「外道」が「村八分」に哀悼の意を表した。
日本の伝説的ロックバンド・村八分のギタリストとしてロックシーンに大きな影響を与えた山口冨士夫さんが14日、都内の病院で亡くなった。64歳だった。
警視庁福生署によると、山口さんは7月14日、福生市の路上で米国人の男(32)に突き飛ばされて後頭部を痛打。急性硬膜下血腫と診断され、一時は意識不明の状態だったという。男は今月9日に傷害罪で起訴された。葬儀は、近親者のみで執り行い、後日お別れの会が開かれる。
山口さんはグループサウンズブーム全盛期の1967年、「ザ・ダイナマイツ」を結成し「トンネル天国」でデビュー。69年に解散し、村八分を結成。73年の解散まで、独自の日本語スタイルと超越的なギター奏法で日本のロック界に変革をもたらした。その後、「裸のラリーズ」を経て89年には「TEARDROPS」でメジャーデビュー。故忌野清志郎さんとも共演した。
プロレス界で山口さんの大ファンとして知られるのが、新日本プロレスCHAOSの頭脳で、IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカの参謀・外道(44)。村八分のBOXから、TEARDROPSのCDまで全部所有しているという外道は、訃報に接するなり「えっ! マジかよ?」と絶句。しばらく沈黙の後「最近は生きてるのか死んでるのかサッパリ分からなかったけどよ、まさかこんなに早く逝くとは思わなかったよなあ…」といつもの極悪非道なファイトからは想像もつかない沈痛な表情を見せた。
くしくも村八分が解散した73年には、同名の伝説的ロックバンド「外道」がデビュー。「そのへんも引っかかるよなあ…」。ちなみに一番のお気に入りには「『いいユメみてね』(90年)だ。あれはいい曲だった」とTEARDROPSのラストシングルを挙げた。
ドラッグ、逮捕、放送禁止など破天荒な人生を送ってきた山口さんだが、故人から「道から外れる生きざまの美しさ」を学んだという外道は「心よりご冥福をお祈りします」と神妙に追悼の意を表した。
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