ちょっと思うところがあり、慰安婦問題に関する過去記事のスクラップを読んでいて、目に付いた記事がいくつかありました。平成5年8月の河野官房長官談話に関係していると思われるものです。いずれも、知っている人はとっくに知っていることなのでしょうが、興味深く感じたのでそれを改めて紹介したいと思います。まずは、同年3月24日付の毎日新聞と同25日付の朝日新聞の記事からです。
・毎日 「従軍慰安婦 『強制連行』広く定義」「政府が新見解 精神的圧迫も含める」
・朝日 「『強制』幅広く認定」「従軍慰安婦調査で政府方針」「精神的苦痛含めて判断」
この二つの記事は、3月23日の参院予算委員会での谷野作太郎内閣外政審議室長の答弁と、政府関係者のオフレコのコメントをもとにしたものです。谷野氏は河野談話作成にもかかわった、外務省で中国課長などを歴任したチャイナスクールの重鎮です。後に中国大使も努めており、福田康夫元官房長官の小学校時代の同級生としても知られていますね。で、その谷野氏の「強制連行」の定義についての答弁は、朝日によると次のようなものでした。
「物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、あるいは畏怖させて、本人の自由な意思に反してある種の行為をさせること」
これについて朝日は、《「強制性」について、たんに物理的な強制があったかどうかだけでなく元慰安婦の「精神的苦痛、心理的なものも含めて」(政府首脳)判断することを決めた》と書いています。現在は、政府首脳のクレジットで記事を書く習慣はほぼなくなりましたが、以前は政府首脳とは官房長官のことを意味しました。つまり、これは河野氏のことでしょう。
一方、毎日の記事も《強制連行の定義が焦点となっていたが、今回の政府判断は「本人の意思」に反していたかを基準とし、脅かしや精神的圧迫による連行も含めたことになる》と同様の趣旨のことを書いています。こうしてみると、当時の宮沢内閣、少なくとも河野氏と谷野氏の間では、政府調査で慰安婦強制連行の証拠が出てこなくても、何とか「強制性」自体は認めようという話し合いがついていたことがうかがえます。
やはり河野談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は、産経新聞の取材に対し、韓国側が「とにかく強制を認めてほしい」という趣旨のことを要請してきていたことを証言しています。そうしたこともあって、宮沢内閣が河野談話に向けて、路線を敷いていたというか、布石を打っていたというか、そういう当時の空気が分かる記事だと思いました。でもねぇ、こうまで「強制性」の定義を広げてしまうと、私たち会社員が出勤したくない内心を抑えて職場に向かうのも強制になりかねません。将来に禍根を残した愚かな判断だったと思います。
さて、次は社民党の福島瑞穂党首がまだ議員になる前、やはり慰安婦問題で、少なくとも二度にわたって朝日に登場していましたので、その記事についても報告します。平成4年1月11日に、加藤紘一官房長官が慰安婦に対する軍の関与を認めたことに対する福島氏のコメントが、1月12日付の朝日にこう載っていました。
朝鮮人元従軍慰安婦らの戦後補償裁判の代理人で弁護士の福島瑞穂さん 今までがひどすぎたとはいえ、政府が軍の関与を認めたことは大きな前進だ。元慰安婦の方々は、日本政府のこれまでの無責任な対応への怒りこそが提訴に踏み切ったきっかけだった、と言っている。今後裁判の中で国の責任を明らかにしていくつもりだが、日本という国家がこのような犯罪を犯したことの意味を、日本人一人ひとりとして問い続けていきたい。
また、河野談話発表の直前、5年7月29日付の朝日には、ソウル発で「韓国での政府調査オブザーバー参加 福島瑞穂弁護士に聞く」「『体験聞いて』元慰安婦真剣に」という記事が顔写真付きで掲載されていました。河野氏は何ら物的証拠がなかったにもかかわらず、「強制性」を認めた根拠として、韓国での元慰安婦の聞き取り調査結果を挙げていますが、その調査に福島氏が加わっていたというだけで、調査の信憑性が疑われるというものです。
記事の中で福島氏は「政府が真剣に話を聞いていただけに、報告書にどう反映されるか厳しく問われる。(中略)慰安婦制度そのものの強制性を、政府は認識したと思う」「政府だからこそできる資料発掘をもっと本気で進め、慰安婦政策をだれがどう決めたのか、全容解明につなげてほしい」などともっともらしく語っていましたが…。
さらに、平成4年5月1日付の朝日は、この問題で北朝鮮側に立った大きな特集記事を掲載しています。5本も見出しがついているほか、年表まで添えられいます。でも、それによって逆に、慰安婦問題をクローズアップし、社会問題化してきた主体が朝鮮総連であり、日本から戦後補償を獲得することが目的だったことが分かる記事にもなっています。
見出しを拾うと、「慰安婦・強制連行『戦後補償を』」「『北』側からも高まる声」「朝鮮総連系団体が調査や集会」「『植民地支配』を問う」「在日の『南北』が連携も」とありました。なんだかこれを読むだけで、笑ってしまいそうになりました。露骨というか、分かりやすいというか。この記事のリードは、「この問題への朝鮮総連の本格的な取り組みは、進行中の日朝交渉にも微妙な影響を与えそうだ」と締めくくっています。いやあ、総連は大いに喜んだでしょうね。
今回、河野談話前後のスクラップをひっくり返して改めて印象を受けたのは、当時の言語空間のいびつさです。慰安婦問題の実態についてはあまり知られておらず、当時は弊紙も「従軍慰安婦」と「従軍」のついた誤った用語を何度も使っていましたし、元慰安婦の証言は一切疑問をはさまれることなく、検証もなしにそのまま真実として流通していました。また、朝日だけでなく、毎日や東京も女子挺身隊の名で慰安婦を強制連行だなんてでたらめを自明の事実であるかのように書いています。テレビの放送内容はスクラップにありませんが、輪をかけたいいかげんなものだったでしょうね。
決して宮沢内閣や河野氏をかばうつもりはありませんが、ネット空間をはじめとし、さまざまな言論が存在する現在とは全く違う当時の空気をみると、河野談話が生まれた理由が分かるような気もしました。繰り返しますが、だからといって許すつもりはありませんが。ともあれ、情報の流通と事実との関係、メディアの役割と実際できることは何なのか…と、過去記事を眺めながら、うまく書けませんが何か再び壁に突き当たったような気分になったのでした。
by 伊佐柳若人
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