|
『C.W.ミルズとアメリカ公共社会--動機の語彙論と平和思想--』彩流社。
まだ読んでいない。2カ月かけて熟読し、10月末までに書評を書くことになっている。
意地でも「SI的な観点」を見いだしてみたい!
2013/08/13:解読中。とにかく「読みにくい」本である。論の進め方は、きわめて体系的にして明解である。つまり論理的である。しかし、用いられている言葉があまりに不明瞭である。日常用語としても社会学用語としても、その意味についてとても合意が得られているとは思われない言葉が無規定に使われている箇所が多々あるかと思えば、その意味の推測がおおよそ成り立つものの、明らかに複数の意味で無規定に用いられている言葉も多々ある。しかもそれらの言葉が往々にして本書の「キーワード」になっている場合が多いのである。付言するならば、不要なまでのカタカナ表記、原語そのまま表記も、本書の読みづらさを促進している。
2013/08/13:『図書新聞』に掲載の上記文献の書評を発見した。見事である。よくもまぁ、こんなに上手くまとめられるものである。https://twitter.com/sinonome1956/status/363336664002732032/photo/1
ミルズの動機の語彙に関する立論を、テキスト内在的に正確に解読した文献としては、このBBSに既に掲載の内田健氏の二つの論文がずば抜けている。ミルズの日本への紹介の嚆矢としては、船津(1976)が挙げられる。しかし船津においては、ミルズを「シンボリック相互作用論的」な思想を展開した学者として位置づけ、その思想に社会構造論的視野が認められることを評価しつつも、人間の主体性の理論化については--船津社会学の柱--、ブルーマーのそれに劣るものであり、評価を与えた社会構造的視野に対しても、それが「曖昧なもの」であるとして、低い採点を施している。
これに対して、伊奈氏のミルズ論は、・・・・・
①社会に対する徹底した自明性の剥奪
②社会科学に対する徹底した自明性の剥奪
③①、②のための安定した準拠集団(よりどころ)を持たない姿勢→にもかかわらず「パースペクティブ」は一貫している。Shibutani 1955を踏まえると、ミルズのこの「特性」は非常に面白い。
④公衆に対する「主体性の発揮」の挑発(公共社会学)
⑤④のための「届く言葉」の選択
⑥ミルズ思想を一括する縦糸としての「動機の語彙」概念の析出
|
|