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2013/08/17
今度の書評には、拙稿は一本も引用しないこと。
伊奈の本以外に引用するのは、船津(1976)とShibutani 1955=2013のみとすること。
評者は、大学院生の頃よりシンボリック相互作用論の研究に従事してきた経験を持つ。そのため、当然の流れとして、船津(1976)から強い影響を受けており、C・W・ミルズ理解について言うならば、その第5章「C・W・ミルズとシンボリック相互作用論」の圧倒的な影響の下にある。本書『C.W.ミルズとアメリカ公共社会』の著者である伊奈正人氏も、船津(1976)を、我が国におけるミルズ導入の嚆矢と位置づけている(?頁)。その船津によるミルズ評価の結論は、その理論体系が「未成熟にして未完成なもの」(船津 1976: 163)というものであった。このミルズ理解は、伊奈氏の<通説ミルズ>理解とも一致する(?頁)が、当然ながら<氏のミルズ理解>と一致するわけではない。
本書は、ミルズの社会(学)思想を、彼の「動機の語彙論」を中軸として再読しようとしたものである。結論を先取りするならば、本書の最大の意義は、ミルズの思想ないしは理論が「未成熟にして未完成なもの」<でなければならなかった>、その理由を積極的・肯定的に明らかにしたところにある。ミルズの思索のモットーからするならば、むしろ「成熟」した「完成」品として理論や思想を打ち立てること、それ自体が拒絶されなければならなかったのである。氏はこのことを、豊富な資料と文献を根拠に説得的に導き出している。
ミルズの生い立ち
ミルズにおける初期「動機」概念の、後期における陳腐化問題:「動機」論文と『性格と社会構造』
『ホワイトカラー』と『パワーエリート』
『社会学的想像力』
「拠り所のない立場」:SI流に言えば「準拠集団」がころころ変わるということ。じゃぁ、なかったのかと言えば・・・・▼
バークとバルザック
公共知識人としての使命:飽くなき自明性の剥奪と「届く言葉」。大衆の挑発=公衆の改造
誰のどの思想にも必ずその拠り所となるもの--いわゆる「パースペクティブとしての準拠集団」(Shibutani 1955=2013)--が存在する。「動機の語彙論」というパースペクティブに関して言うならば、ミルズにとっての準拠集団とは、K.バークの文芸批評(隠喩の隠喩)と、バルザックの人間喜劇であった(?頁)。バークの隠喩の隠喩を応用し、「人間喜劇の社会学バージョン」(?頁)を描くこと。これがミルズの思索の中核にはあった。そうであるからこそ、ミルズは「動機の語彙論を体系化することは終生なかった」し、「社会構造の体系も、不十分なままに放置」(?頁)せざるを得なかったのである。というのも、ミルズが自らに課した課題とは、常に新しい「動機の喜劇を描出」(?頁)し続けること、「新しい動機の可能性」(?頁)を模索し続けることにほかならなかったからである。
[文献]
船津衛、1976年『シンボリック相互作用論』恒星社厚生閣。
Shibutani, T., 1955, Reference Groups as Perspectives, The American Journal of Sociology, No. ??:?-?(=2013年、木原綾香ほか訳「パースペクティブとしての準拠集団」Discussion Papers In Economics and Sociology, No. 1301).
http://8155.teacup.com/interactionism/bbs/394
とてもではないが・・・・この本は解読不可能である。
書見(Reading)日記・書評の構成案
=http://megalodon.jp/2013-0816-1439-53/8155.teacup.com/interactionism/bbs/394
>>9
> ③ミルズ自身の「理論」とその「背景」と「対象」
> ④伊奈氏による「③」に対する「第3次的解釈」(宝月 誠)
> ⑤船津「ミルズ」との対比--ミルズ像の刷新とその実践的意義(←清水晋作[2012]「巻頭言」in『社会学研究』第91号)
>
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> >>2
> > 引用文献
> > ①http://ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/Shibutani1955=2013.pdf
> > ②船津衛(1976)『シンボリック相互作用論』恒星社厚生閣(第5章)。
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> > 評者の立場
> > ①大学院生の時より、シンボリック相互作用論の研究に従事してきた。その際、船津(1976)から大きな影響を受けてきた。そのため、評者のミルズ理解が、船津(1976)によるところが大きいことをまず断っておきたい。
> > ②ここ数年、シンボリック相互作用論の第2世代に位置するタモツ・シブタニの研究に取り組んでいる。最近、シブタニの論文である「パースペクティブとしての準拠集団」の翻訳に従事した(1955=2013)。その作業から得た(というよりも再確認した)最大の知見は、どのような人間の思想(ものの見方、パースペクティブ)も、その人間が依拠する社会的世界から獲得されたものであり、人間はその思想をもとに、自らが関心を抱く世界を定義し、その定義に基づいて行為を行う(アクションを起こす)、という知識社会学の基本テーゼであった。
> > 本書は、ミルズの理論(=パースペクティブ。なかでも動機の語彙論)が、どういう背景(社会的世界)から形成され、それが何(世界)に向けられていたのか、これを究明したものと捉えられる。以下、この書評では、ミルズのパースペクティブ、その出自、それが向けられた対象ないしは世界、この3点を伊奈氏がどのように捉えているのか、その紹介と検討を、私に内在する上記の①の影響を出来うるかぎり排除して、試みたいと思う。
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