慈恵医大の記者会見 今回のディオバンを巡る不正論文問題は、京都大学の由井芳樹講師が12年4月に英医学誌「ランセット」でJHS試験に疑義を訴えてから本格的に「炎上」し始めた。しかし、JHSと、KHSの結果については、かなり前から専門医の間で「おかしい」と訝る声が出ていた。
ディオバンを投与すると、それ以外の薬(ARBを除く)を投与した患者に比べて脳心血管イベントを39%抑制できる──。JHS(約3000例、追跡3年半)の試験結果がランセットに掲載されたのは07年だった。過去に、海外で同様の大規模臨床試験がいくつもあったが、いい結果はなく、ディオバンなどARBは、それ以外の薬剤に比べて脳心血管イベントを抑制するどころか、逆に増やすという見解もあったくらいだったので、JHSの結果は衝撃的だった。しかし、首を傾げる専門家も多かった。例えば、東京大学大学院の山崎力教授(医学系研究科臨床研究支援センター)は09年初頭に発刊された著書『医学統計ライブスタイル』(SCICUS発行)のなかで、この試験結果を「限りなく黒に近い灰色」と断じている。
医師と患者が投与する薬を予め知ったうえで試験をするPROBE法が採用され、エンドポイントに医師の判断でどうにでもなる「狭心症による入院」と「心不全による入院」が入っていたからである。入院させるかどうかは医師の判断次第で、バイアスが働きやすい。実際、ディオバン投与群と非投与群で、脳卒中や心筋梗塞は差がついていないのに、狭心症と心不全の入院は、圧倒的にディオバン群が少ない。山崎氏は、それが39%のイベント抑制という驚異的な結果数値につながったと見て、「黒に近い」と言い切っている。
そして09年、今度は欧州心臓病学会誌がKHS(約3000例、追跡3年半)の試験結果を掲載する。ディオバン群が非ARB群に比べて脳心血管イベントを45%減少させる──。JHSを上回る驚愕の数値だった。しかし、学会発表の舞台上で、欧州の専門医が、この結果を怪しんで、冷ややかなジョークを飛ばした。「本当にしてはかなりよすぎる。実の母親にはACE阻害薬を使うけど、嫁の母親ならARBでもいいかな」。
KHSもJHSと同様にPROBE法を採用し、エンドポイントに狭心症や心不全による入院を使っていた。東京都健康長寿医療センター顧問の桑島巌氏が09年の日本高血圧学会で疑義を唱え、大論争となったこともある。
外国人「指南役」の謎
データ操作以前の試験デザインで、これだけ疑義が生じていたのである。JHS、KHSには海外医学誌に論文を投稿する際の「指南役」として、スウェーデンの医師、ビヨン・ダーロフ氏が参加している。どうやら投稿にも「コツ」があるらしい。ダーロフ氏は、PROBE法を考案した故ハンソン教授の弟子筋に当たるとされるが、JHSとKHSのエンドポイントに、狭心症と心不全の入院が入っていることを知っていたのだろうか。現時点では、わからない。
論文を掲載したランセットや欧州心臓学会誌に対しては「どうして査続が通ったのか理解に苦しむ」との指摘がある。「権威ある医学誌」と言われるランセットは昨年、由井教授の疑義を掲載、今後、JHS論文を撤回することになりそうだが、今さらネットサイトの管理人のように、「我われは議論の場を提供しているだけ」と開き直ることはできまい。査読体制の再検証と引き締めに迫られるだろう。
ディオバン問題には、もうひとつ忘れてはならない重要な背景がある。企業間の熾烈なプロモーション合戦である。今回の問題で、あたかもディオバンだけが売上げを伸ばしていたかに言われるが、実は、そうではなく日本のARB市場全体が海外に比べて異常に大きいのである。各企業がお互いに切磋琢磨してプロモーションを強化し、市場を膨らませてきた。しかし、果たしてそこに行き過ぎはなかったか。再考するいい機会だ。