伝える2013夏:命、大切につないで 障害持つ被爆者・新谷幸枝さん、戦争体験を紙芝居で訴え /広島
毎日新聞 2013年08月02日 地方版
「命は大切にね。1回ぽっきりじゃけね」。広島市安佐北区の新谷幸枝さん(79)は、戦時中の実体験を基に描いた自作の紙芝居を子どもたちに読み聞かせた後、ゆっくり諭すように語りかけた。生まれつき股関節脱臼の障害があり、劣等感から自殺を図ったこともある新谷さん。この20年間、地域で紙芝居の上演を続けており、「命の大切さを伝えていきたい」と話す。
米軍による原爆投下時、新谷さんは11歳。爆心から約20キロ離れた広島県三入村(現広島市安佐北区)の自宅にいた。当日午後から近くの三入小学校にたくさんの被爆者が運び込まれ、母と共に救護活動に携わり、救護被爆した。けが人にはうじがわき、校舎の天井はハエで真っ黒。近くの河原では何十体もの遺体が焼かれた。
しかし、多くの人が命を落とす現場を見ても、自分の命は大切にできなかった。障害のため歩行のバランスが悪いことを気にするあまり、同年9月、枕崎台風で増水した自宅近くの川に身を投げようとした。気付いて引き留めた父親は、新谷さんの頬をたたき「命は一つしかないけんよ」と諭した。「命は一つ」という父の言葉は、新谷さんの胸に深く刻まれた。
中学では通学距離が延びて足の痛みが増し、人目を気にしたことから不登校に。しかし、友人に誘われ洋裁や茶道を習う学校に通うようになり、だんだんと立ち直っていった。
1989年に公民館の文化教室で紙芝居の作り方を習い、戦時中のひもじさを作品にして小学校で上演した。これが好評で、地域の学校や公民館、大阪のホールのこけら落としなど、幅広く上演するようになった。
これまでに描いたのは約30作品。三入小学校での救護体験や、食料不足でイナゴを食べたこと、父に自殺を止められた話も描いた。作品は蛍光絵の具を使い、部屋を暗くしてブラックライトで照らし、絵を暗闇に浮かび上がらせる。数年前からは紙ではなく大きな布を使っている。いくつかは絵本にして「森本マリア」のペンネームで自費出版した。
紙芝居の後は、かつて働いた洋裁店の男性店主が使っていた義手も見せる。戦時中に軍隊で右手を失い、亡くなるまで使っていたものだ。出征兵士の武運長久を祈って作った「千人針」や防空ずきんも紹介し、戦時下の暮らしを理解してもらう工夫を凝らす。