだが、銭形とルパンもまた不思議な関係だな、と五右ェ門はおかしな気分になった。 怪訝そうな表情をしている五右ェ門にルパンが声を掛ける。 「この一件はこれでお終いだ。長官まで殺っちまったら、さすがにとっつぁんも立場ねえだろうから、勘弁してやろうぜ。実行犯は裏側の人間だが、長官はそうじゃねえからお目こぼしだ。さあ、次元を拾いに行こうぜ」 そう言うとルパンは更にアクセルを踏み込んだ。水平対向式12気筒のエンジンが吼える。次々と他の車を追い越しながら、パリの街中を黄色い疾風が駆け抜けていった。
エピローグ
「ったく!もう二度とてめえとは飛行機に乗らねえぞ!恥ずかしいったらありゃしねえ、機内食を三回もおかわりしやがって!!」 と、小野寺悟は助手席にちょこんと座っている黒井大和を怒鳴りつけた。ずっと怒鳴られっぱなしなのか、黒井は肩をすくめて頭を低くしている。 「そう言うなよ、サトル・・・。あんな空の上じゃ食うしか楽しみはないんだからさ。いいじゃんか、タダなんだから」 「うるせえ、不必要にぶくぶく太りやがって、この黒ブタが」 「ああ!豚って言ったな?豚って差別用語なんだぞ。あれ?ちがったかしらん。まあ、いいや。ほら、日本の標語にもあるじゃんか、武士はくわねど・・・・じゃなくって、去る者食うべからず・・・じゃないな・・、えっと、何だっけ?」 「腹が減っては戦はできぬ、か?」 「ああ!そうそう、それそれ」 「標語じゃねえよ」 そう言いながら、小野寺は黒井の頭をポカリと殴りつけた。 「痛て。暴力反対!これって標語か?」 「知るか!ああ、俺は何て不幸なんだ。何で俺はお前みたいな標語音痴とコンビ組まなきゃいけないんだ?え?ICPOに着いたら、絶対、銭形警部に交渉してやる。コンビを組み替えてくれって。それにしてもこの車、調子悪いな。ちっとも走りやがらねえ。だから、俺はタクシーにしようって言ったんだ。それを大和、お前がレンタカーにしようって駄々をこねるもんだから・・・。ただでさえ、空港で時間くっちまって遅れてるってのに・・。銭形のオヤジに怒られたらお前のせいだかんな」 「よく言うぜ。この車選んだの、サトルじゃないか。パリはオープンカーだ、オープンカーがいいってさ」 「黙れ。全て都合の悪いことは自動的にお前のせいになるんだ。そうすりゃお前みたいに丸く収まる」 「そっか・・じゃあしょうがないか・・・・・って、なんでだよ〜〜〜」 いくらアクセルをふかしてもエンジンが唸るだけでなかなかスピードが出ない派手なオープンカーで、漫才のようなやりとりをしながらICPOに向かっているのは、日本の警察庁からの出向で今日、着任する予定になっていた小野寺悟と黒井大和だった。 小野寺は180センチと割と長身だが、長身によくありがちなひょろひょろとしたタイプではなく筋肉がしっかりついた精悍な体つきをしており、割とハンサムだ。黒井は逆に身長160センチと低く、小太り、いや中太りくらいで腹が出でいるが、目が細く、ふっくらとした童顔の愛嬌のある顔をしていた。二人とも同期で、ノンキャリア、現場からのたたき上げだった。それぞれ、地方の警察に勤務していたのだが、一年前に銭形にスカウトされ、半年のルパン三世とその一味に関する徹底的な研修を経て、今日、日本からパリのドゴール空港に着いたのだ。 空港で小野寺が美しいパリジェンヌに目を奪われているその隙に、黒井が姿をくらました。さんざん捜し回った挙げ句、空港内のファーストフード店でやっと黒井を見つけたときには、既にハンバーガーを日本円にして5000円分ほどを平らげた後だった。持ち合わせがないから貸してくれと言われ、支払いを済ませたら今度は、ICPOにタクシーで行くかレンタカーを借りるかで揉めた。パリの地理に詳しくないんだからタクシーでなければダメだと主張する小野寺に対し、黒井はレンタカーの方が自由でいい、ドライブしながら行こうぜと譲らなかった。タクシーで行くにしたって、運転手とコミュニケーションが取れなければ地理もへったくれもない。フランス語できるんだろうな?と突っ込まれ、小野寺は言い返せず、渋々レンタカーを借りることにしたのが間違いの元だった。どうせレンタカーを借りるなら気持ちよくドライブしたいではないか。乗ったことがなかったので、一台だけあったオープンカーを選んだのだが、これがすこぶるエンジンの調子が悪いときた。ICPO到着予定時間を大幅に過ぎていた。 と、その時だった。小野寺たちが乗るオープンカーを凄い勢いで一台の黄色いクラシックカーが追い抜いていった。 「おい!サトル!見たか」 黒井が大声を張り上げた。 「ああ!まさか、パリ到着早々、こんなに早くルパンに会えるとは思ってもみなかったぜ」 「追え!早く!」 「もうとっくに追ってる!アクセルべた踏みだ。これ以上出ねえんだよ、このオンボロが・・・」 確かにエンジンはガーガー唸っていたが、それに見合うスピードは出ていない。 「行っちまうぜ、ちくしょう!」 そう言いながら、黒井は腋下のガンべルトから拳銃を取り出す。コルトガバメント。助手席から立ち上がり、フロントガラスから身を乗り出して構える。だが、ルパンたちは既に射程外だった。遠く米粒のようになってしまったルパンの車をしばらく見つめた後、黒井はドスッと音をさせて助手席に身を落とし、このボロ車め!と怒鳴りながらダッシュボードを蹴りつけた。小野寺も追跡を諦め、アクセルを緩める。 「クソ!捜査班の車だったら逃がしやしねえのに・・・」 小野寺が悔しそうに言った。 黒井も不満そうに言う。 「ちっ、うまそうな獲物だったのにな・・、殺しそこなっちまったぜ」 「おいおい、大和、ぶっそうなこと言うなよ。オヤジからルパンは絶対に殺すなって言われてるだろうが」 「ルパンはな・・・・・・。でもそりゃ、それ以外は殺してもいいってことだろ?もう一匹いたじゃんか、今。ありゃ五右ェ門だろ?」 本性を現しやがったな、そう思いながら小野寺は黒井をチラっと見る。目を薄く見開いていた。普段は起きてるんだか寝てるんだかわからないような細い目をしているが、こういう目つきになった時の黒井は恐ろしい。バトルモードに入っている証拠だ。愛嬌のある罪のなさそうな童顔の下に黒井は恐ろしく凶暴な獣を飼っている。『マル暴の黒井』と言えば、横浜のヤクザは震え上がる。銭形にスカウトされる前、黒井は神奈川県警の捜査四課、いわゆるマル暴の刑事だった。メチャクチャやることで全国的に有名だった。しょっちゅうやりすぎで処分を受けていたが、黒井は屁とも思っていなかった。大体、警官になった理由がふるっている。合法的に人が殺せるから、と黒井は平然と言い放ったものだ。黒井は日本人ではない。いや、現在の国籍は日本なのだが、出身は台湾だった。日本に留学でやって来て、そのまま帰化し、警官になったらしい。父親は台湾でも有名な政治家で、帰ったら父親の後を継がなければならないという話だが、本当かどうかは知らない。そして、見かけによらず黒井は、拳法の達人だった。流派のよく分からない奇妙な拳法を使う。でっぷりとした体からは想像もつかないほど、素早く動き、軽々と宙を舞う。『人を殺すなんて簡単さ。指一本だぜ』。黒井はよくそう言う。実際、黒井にかかればその通りだった。過剰防衛で何人かヤクザを素手で殺し、今度こそ首かと思われた矢先、銭形のオヤジにスカウトされ、ICPOに呼ばれたのだ。 だが、問題児という点では小野寺も似たようなものだった。小野寺悟の出身は愛知県警だった。捜査一課で殺人事件を担当していた。銃火器の扱いが得意で、日本の刑事にしては珍しい銃器のスペシャリストだ。しょっちゅう発砲事件を起こして始末書を書いていた。そして、ヤクザ嫌いは黒井以上だった。黒井はヤクザの人権を認めていないことで有名だが、小野寺は人権どころか生存権さえ認めていない。小野寺は小学生の頃、たった二人の身内、母親と兄を暴力団の抗争に巻き込まれて失った。相手がヤクザやマフィアとなると小野寺は容赦がなかった。 「ルパン以外は殺してもいい?ははは、お前らしい解釈だぜ、大和」 「ふん。サトルだって、早く使いたいだろうが、その秘密兵器。人を殺すんじゃなきゃ、そんな物騒な銃、必要ないじゃんか」 黒井は小野寺が携帯している銃のことを言った。銃の名前は『ヒドラ』。対五右ェ門用に開発した銃だ。外見はただのバカでかいリボルバーだが、弾が特別製だった。粒が通常の倍ほどもある散弾だった。単発の弾丸なら空中で叩き斬ることはできても、同時に無数飛来する弾を全て斬ることはさすがの五右ェ門でも不可能だ。おまけに、恐ろしい破壊力なのだ。普通の散弾銃は、遠くへ飛来すればするほど弾が拡散し、同時に威力がガクンと落ちるが、このヒドラは、直径一メートル四方に拡がると、それ以上は拡散せず、長距離破壊力が持続する。しかも散弾の粒が大きいため、メチャクチャな威力だ。頭部を撃たれれば、頭はまるごと地面に叩きつけられたスイカのように吹っ飛ぶ。そのかわり恐ろしいほどの反動がある。どれだけ銃の扱いに慣れた人間でも、ヒドラを撃つときは両手でなければ撃てない。片手で撃てば必ず反動で肩が抜ける。それほど扱いにくい超強反動銃だが、小野寺はそれを片手で扱う。人間離れした強肩を持つ小野寺のためにあるような銃だった。ヒドラとはギリシャ神話に登場する九つの頭を持つ怪物の名だ。まさにこの銃にピッタリの名称だった。 「うるせえ。間違ってルパンを殺しちまったら、そん時はそん時だ。でも、そんなことすりゃ、あのカミソリオヤジがカミナリオヤジになるな・・・・・」 「やめようぜ、サトル。銭形警部の話。俺、オヤジのカミナリ嫌いなんだ。怖いんだもん」 「『マル暴の黒井』も恐れるオヤジのカミナリか?こいつはいいや、ははは」 「ちぇ、サトルだって苦手なくせによ。まだ、着任前だ。ルパンと擦れ違ったことはオヤジには内緒にしとこうぜ。逃げられたなんて報告すりゃ、カミナリが落ちること間違いなしだ」 「ああ。今のことは忘れて早いとこICPOに行くとするか」 「うん。まず食堂に行ってメシを食おうぜ。ルパン逃がしたら腹が減ってきた。食堂のメシはやっぱフランス料理かな?楽しみ、楽しみ」 「お前、まだ食うのかよ?さっき空港でハンバーガー山ほど食ったとこだろうが。お前、エンゲル係数100%超えてないか?」 「よく知ってるな、サトル。おかげでサラ金に借金だらけさ。全部踏み倒したけどな。おかげでもうどこも貸してくれねえ・・・」 「俺は貸さねえからな」 「ああ、ケチ!親友だろ?オレ達は」 「やかましい。人間以外に友達なんかいねえよ。特に黒い豚にはいない」 「オレ、豚みたいだけど人間。ああ、よかった。サトルとは友達だ」 「ああああ、お前と話してるとどうしてこう腹が立って来るんだ。このぉ」 そう言って小野寺はまた黒井の頭をポカリと殴りつけた。漫才のようなやり取りはこの後もICPO本部に着くまで延々と続いた。
<完> 後書き
ルパンレギュラー陣最後の1人、銭形登場。ついでにルパンも初の主役級。 とにかく『カッコイイとっつあん』が書きたかった。 時代を重ねる毎にギャグキャラと化し、作品によっては存在を無視されている銭形。だが、本当の銭形はもっとカッコイイはずだ。 IQ300の頭脳の持ち主、ルパン三世をして『さすが銭形』と言わしめた原作、旧ルのとっつあんに戻って欲しい。 そうでなければ、『IQ300の頭脳、世界一の大泥棒』ルパン三世というキャラクターが生きてこない。 ルパン三世ともあろう者が、何が悲しくてあんな間抜けなとっつあんから逃げ回らねばならないのか。 ルパンと銭形、一方的な実力差でライバルと言えるのか。そもそも『ライバル』とは、同等の実力を持って初めて成り立つのではないのか。 そんな想いが筆を走らせた作品。 ちなみにオリキャラは、神林長平著『敵は海賊』に登場する主人公コンビがモデル(苦笑)
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