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2011/08/10

父と教育 小和田恒 (4)

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父と教育 小和田恒 講演会(4)

.  むすびに

 

 最後に私の結論とでもいうべきことをお話したいと思います。私は何も父が模範的な父親であったとか、模範的な教師であったとかいうようなことをいうつもりはありません。個性的であるだけに欠点も多い父親であり、教師であったと思います。しかし、今日の日本の状況を見ておりますと、やはり、私が父から育てられて教えられたような問題意識をもって日本の教育の問題を考えなければならない段階に来ているのではないかということを、私は深く感じるのであります。戦後の時代―戦後というのは太平洋戦争が終わってからの60年間のことを言っているのでありますが―60年の中でいろんな良い事はありましたし、教育というものもいろんな形で昔に比べて進歩したと思います。しかし、それにも拘らず一番肝心なところ、私が今日お話してきたような、教育の本質とはいったい何なのかというようなことについて十分な議論がなされたり、十分な省察が行われたりすることが無いままに、技術的な教育技術、教授技術の改善ということに力が注がれてきすぎたのではないかという感じがいたします。ここにきて、私たちは日本の教育というものについてもっと本質的な立場から考えて見なくてはいけないのではないかというふうに私は思うのです。それは何も教える立場に立つ教師の側から問題を考えなくてはならないということだけではありません。教えを受ける側にある皆さん、若い皆さんが一体自分たちは何のために生きるのか、また生きる上で自分たちは何を考えていかなければいけないのか、自分の志は何なのかということを考えるということでもあります。それこそが教育の本質にかかわってくるのではないかと私は思うからであります。 今日こういう機会を与えられて、私が喜んで伺ったのは、今日の私のお話が皆さんに改めて自分が学校にいるということはいったいどういうことなのか、自分はここで何をしているのか、自分がしなければならないのはどういうことなのかというようなことをもう一度ゆっくりと考え、考え直してみるための機会を提供することになれば幸いだと思ったからであります。私がこういうことをいうのには二つの理由があります。

 

 第一の理由は、戦後の日本の社会、戦後の日本人の精神状況というものを考えてみたとき、これからの新しい時代を作り出す世代の人たちを教え育むということはどういうことなのかということを私たちが一緒に考えなければならないということなのです。それは私がこれまでの戦後の日本はこの問題について、本質的な意味で十分に考える余裕が無いままに今日に至ったということを感じるからであります。先ほど私は教育というのは学校だけの問題ではないと申しました。家庭、学校、社会の三つが一体となってはじめて本当の教育が可能なのだということを申しました。家庭教育と社会教育の面についても先ほど来申し上げてきたようなことはあてはまるのではないかというふうに思います。

 

 

 

7. 日本の将来と教育

 

二番目の理由はそれだけでなく、今日本は大変大きな転換期に向かっているということを考えなければならないからであります。それは今日の世界の中で日本が置かれている状況ということであります。その中で教育は何をしなければならないのか、あるいは教育を受ける皆さんは何を考えなければならないのかということが非常に重要になってくるのであります。時間がありませんので、このことについて詳しく申し上げることはいたしませんけれども、今日の世界というのは100年前あるいは150年前に日本が近代化の道を歩み始めたときの世界とは基本的に違っているのです。何が変わったのでしょうか。もちろん日本の国際的な地位が向上したとか、日本が世界の中でリーダーシップを発揮しなければならない時代になったというようなこともあります。しかし、それ以上に日本を取り囲む世界が変わったことが重要なのです。

 

よく今日本は第三の開国を迎えているという言い方がされます。第一の開国とは、150年前の開国、1868年の明治維新の時代のことです。1853年ペリーが浦賀にやってきて開国が始まり、日本は当時の文明国の仲間入りをしてその国際的な環境の中に身をおくように努力したというのが第一の開国であります。第二の開国は第二次大戦で日本が戦いに敗れて敗戦国となり、そこから改めて出発した時期を指します。再出発をした日本はあらためて第二次大戦後の秩序の中に受け入れられ国際社会の中の一員として生きるという決意をしたのです。それらとの対比で今が第三の開国だといわれます。そして、日本は第一、第二の開国と同じような決意でこの困難な時代を乗り切らなければならないというようなニュアンスでこの言葉が使われています。しかし、私はこの言い方があながち間違っているとは申しませんが、これは不正確な言い方であると思います、不正確である以上にこれは大変誤解を招きやすい言い方だと思います。誤解を招きやすいというのは、皆が間違った理解をする恐れがあるのではないかということです。

 

 第一の開国は文字通り国を開いて、当時の国際社会―当時は文明社会と申しましたけれども―その文明社会の仲間入りをするための努力をすることでありました。これ自体容易なことではありませんでした。大変な努力を必要としましたけれども、それは欧州中心に発達した文明国から成る既存の国際社会というものの中に日本も大国の一員として仲間入りをさせてもらうための努力でありました。したがって、何をやらなければならないかということは基本的にはっきりしている問題であったのです。たとえていえば皆さんが大学に入るために何を受験勉強しなければならないかという問題と同じようなことです。何をしなければならないかということははっきりしておりました。あとはそのためにどれだけ努力をするかという問題だったのです。

 

 第二の開国についても基本的には同じことがいえます。太平洋戦争に至るまでの時期に、日本は次第に間違った方向に外れて行って第二次大戦に突入してしまいました。その結果、敗戦というひどい経験を味わうことになりました。その苦い経験に基づいて改めて第二次大戦後の新しい国際秩序の中にどういうふうにして受け入れてもらうかということが第二の開国の課題でありました。この場合も第一の開国の場合と同じ意味で、何をしなければならないのかははっきりしておりました。その決まっている枠組みの中で日本は懸命の努力をして今日の日本を築き上げてきたのです。

 

 第一の開国の場合も第二の開国の場合も日本はそういう意味では大変に成功し、その中で周りの人たちからも認知され評価されるような成果を上げました。

 

 第三の開国というと、今我々が直面している問題もそれと同じ性格の問題であるかのような錯覚に陥るかもしれません。しかし、今日本が直面している問題はそれとは基本的に性格が違うのだということを理解することがきわめて重要なのです。まず第一に、これから日本がその一員として育てていかなければならない国際社会の枠組みはどういうものになっていくのか、というようなことについて具体的な目標というものがはっきりしていないのです。これまでのように日本がモデルとして見習っていくべき国の在り方というものがもはや存在しないのです。今日は世界中誰もが、どこでも自分の道を開拓していかなければならないという時代に入っているからです。その中で日本という国が世界にとって意味のある存在でありうるためにはどうしたらよいかということを私たち日本人が自分で考えなければならないのです。今日の世界はどういう状況にあるのか、国際社会の進む方向はどこにあるのか、その中で日本はどういう存在にならなければならないのか、そしてそのためには我々一人ひとりが何をしなければならないのかということについて私たち日本人一人ひとり考えていかなければならない時代なのです。

 

 今日の世界というのは、実は「国際化した社会」ではないのです。「グローバル化しつつある社会」なのであります。国際化とグローバル化とは同じことだと皆さんはお考えになるかもしれません。新聞など読みますと、国際化というものとグローバル化というものは、一緒に同じもののように扱われているのは事実であります。しかし私はこの二つは基本的に違った状況を指していると思います。「国際化」というのは呼んで字のごとく、国と国との関係が緊密化して、それまで一国内で物事が済んだ時代から、そうではなくて、国と国との国際的な関係の中で物事を考えなければならないという状況が出て来たということです。それが国際化であります。日本が幕末から明治にかけて鎖国の時代から外国によって迫られ国際社会の仲間入りをしたというのはまさに「国際化」でありました。徳川時代の日本というのは他の国との関わりあいなしに自分だけで一つの自己完結型の社会を作り上げていたのです。その中で自分の社会をいかに立派にするかということに皆が努力をして、徳川時代のすばらしい文化と社会というものを作り上げたわけであります。しかし、その社会は外の世界で起きている事と全く関係なしに機能していた社会でした。だからこそ、開国を迫られた時に日本は改めてそこで西欧を中心とする開かれた国際社会の一員としてこれに互していくために文明開化のための努力をしなければならなかったのです。文明開化の努力とは何であったかといえば、それは端的にいえば他の国との関係において生ずる広い世界の中で日本という国がどういう風に身を処していくかという問題であったのです。

 

それに対して「グローバル化」というのはそうではありません。地球全体、国際社会全体が「一つの社会」になってくるという現象であります。国境を越え国境ということに関わりなしに個人の活動が行われるという状況が生まれました。商業も貿易ももちろんそうですが、犯罪もテロリズムの問題もそうであります。あるいは、たとえば人権の尊重ということについても、ルワンダにおいて起きたことは、一つの国の部族対立の中で起きた出来事であるけれども、しかしそれが世界全体の関心事になるという状況が生まれています。なぜそうなるのかといえば、この問題が今や一つの社会となった国際社会という共同体の中で、その秩序だとか平和だとか正義だとかいうものを害する行為であるからです。つまり地球社会全体の問題になるのであります。国々が、今までのように、自分の国の中で起きたことはその国の国内問題であってその国が自分のやり方で処理することが許されるという時代には他の国は他国の国内問題には干渉しないという原則がありました。そういう時代―国際的な関心事となる問題についても基本的には国家主権を尊重して、国家間の協力という形で物事が処理されていた国際化という時代―とは基本的に違うのです。

 

それがなぜ今日私が話していることに関係があるのでしょうか。それはそういう新しい世界の中では、日本人の行動というものがこのグローバル化した世界の中でみんなと一緒に―みんなというのは日本人でない人たちとも一緒になって―同じ枠組みの中で、同じ基準に基づいて、更には同じ価値というものを共有して、どういうふうにしてこの地球社会の一体性というものを作り上げていくのかという努力が私たちに求められているからなのです。こういうことは第一の開国にも第二の開国にもなかったことなのです。これからの日本を背負って立つ皆さんは、こういう新しい見地に立って教育の問題、自分たちのあり方の問題というものを考えていただきたいと私は思うのです。

 

 私はこの相馬高等学校の校則の一つに国際性というものが付け加えられたということを相馬高等学校の学校要覧などを読んで知りました。それは大変いいことだと思います。しかしその国際性というのは私が今申し上げたようなグローバル化する社会、世界の中で我々一人ひとりがどういうふうに自分を鍛え上げていかなければならないのかということを頭においた国際性でなければならないというふうに思うのです。話が若干抽象的でお分かりにくいかと思いますが、もう時間がきたようであります。もう少し時間があれば、その辺のことについてもっともっと詳しくお話をしたいのですけれども、そのためには後3040分必要でしょう。このことはまた次の機会に改めてお話しするとして、今日は若干しりきれトンボになるかもしれませんが、これで終わりにしたいと思います。

 

 冒頭にも申し上げましたとおり、今日は私の父の思い出について皆さんにお話すること、特に父が相馬というこの土地とどういうことで関わりを持ち、そこで何をしようとしたのかということについて、父の思い出という形でお話をすることが私の主眼でありまし

 

た。しかし、せっかくの機会でありますので、そのことを引き金にして、今の日本の置かれている状況、その中で若い皆さんに何を考えていただきたいのかということについて日頃私が考えていること、次代を背負う皆さんに是非知ってほしいと思っていることに触れることにしました。今日の私の話が皆さん一人一人にとってこれから皆さんが人生、社会、世界のことについて問題意識を持って考えていただく上でひとつのよすがになれば幸いだと思います。

 

 

 

福島県立相馬高等学校(創立110周年記念誌:2009年(平成21年)1月)より一部要旨を抜粋、原文は同校ホームページをご覧ください。http://www.soma-h.fks.ed.jp/

 

 

 

小和田 恆(おわだ ひさし、1932年(昭和7年)918 - )は、日本の元外交官。国際司法裁判所所長。 外務事務次官、国連大使、早稲田大学大学院教授、財団法人日本国際問題研究所理事長などを歴任した。

 

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