福井工大の放射性物質を取り扱う実験室で、作業する大津咲さん(右)=福井市
2011年の東京電力福島第1原発事故後、大学の原子力に関連する学科への入学状況が低調な中、「正しい情報を伝えたい」「廃炉の研究をしたい」と、あえて原子力分野を選ぶ学生もいる。福井工業大や福井大の専門学科では県外出身者も目立ち、使命感を持って学んでいる。
▽被災体験生かし
父親の仕事が原子力関連で「身近な存在だった」という福井工業大原子力技術応用工学科3年の大津咲さん(20)は、自宅のある茨城県大洗町で被災した。「テレビもラジオも通じず、原発があんな大変なことになっているのを知ったのは2、3日後だった」
当時は「正直なところ知識がなく、これは危ない、外に出ない方がいいなと思った」というが、被災生活を通じ「電気のありがたみを痛感した。経験を生かし、原子力を理解してもらえるような仕事をしたい」と考えるようになった。
全国最多の14基の原発が立地する本県で、技術者の育成を担う福井工業大。大津さんらが所属する学科(定員25人)への12年度の入学者は10人で、前年度の34人の3分の1以下に激減した。13年度は16人と多少回復したものの、元県原子力安全対策課長の来馬克美教授は「事故後、原子力から少し距離を置こうというムードが県内の高校側にあったようだ」と話す。
事故を受け、同大は危機管理学や災害対応実習を盛り込んだ人材育成プログラムを新たに策定。来馬教授は「原子力では危険な物を扱っていると理解するのが大前提だが、(運転開始から)時間が経過し、油断があった。今回の事故はその典型だ」とした上で「放射線や原子力の知識とともに、他人の意見を聴くコミュニケーション能力を持つ技術者の育成が重要だ」と指摘する。
▽内定蹴って
事故によって、進路を変えた学生もいる。福井大大学院博士課程1年の松橋和也さん(22)=原子力・エネルギー安全工学専攻=は香川大で発光ダイオード(LED)を学び、数社から内定を得ていた。だが事故後に就職を取りやめ、原発の廃炉の研究ができる福井大への進学を決めた。
敦賀原発や美浜原発から30キロ圏内の滋賀県長浜市の出身。家族からは「なんで今になって行くんや」と心配されたが、「自分に関係ないものではなくなった」と考えた。
「敦賀原発は古い。数年すれば廃炉の方向になっていくのは間違いないが、若手の研究者はいない。誰かがしなければならないなら、僕がやりたい」と松橋さん。
▽人材必要
福島第1原発の廃炉に向け、東電が必要となる技術を挙げた資料について、松橋さんは「明らかに現実的ではない技術が含まれている」と手厳しい。研究を進め、将来は同原発の廃炉にも関わりたいという。
柳原敏・福井大客員教授は「廃炉には後ろ向きのイメージがあるかもしれないが、次の段階に進むためには避けられない過程だ。合理的に作業を進めて廃棄物をなるべく少なくするにはどうすればよいかなど、総合的に考える人材が必要だ」と話している。