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アジア侵略の象徴と見られている靖国神社に今年も多くの議員が参拝したようだが、この神社の焼却を阻止したという司祭は闇資金に深く関与、CIA人脈に属していた
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毎年のように、8月15日が近づくと靖国神社が問題になる。今年も例によって「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーが参拝、その数は102名で、閣僚からは新藤義孝、古屋圭司、稲田朋美が参加、同会とは別に、野田聖子、石原慎太郎が参拝したようだ。
建前はともかく、こうした議員が靖国神社を参拝する真の目的は知るよしもないが、明治維新から間もなくして始められたアジア侵略を正当化していると国外から見られるのは当然のことである。 この神社の来歴を振り返ると、創建は1869年。当初の名称は「招魂社」だった。1879年には現在の名称に変更され、所轄は第2次世界大戦に日本が敗れるまで陸海軍省。日本軍と一心同体の関係にあったわけだ。天皇を「現人神」だと教育するカルト国家だった戦前の日本において、招魂社/靖国神社は支配システムで重要な役割を果たしていた。 こうした歴史があるため、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の内部でも将校の多数派が靖国神社の焼却を主張したというが、これを阻止したのがイエズス会のブルーノ・ビッテル(ビッター)とメリノール会のパトリック・J・バーン、ふたりのカトリック司祭だったという。 ビッテルは1898年にドイツで生まれ、1920年にイエズス会へ入り、アメリカで過ごしてから1934年に来日している。ニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だとされているが、この枢機卿はCIAと教皇庁を結ぶ重要人物だった。 このビッテルを多くの日本人が知るのは経済犯罪に絡んでのことであろう。今と違って国外へ自由に出られない時代、日本人エリートは海外旅行する際、日本カトリック教団本部四谷教会のビッテルを介して「闇ドル」を入手していたとされている。霊友会の小谷喜美会長もビッテルからドルを手に入れたのだが、これは法律に違反した行為であり、事件になってしまう。 この事件でビッテルも逮捕されたのだが、警視庁が押収した書類は「ふたりのアメリカ人」が持ち去り、捜査は打ち切りになった。秘密裏に犬養健法相が指揮権を発動したと言われている。 ビッテルは旅行者の便宜を図っていただけではない。1953年にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任するが、その副大統領はリチャード・ニクソン。当時は若手で大抜擢だが、その理由は闇資金の調達にあったと信じられている。 一般に企業の闇献金だとされているのだが、月刊誌「真相」の1954年4月号によると、実際の原資は闇ドルの取り引きで蓄積された儲けだったという。1953年秋にニクソンは来日するが、その際にバンク・オブ・アメリカの副支店長を大使館官邸に呼び出した。その際、闇資金の運用についても話し合われるのだが、この会議にビッテルも同席したとされている。 ニクソンが来日する6年前、衆議院決算委員会で「日銀の地下倉庫に隠退蔵物資のダイヤモンドがあり、密かに密売されている」と発言した人物がいる。衆議院議員だった世耕弘一だ。石橋湛山蔵相を委員長とする「隠退蔵物資等処理委員会」で副委員長を務めたことでも知られている。世耕弘一の孫が世耕弘成。この隠退蔵物資を摘発する目的で1947年に設置されたのが「隠匿退蔵物資事件捜査部」、後の東京地検特捜部だ。 この「隠匿退蔵物資」には日本軍が保有していた「表の物資」だけでなく、戦争中に中国をはじめとするアジア地域で略奪した財宝、いわば「裏の物資」が含まれていた。そうした略奪財宝を日本へ運ぶ中継基地がフィリピンだったが、途中で戦況の悪化によって輸送が困難になり、フィリピンで隠されることになる。 この財宝が1986年から世界的に注目されはじめた。この年にアメリカ軍がフィリピンの独裁者、フェルディナンド・マルコスを国外へ連れ出し(ポール・ウォルフォウィッツの命令だったと言われている)、裁判が始まって情報が漏れ始めたのだ。 靖国神社は血の臭いだけでなく、カネの臭いも強烈だ。
最終更新日
2013.08.16 21:50:53
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