1985年のシーズン最終盤。阪神のランディ・バースが54号を打ち、残る2試合の相手は王監督が率いる巨人だった。結果は9打席で6四球。王監督は敬遠を命じなかったとされるが、最終戦では「ストライクを投げたら、1球につき罰金1000ドルを投手コーチが課した」と、当時在籍した外国人投手が後に自著で暴露している。バースが試合前に発した「記録達成は無理だろう。私はガイジンだから」という予言は的中した。
その16年後、タイ記録を達成したのは外国人のローズだった。新記録の可能性を残し残り3試合で迎えたダイエー(現ソフトバンク)戦で、敵軍の指揮官はまたも王監督。ローズは4打席18球のうち2球しかストライクがなく、2打数無安打2四球に終わった。王監督が不在のミーティングでバッテリーコーチが「王さんは記録に残らなければいけない人。外国人に抜かれるのは嫌だ」と敬遠を指示したとも伝えられている。ローズは試合後「日本プロ野球に失望した」とコメントしている。
翌年にカブレラがタイ記録をマークした時点では、まだ7試合が残っていた。だがその後は16打席で14四死球とやはり勝負してもらえず、新記録はならなかった。
本紙評論家の金森栄治氏は当時西武の打撃コーチ。「50本を過ぎると、メディアや球界がざわざわして、本人も緊張しだした」と振り返る。
相手投手も不名誉な形で名前を残したくないから、まともにストライクが投げられなくなる。だが金森氏は「日本人にはないパワーを求め、本塁打を打ってもらうために獲ってきながら、いざとなったら“外国人に本塁打記録を破られるのはイヤ”では筋が通らない」という指摘はまさに正論だ。
須藤氏も「王の当時の苦労を知っているから、本心では不滅の記録であってほしいとも思う。でも四球で逃げて記録を守ったところで、日本野球の進歩はない。野手がメジャーでまたはね返されるだけだ。もっと“骨太”にならないといけないね」と奮起を促す。
今年更新されると「飛ぶ球になったから」とケチもつくだろう。しかし、記録は破られるためにある。バレンティンはシーズン終盤、まともな勝負を挑んでもらえるだろうか。