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景気と消費税―やるべきことを着実に

今年4〜6月期の国内総生産(GDP)の伸び率は、物価の影響を除いた実質で年率2・6%となった。先進国のなかでは高い成長率だ。個人消費は、株高や猛暑に伴う押し上げ効果もあ[記事全文]

靖国参拝―政教分離を忘れるな

政治は宗教と切り離されなければならない。それは現代民主主義の鉄則の一つである。日本の場合、その教訓は、先の大戦と破滅に至る道のりにあった。軍国主義と神道が密着した苦い経[記事全文]

景気と消費税―やるべきことを着実に

 今年4〜6月期の国内総生産(GDP)の伸び率は、物価の影響を除いた実質で年率2・6%となった。先進国のなかでは高い成長率だ。

 個人消費は、株高や猛暑に伴う押し上げ効果もあって堅調だった。円安を受けて輸出もプラス成長に貢献した。

 一方、企業の設備投資はマイナスが続く。従業員が得る報酬総額は伸びたが、働く人の総数が増えた影響が大きく、1人あたりの給与は低迷している。

 企業が収益改善を追い風に投資を増やし、競争力を高める。雇用や賃金も増やして家計を支え、それが企業の収益に返ってくる――。そんな民間主導の好循環を軌道に乗せるうえで、政府と企業の役割が改めて明確になったのではないか。

 政府は、成長戦略の具体化と補強を急ぐ必要がある。柱となる「産業競争力強化法」は、企業の投資を促す税制優遇が中心になりそうだが、新たな分野への参入を促す規制改革や、起業を活発にする環境整備など、課題は少なくない。

 企業にも訴えたい。設備や研究開発への投資を怠れば、国際競争に後れをとる一方だ。従業員の賃金を抑えるばかりでは、自らの市場も広がらない。

 経済界は法人減税などを求めるが、すでに多額の資金をため込んでいる企業が少なくない。

 4〜6月期の経済成長率は、来春から予定される消費増税を政府が最終決断する際の有力な指標だ。増税の見極めに慎重な安倍首相は、今回の成長率について「順調に景気は上がってきている」としつつも、なお状況を注視する構えを崩さない。

 忘れてならないのは、財政再建への姿勢がゆらいだ際に予想される悪影響である。

 日本銀行の黒田総裁は「脱デフレと消費増税は両立する」と強調し、予定通りの増税を促した。日銀は「異次元」の金融緩和の柱として国債を市場で大量に買っている。

 これが財政赤字の穴埋めと見られ、国債価格の急落(利回りの急騰)を招けば、デフレ脱却も経済成長も幻となる。

 今後、今年度の補正予算や来年度予算をめぐり、景気対策として公共事業の上積みを求める声も強まるだろう。

 だが、昨年度の補正予算での大幅な公共事業の追加には「誤算」も生じている。人件費や資材が高騰し、効果がそがれているからだ。

 公共事業を膨らませる余裕は財政にはないし、足元の景気にもプラスばかりとは限らない。肝に銘じてほしい。

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靖国参拝―政教分離を忘れるな

 政治は宗教と切り離されなければならない。それは現代民主主義の鉄則の一つである。

 日本の場合、その教訓は、先の大戦と破滅に至る道のりにあった。軍国主義と神道が密着した苦い経験をふまえ、平和国家の原則としてきた。

 その歴史に思いをはせるべき終戦記念日に、稲田行革相ら閣僚や自民党幹部が、靖国神社に参拝する意向を示している。

 安倍首相は閣僚の参拝を制限しない方針という。今春に麻生副総理ら4閣僚が参拝したときも「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前」と述べた。

 政治家による15日の参拝が中国や韓国から批判を呼ぶかどうかという問題以前に、私たち自身の戦後の原則を忘れてはならない。

 首相や閣僚らの靖国参拝は、憲法の政教分離原則に照らして許されない疑いが強い。

 小泉元首相の靖国参拝を違憲と訴えた訴訟で最高裁は06年、原告の請求を退けた。これは訴えの利益を認めず、憲法判断を避けたにすぎない。地裁、高裁では違憲の指摘があった。

 憲法は、信教の自由を保障する一方、宗教団体が国から特権を受けることや、国やその機関による宗教的活動、宗教組織への公金支出を禁じている。

 それが明記されたのは、戦前・戦中、神道が軍国主義の精神的支柱となり、国のための死を正当化してきたからだ。

 とりわけ靖国神社は国家神道の中心的施設だった。戦後は一宗教法人になったが、国のために命を落とした人を神としてまつる宗教施設であることに変わりはない。

 国家の要職にある人々が参拝すれば、靖国神社を特別扱いしている印象は免れない。まして大々的に集団で赴くような行為は、政治パフォーマンスといわれても仕方あるまい。

 自民党は憲法改正草案で、政教分離に例外をつくろうとしている。「社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」とし、原則を緩めたい意向だ。

 宗教を儀礼や習俗といったあいまいな定義にすり替えて、どんな道をめざすというのか。

 もちろん、戦争で亡くなった多くの犠牲者を追悼したいという感情そのものは、遺族や大方の人々の自然な気持ちだろう。

 だからこそ、特定の宗教色がなく、誰でもわだかまりなく穏やかに追悼できる場を新設することが論議されてきた。

 長く積み残されてきたこの課題に取り組むことこそ、いまの政治家の責務ではないか。

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