2013年8月9日(金)

「体罰は指導効果ゼロ」4つの合理的理由

PRESIDENT 2013年3月18日号

著者
守島 基博 もりしま・もとひろ
一橋大学大学院商学研究科教授

守島 基博

東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了。イリノイ大学産業労使関係研究所博士課程修了。組織行動論・労使関係論・人的資源管理論でPh.D.を取得。2001年より一橋大学商学部勤務。著書に『人材マネジメント入門』『21世紀の“戦略型”人事部』などがある。

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一橋大学大学院商学研究科教授 守島基博=文 平良 徹=図版作成
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まず、第1に、体罰やこれらの言葉は、相手がどうすれば、何を努力すれば、その状況が好転するのかがわかりにくい。情報量が少ないのである。もともと、フィードバックという考え方は、システム制御論に端を発しており、システムの状態を修正し、より適切なものにしていくための情報提供を意味していた。したがって、優れたフィードバックとそうでないフィードバックの違いは、そのフィードバックが、どれだけシステム(ここでは人)の環境適応(ここでは成長)に役に立つか、ということであり、単に現状が間違っている、または環境に適応していない、という評価を与えるだけでは意味がないのである。どう間違っているのか、またはどう適応していないのかについての情報が伴わないと意味がない。いわば、どんなにフィードバックを与えても、今の行動がどう間違っていて、それを改善するためにどういうことをしなくてはならないかを示すか、またはその人自身が改善の方法を考えるヒントを与えないと優れたフィードバックではないのである。こうした成長へのヒントが乏しいという意味で、体罰や強い言葉による叱責は、フィードバックとしての価値が極めて低い。

「愛のムチ」が効果をもつための条件とは

そして、ここから体罰やそれに準ずる指導の第2の問題点が見えてくる。それは、しばしば成果や結果に重点が置かれ、成果に至るプロセスについての関心が弱いことである。システム論において、システムや人は、小さな適応を繰り返しながら理想とされる状態に行き着くと考えられており、そのなかで改善や改良など、少しずつの向上を目指すための仕組みがフィードバックである。だが、体罰やそれに準じる叱りや叱責などはそうしたプロセスを考慮せず、結果だけを求める状況で正当化されることが多いように思う。実際、今回のスポーツ界での体罰事件の報道でも、「勝たなければならないというプレッシャーで……」という正当化がしばしば聞かれた。

多くの企業で、成果主義的な評価・処遇制度の導入後、最終的に成果をあげることに大きな力点がおかれ、人材成長とか学習という概念が軽んじられる傾向にある。最近やっと若年層については成果よりも成長を求めるという企業も増えているが、逆に成果を求めることを強く強調する企業も目立ってきている。パワハラや体罰的な指導が多くみられるのは、成果強調型の企業や職場(「何が何でも売れ!」的な企業)で多いのは偶然だろうか。

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