朝日新聞
〜 朝日新聞 について、櫻画報
朝日新聞(あさひしんぶん)とは、朝日新聞社が製造する梱包材であり、主に焼き芋の包み紙や天ぷらの廃油処理用紙として使用される。梱包材の表面には「天声人語」と呼ばれる象形文字のポエムが印刷されており、毎朝欠かさず斉唱する熱心な信者を大勢抱えている。毎朝の出荷数は約800万部を誇り、日本国内で業界第2位である(日本三大梱包材メーカーの一角)。23世紀の未来には日本経済朝日読売新聞となる予定。
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[編集] 概要
日本国内の主要紙において、戦前から戦後、そして現在に至るまで、断固として基本理念を変えることの無かったほとんど唯一の梱包材メーカーである。その報道紋様に対する、決して揺らぐことのない姿勢、すなわち、「読者利用者第一主義」は梱包材兼廃油処理用紙のあらゆる部分において具体化されている。それゆえ、他の梱包材メーカーが何もしないときは奇妙な柄の梱包材に見え、他の梱包材メーカーが何かやっている時は品行方正な柄の梱包材に見えるという、光の当たり具合によって色が変化するマジックカラーを採用した梱包材である。以下では「消費者」を「読者」、「梱包材メーカー」を「新聞社」、「梱包材」を「新聞」と略する。なお、新聞に使われている紙の原材料は謎であるが、廃油の処理に適していることだけは確かである。
[編集] 報道姿勢
「読者第一主義」とは、読者の真に欲している品質を届ける、もしくは、読者の望む(もしくは望んでいるであろう)紋様を綿密に予測した上で構成する、ということである。つまり、現代の企業活動に不可欠となった市場のリサーチ、およびマーケティングである。まだ資本主義が未成熟であった大正期より、この手法を活用して新聞を作成していたことは驚愕に値する。
この「読者第一主義」は、新聞作成の現場においては、「文芸面の大胆な拡大」によって具体化されている。この手法を世界で最も早く発明したのは、確証こそないものの朝日新聞であるとされており、現在にいたるまで活用が続けられている。これは、文芸面などの一部の紙面を除いて事実のみの記述に徹するという一般の新聞の常識を覆し、無味乾燥に陥りやすい事実の網羅に終始するのではなく、一面や国際面、社会面などにも文芸作品を掲載し、紙面に潤いと同時に緊張を与えるという画期的な手法である。この「創作の全面的な導入」によっていくつもの歴史的な記事が執筆されている。
朝日新聞の屋台骨ともいえる「読者第一主義」をより徹底して取り入れたのが旧ソ連の新聞「プラウダ」である。「プラウダ」はこの手法を導入したこともあって順調に発行部数を伸ばし、一時期は世界一を誇っていた。ソ連崩壊による煽りを受けて現在は大幅に部数を減らしてはいるが、それでもロシア第2位の実力を誇る。
[編集] 特筆すべき記事
大正期の朝日新聞では、関東大震災における「不逞鮮人随所に蜂起」との報道が最も有名である。この報道が速やかに行なわれたことにより、不遜な働きをするに違いない朝鮮人の活動を事前に封じ込めることに成功している。もっとも、この功績は協力企業(読売新聞)の助力なくして成し得なかったことが後年判明しており、単独の功績として評価するべきかどうか意見の分かれるところである。
戦中期は、新聞報道も含めてほとんどあらゆる表現に対して「暗黒時代」と表現することも可能な時代であった。しかし、朝日新聞の基本理念にはいささかの揺らぎすらも生じはしなかった。政府や軍部によって、国民の真の声や真に望む記事の調査が極端に困難だったにもかかわらず綿密なリサーチが実施され、読者の望む紙面作りに邁進した。「撃ちてし止まん鬼畜米英」「1億玉砕火の玉だ」などの秀逸なスローガンの流布に勤めたのもこの時期の特色である。日本の敗色が濃厚になってからも論調については不動であり、国民の戦意高揚につながるような記事の掲載に尽力している。
周知のとおり1945年に日本は敗戦を迎え、混沌と激動の時代が訪れ、それは新聞においても例外ではなかったが、朝日新聞だけはその理念を変えることは無く、根底からの厳しい自己変革を迫られたその他の新聞とは対照的な存在であった。この時期においても朝日新聞の基本理念は揺るがないばかりか、さらに徹底して紙面に反映されることとなっており、新技術の育成にも積極的であった。この時期の特筆すべき記事に、1950年9月27日に報道された日本共産党幹部伊藤律との単独会見が挙げられる。これは、当時潜伏しており極めて接触が難しい状況にあった伊藤律に、当時朝日新聞記者であった長岡宏が世界初となるESPによる実用通信を試み、見事成功した事例である。本来であれば通信革命を引き起こすはずの記念碑的偉業であったが、世界のシステムそのものを根底から覆しかねないと危惧したGHQ(当時日本は占領下にあった)により徹底的に封印され、闇に葬られてしまった。その証拠に、現在入手できる朝日新聞縮刷版においては当該記事の部分は抹消されている。
その後、日本は「戦後」を脱し高度経済成長期へと移ることになるが、この時期においてもやはり朝日新聞の基本理念は変わることがなく一貫性を保っていた。特にこの時期の紙面は、北朝鮮や中国やカンボジアなど、閉鎖的であったり内戦直後であるなど、取材をするにあたって非常に困難を要する国の実情を報道することに力を入れている。北朝鮮については主体思想のもとに高度発展を遂げる姿を余すところ無く報じ、さらには当時の指導者金日成の素顔に接しさえしている。中国については大躍進政策によって鉄鋼生産に励む農村を取材し、運動の成功を予測して見事に的中させている他、失脚した林彪の死亡説を否定するスクープ報道を行っている。カンボジアについては、当時国際社会から虐殺者扱いされていたポル・ポト政権がそのような危険性はなく、しかもこの内戦中には「秘密警察的暗さ」もないとの事実を報道している。さらには粛清も起こらないであろうと予測し、これもまた見事に的中させている。これらの通常は窺い知ることのできない国の内情を記事にするため、あえて困難に立ち向かった朝日新聞の記者の努力は、「読者第一主義」に基づくいわば当然のこととはいえ、賛辞を送らずにはいられないであろう。その報道方針は20世紀を通して継続した。
だが、2000年代に入ると右へと動く社会の空気を読んで、紙面内容を密かに右旋回。自らが冷戦期に行っていた東側への言論を全否定し、新世紀のエリートたるグローバル人材にひたすら媚びる編集方針へと転換した。正に大東亜戦争の全肯定から全否定に次ぐ社論の大転換であり、今日も朝日新聞の編集部ではどこを直せば「批判のための批判を行うだけの新聞社」になれるかが真剣に議論されている。普通の大学教授はこの密かな転換に触れようとしないが、この内容を嘘と思うのなら朝日新聞の記事を1週間偏見を持たずに読むことを提唱する。
そんな読者一般に媚びる完璧なる無謬性を誇る朝日新聞の記事といえども作品に優劣はある。その中でも愚民の琴線に触れた朝日歌壇の名作を以下に紹介する。
- 1989年5月15日には、日本人のモラル低下に激しく警鐘を鳴らしたサンゴ礁「K・Y」落書き事件を報道。
- 2005年8月2日には、世界初の3者ESP対話の実用化にも成功し、長野県知事(当時)田中康夫と衆議院議員亀井静香との会談を記事にしてスクープしている。
- 2006年09月11日には、一見メンズスーツの新しいトレンドについてエビちゃんの人気等を交えて言及しているように見えるが、最後はポケモンショックのようにがらりと表情を変え、胸にワンポイントを入れるということだけを根拠に自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実が気になって仕方がないという結論に至るポエムを掲載し、東京大学入試にも穴埋め式問題として採用された。
- 2008年6月18日には、「永世死刑執行人 鳩山邦夫法相」「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」と、日本人の数を抑制する政治姿勢を評価すると共に、先達の検閲により削除やくぁwせdrftgyふじこlpを見習うよう奮起を促した。
- 2010年10月15日には、日本の癌患者の希望を粉砕すべく医療記事のホープ出河雅彦が「臨床試験中のがん治療ワクチン 『患者が出血』伝えず 東大医科研、提供先に」と一面報道。当事者の東大から突っ込まれるのはともかく、癌患者団体からも「歪曲報道もたいがいにしろ」とおしかりを受ける。しかしこれは「利益目的で被害者を作り出しては発表する」という朝日新聞社の伝統を無視した皮相な批判である。この一面記事のタイミングは、厚生労働省が政策コンテストにがん治療ワクチンを申請する1週間前である。癌末期患者に対する代替医療広告を主要広告主とする企業としては当然の防衛行為である。
このように「読者第一主義」の伝統は絶えることなく継承されていると言えるだろう。
[編集] ツンデレ
ツンデレとはつい意地を張ってしまい本心とは裏腹な態度をとってしまうことであるが、実は朝日新聞はそのツンデレである。そのことは朝日新聞の社旗からもうかがい知ることができる。右の画像は大日本帝国軍の軍旗である旭日旗と朝日新聞社の社旗を比較するために掲載したが、全体的に非常に酷似している。これは朝日新聞の本心を示しており、日頃自衛隊を非難している朝日新聞だが、実は自衛隊のことが好きなのである。
[編集] その他
- 最近では、朝日新聞のクリエイティブな紙面作りの伝統に敬意を表した「アサヒる」という動詞が生まれ、市民権を得ている。主に、まったく無の状態から何か(主に「事実」など)を創造した場合などに「アサヒった」などという。ただし、多くの既存メディアは直接間接にかかわらず朝日新聞の競合的立場であり、朝日新聞を賞賛する「アサヒる」という言葉について触れることはほとんどない。日本テレビは「重いっ霧照れ日」で取り上げてはみたものの、「アサヒる」の意味を「(朝日新聞のように)物事を執拗に追求する」と新たに創造してしまい、さらに高次元の「アサヒる」に挑戦したものの逆に視聴者に真意が伝わらなかったため、ごく一部のアサヒりマニアにしか評価されなかったという結末に終わった。また、当の朝日新聞はその奥ゆかしさからか、または王者の余裕からか、この言葉の存在そのものに対してまったく無視を決め込んでいる。しかし、新聞業界ではまったく他を寄せ付けない伝統を持つ朝日新聞ではあるが、ことテレビメディアにおいてはテレビ朝日という強力な事実創造メディアが日夜クリエイティブな報道を続けており、こちらの動向からも目が離せない。
- 記事原稿からは難しい単語を排除し、読みやすくなるように工夫している。以下に例を挙げる。ただし、かえって読みにくくなったという人もいる。
- 記事原稿に「虚偽の」という単語があると、印刷時に「うその」に自動変換される。
- 記事原稿に「収益」という単語があると、印刷時に「もうけ」に自動変換される。
- 記事原稿に「資金」という単語があると、印刷時に「おかね」に自動変換される。
- 記事原稿に「日本の」という単語があると、印刷時に「国の」に自動変換される。
- 記事原稿に「米国の」という単語があると、印刷時に「国の」に自動変換される。
- 記事原稿に「中国の」という単語があると、印刷時に「国の」に自動変換される。
- 記事原稿に「韓国の」という単語があると、印刷時に「国の」に自動変換される。
- 記事原稿に「当事国の」という単語があると、印刷時に「国の」に自動変換される。
- 「し」と「ひ」の区別が付かない江戸っ子度合いを測るのに、「あさしひんぶん」をいかにスムーズに繰り返して言える方法がある。
- 当然、日(太陽)の出てくる方向(東)と常に反対を向こうとする反日姿勢である…と思われたが、西と東で考えが違うようである。
- 1975年には在阪準キー局と在京キー局との関係を悪化させる結果となってしまう「大阪腸捻転解消」という革命を行った。
[編集] 競合の梱包材メーカー
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
全国紙 : | 読売新聞 - 朝日新聞 - 毎日新聞 - 日本経済新聞 - 産経新聞 |
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ブロック紙 : | 北海道新聞 - 中日新聞(東京新聞) - 信濃毎日新聞 |
スポーツ紙 : | スポーツ報知 - 中日スポーツ - デイリースポーツ |
夕刊専門紙 : | 東京スポーツ(大阪スポーツ) - 夕刊フジ - 日刊ゲンダイ |
その他 : | 虚構新聞 - 聖教新聞 - 生協新聞 - ワシントン・タイムズ - 朝鮮日報 - 朝日新聞 (ちょうにちしんぶん) - 日本経済朝日読売新聞 - 日刊電波新聞 - 学級新聞 - プププ新聞社 |
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