2013/08/16
12日朝 福島第一原発重要免震棟
ヘリを降り、
タイベックスーツの作業員らに誘導されてマイクロバスへ。
天候は曇り。
バスには、総理が1列目、次に班目委員長、私は3列目に乗車。
重要免震棟に向けバスは発車。
隣は警護担当の桝田秘書官。
桝田秘書官が衛星携帯電話を取り出し、
官邸へ到着の報告を試みる。
「あれ、なんでだろう」。
何故か、衛星携帯電話が使用出来ない。
一般的に、
何処でも使えるのが衛星携帯電話の強みのはずだが、
何故か使えない。
当然、手持ちの携帯電話は圏外。
一番前に座っている総理から怒鳴り声。
「なんでベントできないんだ!」。
隣は東京電力武藤副社長。
武藤副社長の声が小さく、答えが聞こえない。
総理の怒鳴り声が幾度も響く。
桝田秘書官は再度衛星携帯電話を試みるが、
またも失敗、少々焦り。
同行している共同通信津村記者も、
記者クラブ宛に到着報告が出来ないようで焦り。
「衛星携帯、終わったら借りられないですか?」と頼まれるも、
「そもそも使えないんだよ、なぜか」と返答。
しばらく走ると、多くの自家用車が置かれた駐車場。
そして、重要免震棟の前に到着。
バスを降りて入り口のドアに向かう。
「早く入れ!!!」と係員からの怒鳴り声。
入り口は二重ドア。
外に面したドアを閉めないと、内部と通じるドアは開かない。
「早く入れ!!」再度怒鳴られる。
外側のドアが閉じ、内部に通じる自動ドアが開いた。
既に総理が総理として扱われていない。
重要免震棟入り口付近には人で溢れていた。
肩と肩がぶつかる程の混雑。
二重ドアを閉める為、背後から押されるように人混みの中へ。
誰が自分たちを誘導しているのか全くわからず、
総理一行は混雑する人に紛れてバラバラに。
人混みの中の小さな流れを見つけ、それに任せて前に進む。
奥には二列の行列。
左の列に総理が並んでいた。
右をみると、上半身裸の男性が、汗だくで床に寝そべっていた。
息は荒い。
列の先頭では、
係員が機器を使って入場者の放射能を計っている。
「おい、ここらへん高いぞ!」と私の近くで係員が叫ぶ。
いよいよ次が私、というところで、
左の総理が「なんでこんなことしなくちゃいけないんだ」と、
列を離脱、誰かに誘導されて階段に向かう。
急いで私も後を追う。
階段に到達するも、そこも人だらけ。
階段の壁には、びっしり人が立っていた。
休むところがなく、壁にもたれている休んでいる様子。
一様に目が疲れている。
目の前に総理大臣がいることを気付くものは殆どいない。
気付いても目で追う程度。
急いで階段を駆け上がるが、
人混みで総理を見失う。
二階にあがり、誰かの導きで会議室に到着したら、
総理と津村記者の二人だけがいた。
総理「おい、なんで記者がここにいるんだ!」と怒声。
津村記者を退出させる。
会議室は殺風景だった。
机と椅子、それ以外の記憶はない。
ほどなく、
東電武藤副社長と、福島第一原発の吉田所長(故人)が入室。
武藤、吉田両名の向かいに、
総理、班目委員長、寺田。
席上にA4の説明資料。
武藤副社長が説明。
今までの説明と同じような一般的な情報を述べ続けていた。
総理が怒鳴る。
「いいから、なんでベントができないんだ!」
答えたのは吉田所長だったと思う。
「現在、電動でベントすることを試みています」。
総理「いつになったら出来るんだ!」
吉田「4時間を予定してます」。
総理「昨晩から、やるやると言って、
いつまでたっても出来ないじゃないか!」。
4時間、とは長過ぎる、と私は思った。
私はずぶの素人であったが、
今までの説明で、既に原発の圧力容器内の圧力が、
設計された限界圧力を遥かに超えている事は知らされていた。
ここ重要免震棟の目の前にある原発は、
いますぐ爆発してもおかしくない、ということ。
ここら辺まで、総理の口調は怒鳴りに近かった。
怒鳴りに近かったが、求めているものは何となく分った。
それは、「電動ベント」ではなく、
人間による「手動のベント」はやらないのか?ということ。
遠隔地で行う電動よりも、
手動は、人間が原発内部に直接入って作業するため、
非常に危険な行為。
総理の口から手動についての言及がある前に、
吉田所長から、
「手動ベントも考えています。
実行するかどうか、1時間後には決めます」。
総理も、ここらへんから口調が変わった。
流石に人命に関わることゆえ、総理の心に動揺が見えた。
1時間後に「実行する」のではなく、
「実行するかどうか決める」ってことは、まだ未定か、と、
私は思った。
総理も、
「そんな悠長なことじゃなくて、すぐやれないのか」と問う。
吉田所長「内部の放射線量が非常に高いのです」。
そして続けた、
「決死隊作ってでもやりますから」。
以下、余談
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一連の会話を振返ると、
総理は手動ベントを要求したのか、
それとも、既に考えていた事を引き出したのか、
私にはわからない。
総理が重要免震棟まで出向き、
現地の責任者と言葉を交わした事による、
事故への効果もわからない。
ただ、事故発生の昨晩から通じて、
初めて東電側から強い言葉を聞いた。
今でも考える。
総理が直接、「手動ベント」を命令すべきだったのか。
(実際のところ、経産大臣が法令に基づき命令しているのだが)
「政治が責任をもつから手動でやれ」と、
その場で言うべきだったのか。
言ったらもっと早く出来たのか。
民間企業がコントロールする原発の緊急対応を、
国が指導することの難しさ。
それを重々理解していたからこそ、
吉田所長から先に「手動ベント」に言及してもらった事に、
私も総理も安堵感はあったと思う。
だけど私は、政治側から言い出さなかったことに、
今でも後ろめたさを感じている。
故・吉田所長について
吉田所長に直接お会いしたのはこの時一度だけ。
以後は、電話での会話を間接的に聞いたのみ。
吉田所長は「どうすれば出来るか」を語る方だった。
それまで、電源車の手配や、まさしくベントについても、
東電幹部から発せられるのは、
曖昧な「出来ない理由」ばかりだったが、
その中において、
吉田所長は「どうすれば出来るのか」を語る幹部だった。
「決死隊作ってでもやります」。
言葉にすると、短いこの一文。
そこに込められる迫力というものは、
その場にいた者しか解らないかもしれない。
いや、本当の意味では、私も総理もわからないだろう。
先ほど階下ですれ違った作業員、
階段でもたれかかってる作業員ら全ての、
生活も、家族も背負った決断なのだから。
吉田所長は、
部下を気遣いながら、
常に前を向いて、命をかけて陣頭指揮にあたられていた。
間違いなく、
第一の吉田所長と、第二の増田所長のお二人がいなかったら、
今の日本はないと思う。
再度お会いしたかった。
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以上
その後も、総理と東電側とのやり取りは続いていた。
肩をトントンと叩かれた。
振返ると桝田秘書官。
「医務官が、ここは線量が高いので、長居しない方が良い、と」。
了解の意味で頷く。
しかし、総理に進言しようにも、
話の合間がない程のめり込んでいる。
再び桝田秘書官から忠告。
そんなに線量が高いのか?と戸惑う。まだ滞在20分程。
「総理、そろそろお時間です」。
なんとか終える。
吉田所長は即座に退室。
保安院の人間が総理に署名を求める。
「ここにサインすればいいのか?」と署名。
(内容を私は見ていない。福島第二原発に関することのよう)
会議室をでた廊下で、池田経産副大臣に呼び止められる。
「寺田、総理をもっと落ち着かせろ」。
「いつもよりはマシですよ」と答える。
でも、本当は、いつもよりマシではなかった。
普段、周辺からは「寺田は総理の緩衝役」と言われていたが、
この時は役に立たなかった。
重要免震棟を出て、マイクロバスに乗り込む。
東電武藤副社長と池田経産副大臣も同乗。
行きと同様、総理が武藤副社長に問う。
ただ、声のトーンは随分落ち着いている。
「さっきの件は、ちゃんと報告しろよ」。
以後の具体的なやり取りは覚えていないが、
総理は、
手動ベントの実行と報告を武藤副社長に話していたと思う。
声のトーンは落ち着いていたが、
声は大きかった。
急いで後ろを振返り、同行している津村記者に話す。
「メモしてんの?」「かなりデリケートな内容だからな」。
津村「デリケートかどうかわからないので、メモはします」。
ヘリが駐機しているグラウンドに到着。
早速ヘリに乗り込んだが、中々プロペラが回らない。
予定より大幅に早くヘリに戻った為に、
暖機運転ができていなかった。
後で聞いた話だが、
当初の予定では、
マイクロバスで原発本体周辺を視察することになっていた。
数時間後に爆発するの原発本体の周りを、だ。
誰の意思で中止したのかわからない。
外には武藤副社長と池田副大臣。
機内から窓を通じて「もうお戻りください」と身振り手振り。
しかし伝わらず、待たせてしまう。
総理に「池田副大臣がお待ちになってますよ」と話すと、
「え?」と驚く素振り。
今まで池田副大臣が同行していた事すらも、
気付いていなかった様子。
しばらくして、ようやく飛行。
ヘリが海岸線に出るべく原発本体上空を飛ぶ。
最も原発本体に近づいた時だった。
総理の胸ポケットに付けられていた機械が、ピーピー鳴った。
「なんだ、こりゃ?」と戸惑う総理。
私が受け取り、電源らしいスイッチを押してみる。
放射能の線量計だった。
いまでこそ見覚えのあるものだが、
事故発生から半日程度のその時は、
見方も使い方も、わからない。
下村審議官が、
保安院から総理と自身用に借りてきたものらしい。
どれ程の放射線量が計測されたか、わからない。
ピーピー鳴ったのは、線量が幾らに達したからかもわからない。
唯一わかっていることは、
その瞬間に強い放射能を浴びていた、ということだけだ。
爆発する、数時間前の原発上空だったからか。
それでも、私達は動じる事はなかった。
ベントのことで頭が一杯で、
自分たちが被爆することリスクを、
その時はすっかり忘れていたと思う。
自衛隊の方々が気を使ってくれ、
朝食として「にぎり飯」と、「パックのお茶」を出してくれた。
真っ白で美味しそうな、おにぎり。
食べたかったが、
もし飛行中にトイレに行きたくなったら大変と、控えた。
総理らは、手づかみで食べていた。
今思えば、
私達は原発の事故現場に居たにもかかわらず、
除染はおろか、手すら洗っていないのに。
今日はここまで。
写真は、実際の写真。
重要免震棟の会議室にて、武藤副社長と吉田所長