韓国の国書受け取り拒否には前例があった。江戸幕府第6代将軍・家宣(いえのぶ)公の時代である。
李氏朝鮮は将軍の代替わりの度に通信使を日本に送り出してきた。日本も同様に使節を朝鮮に送ったが、日本が通信使を江戸で迎え、将軍の謁見までも許していたのに対し、彼の国は釜山までの入国しか許さなかった。
日本は首都漢陽までの入国と王への謁見を申し出ていたが、当時の朝鮮は華夷秩序に固執して、日本を朝鮮より下位の国と見ていたのである。
通信使が朝鮮国王の国書を奉呈し将軍謁見や文物の交換など、江戸での約1カ月間にわたる文化交流は実り多いものがあった。そしていよいよ帰国という時、日本から渡した復書(回答の国書)について問題が発生した。それらを準備したのは、家宣公から通信使接遇を命じられた新井白石であった。
日本が準備した復書に、第11代中宗(当時から7代前の国王)の諱(いみな)が使われていたので、「わが朝では諱を犯すことを禁じている。よって、これを復書として持ち帰ることは出来ないので、書き改めてもらいたい」と申し出たのである。
白石はいにしえの礼では5代前までの諱が禁じられていることを承知していたし、逆に朝鮮からの国書には3代前の家光将軍の諱を犯していることも承知していた。
白石は自分の国の慣習を楯に、既に渡した復書を書き直せというのは、あまりにも自分本位の無礼な話であるとして断固はねつける決心をした。
そこで、「論語に己の欲せざる処は人に施すこと勿れとある。7代前の国王の諱を避けよと言う者が、どうしてわが将軍の御祖父(3代前)の諱を犯している国書を持参したのか」と詰問したのである。
幕閣の中には、相手の要求どおり、諱1字くらい書き直してやれば簡単に済むではないかと言う者もいた。しかし白石は文化の争いであり、国家の面目がかかっているとして、相手の要求を呑む前に、相手が先に家光公の諱使用を書き改めるべきであると主張し、同時にその場しのぎの老中に強い怒りをぶつけた。
ともあれ、白石の提案に従って、通信使は国書を持ち帰り、書き改めて再び日本に持参した時に日本も改めた復書を渡すことになったのである。こうして譲り合い、その後も関係維持ができたのである。
権威と“よいしょ”に弱い一面も
ところが、挺身隊と慰安婦は全く異なるが、国史教科書ではあえて混同させていると主張する李榮薫(イ・ヨンフン)ソウル大学教授は健在のようである。
「日本は世界史において比類ないほど徹底的で悪辣な方法で我が民族を抑圧し収奪した」と書く国史教科書を鋭く批判する。
「このような教科書の内容は事実ではありません。(中略)単刀直入に言うと、そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者が作り出した物語である」と指摘する。
「コメのほぼ半分が日本に渡っていったのは事実です。しかしながら、米が搬出される経路は奪われていたのではなく、輸出という市場経済のルールを通してでした。(中略)米が輸出されたのは総督府が強制したからではなく、日本内地の米価が30%程度高かったからです」と理路整然と反駁する。
こうして「日本統治は朝鮮半島の経済を大きく発展させ、戦後韓国の経済成長の要因を形づくった」と評価するのである。
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