特集ワイド:憲法よ 医師・中村哲さん
毎日新聞 2013年06月06日 東京夕刊
社会主義者でありながら愛国主義者で儒教的な道徳を重んじた父から幼い頃、論語を読まされた。意味も分からず繰り返し唱えた倫理は、後にキリスト教徒となった今も心にある。イスラム教徒たちに囲まれて暮らした29年間でたどりついたのは「宗教は異なっても人が生きる上での倫理はそう変わらない」という実感だ。「道徳や倫理は完璧に守れるものではない。何とか守り、実行しようと努力することが人間を大きな誤りから押しとどめてきた。憲法も同じ。倫理を多数決で変えようなんて筋違い」
救おうとしてもなお、干ばつ、病気、戦闘で人の命が失われていく国にいるからこそ、日本にいる人より、憲法をリアルに感じられるのかもしれない。
あなたにとって9条は、と尋ねたら、中村さんは考え込んだ後、「天皇陛下と同様、これがなくては日本だと言えない。近代の歴史を背負う金字塔。しかし同時に『お位牌(いはい)』でもある。私も親類縁者が随分と戦争で死にましたから、一時帰国し、墓参りに行くたびに思うんです。平和憲法は戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万人の人々の位牌だ、と」。
窓の外は薄暗い。最後に尋ねた。もしも9条が「改正」されたらどうしますか? 「ちっぽけな国益をカサに軍服を着た自衛隊がアフガニスタンの農村に現れたら、住民の敵意を買います。日本に逃げ帰るのか、あるいは国籍を捨てて、村の人と一緒に仕事を続けるか」。長いため息を一つ。それから静かに淡々と言い添えた。
「本当に憲法9条が変えられてしまったら……。僕はもう、日本国籍なんかいらないです」。悲しげだけど、揺るがない一言だった。【小国綾子】
==============
◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
==============
■人物略歴
◇なかむら・てつ
福岡県生まれ。九州大医学部卒。ペシャワール会現地代表。ピース・ジャパン・メディカル・サービス総院長。2003年マグサイサイ賞。アフガニスタンで1万6500ヘクタールの農地復活を目指す「緑の大地計画」に尽力中。