この見出し、どうかと思います。
朝日新聞デジタル:「暑くてイライラ」小6女児、自宅に放火した疑い 千葉 – 社会
「暑くてイライラ」して放火した?
12日午前9時45分ごろ、千葉県我孫子市の無職女性(44)方から出火、木造平屋の住宅約60平方メートルが全焼した。
我孫子署は、この家に住む小学6年の女児(12)が両親の寝室のふすまに火を付けたことを認めたとして、女児を現住建造物等放火の非行内容で児童相談所に通告した。
女児は「暑くてイライラした。母と暮らすのが嫌になった」と話しているという。
この朝日新聞のタイトルは、まるで「暑くてイライラしたこと」が「原因」で、自宅に放火したように見て取れます。見出しだけ見て、そう感じた人も多いのではないでしょうか。「暑くてイライラして放火するなんて、最近の子どもはどうなってるんだ!?」と。
しかし、記事本文をよくみると「暑くてイライラした。母と暮らすのが嫌になった」という記述があります。冷静に「母と暮らすのが嫌になった」まで読めば、本当の原因は家族関係に問題があるのではないか、と類推することができます。
詳細が分かっていない時点ではありますが、この事件のより正しく伝えるのなら、「暑くてイライラ」を強調するのではなく、「母と暮らすのが嫌になった」を強調すべきでしょう。合理的に考えて、「暑くてイライラした」ことが、放火の根本的な原因であるとは考えにくいからです。
この事件を報道する方々が「暑くてイライラ」を「あえて」強調したとしたら、そこにはメディアの露悪趣味が見て取れます。
つまり「『暑くてイライラ』という表現を使えば、多くの人の関心を引き寄せ、あわよくば色々なツッコミも入るのではないか」という、ページビュー至上主義的な期待ですね。こうしてぼくのような人間がツッコミを入れることも、もしかしたら想定の範囲内なのかもしれません(流石に考えすぎでしょうけど)。
ジャーナリストたちに邪心があったかどうかはともあれ、この報道の仕方が、誤解を招きかねないものであることは事実です。
この報道によって、結果的に小6女児の「異常性」が浮き彫りになってしまいました。本当にそんな異常性が存在しているかどうかは、まだわからないのにも関わらず。
どうしても言葉を強調して報道するのなら、ここは普通に「母と暮らすのが嫌になった」という言葉の方を選ぶべきでしょう。この言葉にこそ、社会的に注目すべき価値がある可能性が高いです。「暑くてイライラした」という言葉ではなく。
「異常性」をことさらに掻き立てるマスメディア的な切り貼りは、しばしば根本的な原因に対する注目を逸らす結果を与えます。この件についても、女児が社会から「異常」だと見なされ、そのまま排除されてしまうのでは、という懸念を抱いてしまいます。