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  • 【311の記憶 2】

    2013/08/12

    11日深夜から12日未明まで

    <電源車>
    3月11日、おそらく9時過ぎ。
    秘書官らと共に電源車の進捗チェッックを続ける。
    逐一あがってくる情報を整理し、
    地下の危機管理センター小部屋にいる総理に連絡をする。
    主のいない総理執務室にホワイトボード。
    加えて、執務室内のテーブルに
    地下の小部屋直通の黒電話を設置。その前に座る。
    秘書官が日本列島の地図を書き、
    各発電所の持っている電源車の数を記載。
    「◎◎発電所電源車◎◎台、◎◎時に発電所出発、◎◎インターチェンジ通過」
    我ら総理秘書官チームがチェックしなくとも、
    どこかでチェックされていたはずだが、
    それでも進捗をチェックした。
    その「どこか」が不明確だから。
    いずれにせよ、総理に最新情報をあげる。
    他方からと二重報告となっても仕方が無い。

    以下余談
    ーーーーーーーーーーーー
    総理秘書官と、総理補佐官は、
    大きな官邸機構のラインに組み込まれている訳ではない。
    表向きの会議に陪席はあれど、出席はほぼ無い。
    唯一無二の上司は総理大臣ただ一人。
    部下はいない。
    あくまでも総理の補佐に徹する。
    ーーーーーーーーーーーー
    以上

    秘書官チームに、一刻も早くとの焦燥感が募る。
    「8時間後までに電源が回復しないと大変な事になる」、
    そんな情報はあった。
    どこで計算されたものか正確に覚えていないが、
    おそらく保安院だと思う。
    いつを基点に8時間なのかも覚えていない。
    ただ、とにかく急がなければ「大変なことになる」
    そんな認識があった。
    「大変な事」。
    口には出さなかったが、
    それが「メルトダウン」だというのは全員感じていたと思う。
    ただ、メルトダウンするとどうなるか、
    具体的には私は想像していない。
    秘書官らも同様だろう。
    メルトダウンは、
    今でこそ不幸な事に一般的な言葉となっているが、
    事故発生当時、専門家以外の一般の人には馴染みが無い。
    シーベルトなんて単位を知ってる人も、
    ごく少数だっただろう。この時は。

    何時かは、忘れた。
    だが、電源車到着の一報が届く。
    執務室と秘書官室を結ぶ扉を開けっ放しで作業をしていたので、
    到着の一報には、秘書官室にいる事務の方も含め喜んだ。
    「なんとかなった。。。。。」恐怖感と切迫感からの解放。
    期限とされた時間内だったはず。
    (実際、電源車は届いたが種々の事情で全く役に立たなかったようだ。これらの事実関係は既存の事故調査報告書に譲り、
    私は記憶の列挙を続けたい)。
    その後、後続の電源車が到着した報せは受ける。
    ケーブルが足りないとの連絡もあった。
    自衛隊のヘリで運ぶ検討をした。
    それら全てを総理に伝え電源車関係の業務は閉じる。
    電源車が功を奏している、との連絡はない。
    (実際、ことは深刻さを増していく)

    <被災地入り準備>
    11日深夜。
    岡本政務秘書官から相談を受ける。
    「総理から明朝現地に出向きたい、準備せよ。との指示あり」。
    私の第一印象は否定的。
    福山官房副長官に相談。同じく否定的。
    枝野官房長官に相談。同じく否定的。
    その旨、総理に進言。
    総理多少迷っている様子。
    「準備だけは進めてくれ」との指示。
    現地とは原発事故と、津波被害。
    現地入りによる人手を最小限にする方法、
    救助に使われていない機材で、とのこと。

    移動に使う自衛隊ヘリ「スーパーピューマ」は、
    飛行中であっても官邸と連絡が常時可能か確認必要。
    秘書官より「可能」との返答。
    秘書官チームと具体的な行程案の検討にはいる。
    事務方から原発と津波の両方の現地を回る行程案届く。
    詳細行程は保安院と警察、防衛省あたりで作成か。
    福島第一は重要免震棟へ、津波現場は宮城県上空。
    「スーパーピューマ」の航続距離等勘案し、
    福島第一後は自衛隊基地にて、
    同じく自衛隊ヘリ「チヌーク」に乗り換えて、
    津波被害の状況を上空から視察する案。
    その間に「スーパーピューマ」の燃料補給を行う。

    総理、福島第一を組み入れた案了承。
    実行の最終判断は後ほどに。
    行程案作成後は「スーパーピューマ」の乗車メンバー調整。
    小型ヘリゆえに10名前後しか乗車出来ない。人数絞り込み。
    総理、政務秘書官、警護担当秘書官、警護官ら、医務官は必須。
    残り数名。
    総理より、広報担当審議官の下村審議官を乗車させる旨の指示。
    しばらく後に、班目原子力安全委員会委員長の同乗の指示。
    現地入りの最中、
    総理として何かしらの判断を下す事があった場合、
    正式な助言機関の助言を直ちに仰ぐ必要性から、か。

    残る調整要素は二つ。
    総理の補佐として政治家が誰か一人。
    それと、総理随行の記者をどうするか。
    政治家の候補者は、私か福山官房副長官のどちらか以外いない。
    福山副長官は「どうする?」と特定の意思は無い様子。
    私から「東北で起きた事故なので、東北出身の私が参ります」と提案し、福山副長官了解。
    内心、怖かった。でも、任務。
    総理随行記者の調整が残る。

    以下余談
    ーーーーーーーーーーーーーーー
    常時、総理が移動する時には共同通信と時事通信の両社から、
    若手の記者2名が同行する。どんな時でも。
    総理が官邸から出発したときは、
    車列の最後方から車で追ってくる。
    総理が何処にいくか、誰に会うのかを確認すべく、
    報道を代表して追っかける役割。
    総理が朝公邸から出て、
    夜に公邸の門が閉まるまで、ずっと張り付く。
    平時に、なぜそこまでするのか彼らに訪ねたら、
    「つまるところ、いまこの時点で総理が実際生きているか、
    誰かに殺されないか、直接確認し続ける義務がある」とのこと。
    生存確認。
    ーーーーーーーーーーーーーーー
    以上

    官邸記者クラブに内々「現地入りの可能性あり」と通知。
    従来であれば、
    共同通信と時事通信の2名を同行させなければならないが、
    緊急時であり、乗車定員が限られる為、
    いずれか一人にして欲しいと伝える。
    共同通信の津村記者が同行することになる。
    加えて、記者クラブ内、特にテレビ局側から
    「代表のカメラマンを一人乗せて欲しい」旨打診あり。
    定員的に、既に限界。
    様々交渉の結果、
    同行する広報担当の下村審議官にカメラを渡し、
    報道の代わりに現地映像を撮影してもらい、
    その映像を記者クラブに提出することで折り合う。
    現地入りのメンバー確定。
    行程案、メンバー案、総理了解。
    総理はこの間、執務室か地下の危機管理センターにいた。

    <一瞬だけ自宅へ>
    午前3時は過ぎていた。
    総理現地入りの大方の調整が終わり、少し時間が出来た。
    これから数日は帰れないと思い、
    官邸裏にある議員宿舎に着替えをとりに帰る事にした。
    合わせて、これから出向く現地入りでの万が一に備え、
    妻に会っておきたかったのもある。
    宿舎は官邸裏口から出れば、走って数分もかからない。
    裏口から出ると、深夜3時過ぎにも関わらず、
    目の前の大通りが大渋滞。
    全く車が動かない。電車が止まり、帰宅困難者大量発生の影響。
    走りながら馴染みの記者に電話をする。
    すると
    「いま緊急地震速報が出てる、場所は新潟!」と興奮した声。
    今度は新潟か、、と、日本が壊れるような想像が頭をよぎる。
    既に宿舎の目の前だったので、急ぎ自室に入る。
    テレビの情報を見ながら官邸に電話。
    直ちに戻る必要は無かったので、急いでシャワーを浴びる。
    着替えを沢山抱え、
    妻に、まもなく福島原発に行く事を伝えて官邸に戻る。

    今日はここまで。