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集団的自衛権の政局 - 安倍晋三の暴走を包囲するシフト
昨夜(8/12)、報ステで集団的自衛権の問題の特集報道をやっていた。内容は、ほぼ正面からの、行使容認に反対する論調だったと言っていい。集団的自衛権行使の全面解禁を提言する安保法制懇のメンバーである、北岡伸一と岡崎久彦も映像で出演させていたが、この特集の主役は、阪田雅裕(元法制局長官)と柳沢協二(元防衛研究所長・元内閣官房副長官補)の2人で、特に柳沢協二による行使容認反対論だったと言っていい。柳沢協二は、2004年から2009年まで、小泉政権から麻生政権までの歴代内閣の官房副長官補を務めた人物で、まさにプロ中のプロの防衛官僚のエキスパートである。喩えて言うなら、安全保障行政の石原信雄と呼ぶに匹敵する。防衛実務の法制論や運用論に関してなら、この官僚の知識と説明に勝てる者はいないだろう。柳沢協二が、集団的自衛権の憲法解釈変更に反対の論陣を張ったことは、実に政治的に意味が大きく、この策動に恐怖し反対するわれわれを勇気づける。96条改憲の政治戦での小林節の活躍と威力を想起させるような、そんな期待と予感を市民に抱かせる。小林節が96条の論壇に登場し、口を開いて立憲主義の正論を吐いた途端、96条改悪を目論む輩は一瞬で論破され粉砕された。国会で多数を握っているにもかかわらず、世論の多数支持を得て発議へと持ち込んで行くことができなかった。


柳沢協二の議論には説得力を感じる。それはなぜかと言うと、言葉と表情に真摯さがあり、嘗て国民が官僚に信頼を寄せていた根拠を証するような、知性や責任感の縁(よすが)を微かに感じ取るからである。一方の憲法解釈変更派の北岡伸一と岡崎久彦は、この2人はカメラの前でいつもそうだが、ヘラヘラと薄笑いをして、人を小馬鹿にして突き返すような応答と態度をする。防衛行政の実務の中枢で、内閣の意思決定を補佐するということが、どれほど責任の重いことか。総理大臣は自衛隊の最高指揮権者であり、事実上、官邸で防衛担当の官房副長官補に就く者の判断と進言が、総理大臣の決定と指示を左右する。国家と国民の命を背負って、日々、内外の軍事情報の収集分析をしなくてはならず、防衛六法に隈なく目配りして状況認識をしなくてはならない。その重責を担っていた有能な官僚が、集団的自衛権の行使容認に反対の旗幟を鮮明にしたことは、この反動を阻止しようとする者にとって百万の援軍を得たのと同じだ。参院選で自民党が大勝し、国会の数の上ではわれわれは圧倒的に不利だが、96条改定で安倍晋三を挫折させられたように、世論の力で集団的自衛権の行使を止められるかもしれない。与党の公明党は、相変わらず優柔不断な姿勢を変えてないが、行使容認の方針で創価学会の支持を取り付けるのは至難の業だろう。

昨夜(8/12)、報ステのコメンテーターで出演した古賀茂明は、番組と古舘伊知郎の報道姿勢に合わせて、集団的自衛権の行使に慎重論の結論で応じていた。この過激なネオリベ論者の元経産官僚は、正体はみんなの党のスポークスマンであり、コメントにはそのときどきのみんなの党の政局対応が反映される。基本的に、みんなの党は改憲派であり、9条改悪も、96条改悪も、自民や維新に同調する右翼政党だ。しかし、この党は、25条軸(新自由主義vs社会民主主義)ではぶれないが、9条軸(改憲vs護憲)では屡々曖昧な態度を示し、橋下徹や松井一郎の維新のように純然たる右翼党派を標榜することをしない。今回、古賀茂明の発言を通じて、みんなの党が集団的自衛権の行使容認に距離を置く構えを示したのは、渡辺喜美と江田憲司の権力闘争の影響があることを観察できるだろう。江田憲司は、橋下徹の維新と組んで野党再編に動こうとしたが、党内クーデターに失敗、実権を掌握した渡辺喜美に幹事長職を解任された。みんなの党が維新と距離を置くということは、政策的に9条軸で極右から離れるというスタンスになる。参院選中の討論でも、渡辺喜美は「改憲の前にやることがある」と繰り返し、9条軸での自民・維新との違いを言い、改憲に消極的とも受け取れる曖昧さを演出し、有権者に独自性を訴える差別化戦略に出ていた。それは党内の路線対立を引き摺るものだった。

それと関連して、些末な床屋政談で恐縮だが、参院選後にマスコミが一斉に言い始めたところの、「安倍自民と政策で対立軸を持った野党勢力」への期待という問題がある。国民がそれを政治に求めているのは確かで、中小野党の各党は、支持率を維持して政局で存在感を保持するためにも、ポーズだけでも安倍自民と争う姿勢を示さないといけないという事情がある。集団的自衛権をめぐる問題は、渡辺喜美にとっては格好の争点材料で、みんなの党の表象から極右性を希薄化させ、外観だけでも安倍自民との対立姿勢を見せてポイントを稼ぐ機会となる。しかし、政局的には、この動きは決して意味が小さくなく、自民以外の中小政党の中で、公明に続いてみんなも集団的自衛権に消極派という配置と構図になった。積極派は維新だけだ。民主の方も状況は同じで、右派のクーデターが中途半端に失速して挫折、世論は安倍自民と政策軸で対立する野党を求めるという環境の中で、極右の維新に靡いて野合するという再編方向は選択できない。その維新は、9月末の堺市長選での苦戦が言われていて、ここで敗北すると、大阪都構想は雲散し、橋下徹の威信は失墜して政治生命も危うい事態となる。当初、安保法制懇の報告書提出は8月だと報道されていた。日程が後ろにずらされたのは、堺市長選の結果の見極めという理由もあったからだろう。集団的自衛権をめぐる情勢は、必ずしも安倍晋三の万全盤石というわけではない。

元法制局長官の阪田雅裕が朝日の1面記事に登場し、集団的自衛権の問題で安倍晋三に反旗を翻したのは、8/9のことだった。新任の法制局長官に、集団的自衛権の憲法解釈を変更するために、慣例を破って小松一郎を据える人事が報道されて1週間後のことである。阪田雅裕は朝日のインタビューの中で、「(国会の憲法論議と政府答弁の)蓄積を無視して、今までのは全部間違っていたということが、果たしてあっていいのか」と抵抗の弁を述べている。以前、立花隆が憲法改定について説明していた話を思い出すが、憲法とは、単に103条の条文から成る法典のことではなく、その条文について解釈を積み重ねてきた膨大な総体なのだと言った。おそらく、立花隆がそこで指摘した憲法問題の中身が、今後の集団的自衛権の政局で議論され、国民を覚醒することになるだろう。96条改定を発端にして、立憲主義の思想と理念が国民に広く浸透したのと同じ展開になるのではないか。いろいろな切り口で、改憲派が本気で改憲に挑めば挑むほど、憲法とは何かという本質的な問題が国民の前に立ち現われ、問われ、国民を啓蒙し、文科省が学校教育で隠して疎かにしていた憲法の本質が意識されるところとなる。今の時点で、予断を持ったり、油断したりすることはできないけれど、あの北岡伸一と岡崎久彦の軽薄で下卑た薄笑いと傲慢な余裕の態度を見て、柳沢協二の生真面目な反対論を聞くと、そのコントラストを前に、何やら、巌流島で武蔵が言い放った「小次郎、敗れたり」の一語を思い出す気分になる。

さて、前置きが長くなったが、元内閣法制局長官の阪田雅裕と元内閣官房副長官補の柳沢協二の登場、官僚の反乱の背景には何があるのか。言うまでもなく、米国の意向という問題がある。終戦記念日の安倍晋三の靖国参拝は見送りになったが、この動きに決定的な影響を与えたのは、7/26のシンガポールでのバイデンとの会談だったと言われている。どうやら、米国政府(副大統領)が直接に釘を刺し、中止するよう安倍晋三に要請を入れている。阪田雅裕も、柳沢協二も、古賀茂明も、集団的自衛権の行使への反対論の説明に、必ず、中国と日本との軍事衝突を懸念する米国の立場と論理を強調する。このところ、アーミテージやM.グリーンの威勢のいい声を耳にしない。「ジャパンもスタンドから出てフィールドでプレイヤーになれ」の常套句が聞こえて来ない。安倍晋三が国会で、「中韓の脅しには屈しない」と啖呵を切って閣僚の靖国参拝を正当化し、過去の行為を侵略だと認めない答弁で開き直っていた頃、アーミテージが、周辺国(韓国)への無用な刺激はやめろと警告を発した一幕もあった。楽観的な推測かもしれないが、やはり、中国と日本が尖閣で武力衝突を起こし、その巻き添えで中国と戦争になる事態を恐れる米国が、日本の極右の台頭に神経質になり、従来の対応を変えてきた可能性がt高いと思われる。ネオコンを中心とするジャパン・ハンドラーズと、それに批判的な勢力が拮抗を始めている。日本の外交安保政策は、日本政府や日本国首相が一存で決められるものではなく、重要な問題の決定権はホワイトハウスの手中にある。

安倍晋三の暴走を包囲するシフトが次第に出来上がりつつある。


by thessalonike5 | 2013-08-13 23:30 | Trackback | Comments(1)
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Commented by カプリコン at 2013-08-13 22:53 x
第二次世界大戦後、戦争していない国は、7か国なそうです(フィンランド・スウェーデン・ノルウェー・デンマーク・スイス・アイスランド・ブータン・日本)。憲法9条が日本の平和に大きな役割を果たしていることは小学校でも学びます。
朝鮮戦争のときにアメリカに無理矢理に警察予備隊を創設するように命じられ、湾岸戦争やイラク戦争などで協力を求められても、武力を行使しする戦争や紛争への歯止めとなったのは憲法9条です。

何のために、集団的自衛権を駆使するために憲法の解釈を今までと変えるのでしょうか。どこまでアメリカに媚びへつらうのでしょうか。
もう少しで戦後70年ですよ。
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