太平洋戦争:闇に沈んだ船員に光 神戸の資料館、戦没6万331人名簿に 5年かけ来月完成
2013年08月12日
太平洋戦争中に徴用され、撃沈された民間船などの資料を集めた「戦没した船と海員の資料館」(神戸市中央区)が、戦没した船員の名簿6万331人分のデータベース化を進め、9月に完成する見通しになった。ばらばらだった記録を体系的にまとめる作業で、5年前から始めた。その過程で、輸送船の犠牲者が従来把握されていたより数十人多かったことが判明するなど、埋もれた歴史に光があたり始めた。【石川貴教】
戦没船員の情報はこれまで、船舶関連団体などによる公益財団法人「日本殉職船員顕彰会」(東京都)の資料など膨大な名簿の中から、本籍地や氏名を頼りに探していた。しかし、本籍地が不明だったり、氏名の読み方が分からない場合があり、遺族が探すのを諦めるケースもあった。
そこで、同資料館が2008年から、同顕彰会の資料を基に、船員の氏名を50音順にリストアップ。▽生年月日▽没年月日▽死亡場所▽船名や職名▽本籍地▽遺族の名前と続き柄−−について蓄積した資料と照合して一人ずつ事実関係を確認しながら整理している。現在、スタッフ5人が作業している。
新たな発見があったのは、1944(昭和19)年11月17日、米潜水艦の魚雷で撃沈された輸送船「摩耶山丸」。陸軍に徴用され、フィリピン・レイテ島に兵員や物資を運ぶ途中だった。船の所有会社の資料では、戦没船員は55人とされていたが、同資料館のまとめ作業で、他に数十人の船員が戦死していたことが分かった。調査の結果、「乗船していた4000人以上の兵士の食事を担当した人」と推察されるという。
他にも、船名の誤植や、沈没時期と船員の没年月日の食い違いも見つかった。遺族の項目に同じ女性が「妻」「母」の続き柄で何人分も並ぶケースもあり、スタッフの大井田孝さん(71)は「家族を何人も亡くしたのかと思うと、やるせない気持ちになった」と打ち明ける。それでも「データベース化が、新たな歴史が分かるきっかけになれば」と話す。問い合わせは同資料館(078・331・7588)。
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