西宮は阪神間の中央に位置し、環境のよい住宅地として発展してきました。中でも西宮七園と呼ばれる場所は、大正から昭和初期にかけて開発された高級住宅街で、昭和園、甲風園、甲陽園、苦楽園、甲東園、甲子園、香櫨園と、いずれも園がついています。 西宮七園のなかで、昭和園と甲風園だけが昭和時代にできたもので、他はもっと古く、甲子園は野球場、甲陽園は遊園地、苦楽園は温泉地、香櫨園は海水浴場といったリゾートの街、別荘のある街として栄えました。
大正10年(1921)に阪急今津線(当時は西宝線)が開通して、さらに便利になった西宮北口。神戸・大阪・京都・宝塚を結ぶターミナルとしてにぎわいました。西宮北口駅の北西部に開発されたのが昭和園と甲風園です。昭和園は昭和という元号にちなんで付けられた通り、昭和2年に高級住宅地として宅地開発されました。甲風園ができたのは昭和6年(1931)のことです。どちらも利便性が優れた静かな住宅地でした。今は昭和園という地名はありませんが、北昭和町・南昭和町という町名にその名残があります。
1950年代、昭和園には、当時既に人気女優だった森光子さんが住んでいました。テレビ番組で共演していた藤田まことさんも近くだったことから、テレビ局まで一緒に車で行く姿が見られたとか。その後、森光子さんは39歳で東京へ拠点を移し、さらに活躍をされました。
「私は子どもの頃、銭湯のそばで森光子さんと会ったことがあります」というのは、阪神間の文化に詳しい、文化プロデューサーの河内厚郎さん。 「森光子さんは、宝塚にあった宝塚新芸座の看板女優のような存在でしたし、近くに宝塚映画の撮影所があったり、テレビ局がある大阪に行くのにも便利だったんでしょう。当時は歌舞伎役者、映画関係者、伝統芸能の師匠など、芸能関係者や文化人が数多く住んでいました」と聞くと、庶民が憧れるような街だったことが想像できます。
「昔の昭和園は屋敷が立ち並び、日本家屋に洋風の書斎があるような和洋折衷のモダンなつくりの家が多く見られました。商店街は駅の東側にあり、この西側は本当に静かな住宅街でした。1970年代になって少し店が増え、個性的な店がありましたね。たとえば、線路沿いの民家の一画にあったジャズ喫茶。店の外観がコンクリートの斬新なデザインで、落ち着いた店内で聴くジャズは心地よくて人気がありました。年月を経て店は様変わりしましたが、阪神間には、商売を大きくするより自分の人生を生きたいと考える人が多いのか、はやっている店でもスパっと閉めて、次の道を行くということがあります。自分の人生こそが文化、という感じなのでしょうか」(河内さん)
阪神間モダニズムは大正時代から始まり、戦争で途絶えたものの、戦後の高度経済成長時代までその影響は続いていました。日本人の感性に沿いつつ西洋文化の影響を巧みにとり入れた生活スタイルなど、文化を大切に育む人が住む、伝統ある街なのです。
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