【宮崎園子】米軍のB29爆撃機が投下した1トン爆弾が鉄道駅を直撃し、多くの市民が犠牲となった「京橋駅空襲」から14日で68年。大阪市のJR京橋駅南口近くに設けられた慰霊碑前で被災者慰霊祭が開かれ、被災者や遺族ら約250人が集まった。
空襲は、終戦前日の1945年8月14日昼にあった。旧国鉄京橋駅近くの大阪砲兵工廠(こうしょう)を狙ったとみられる爆弾が満員電車が到着したばかりの駅ホームを直撃。氏名が判明しているだけで二百数十人、実際は500〜600人が犠牲になったとされる。
慰霊祭の世話人会会長、京極俊明さん(82)は、生存者の一人。当時は旧制中学2年で、列車で帰宅途中だったが、空襲警報が鳴り、同駅で下車していた。「当時を知る人が年々亡くなり、戦争を知らない人が増える中、語り継ぐことが私たちの使命」と語る。