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38 ■茜雲,ありがとうございます
本当に忘れてはいけない日ですね。
私はお盆のために実家への帰路上,クルマを運転しているときに,ラジオでニュースを聞きました。
未だに信じられない事故です。
乗客の命を守るために,最大の努力をした機長はじめクルーの方々,恐怖と戦いながら家族への感謝の言葉を綴る乗客の皆さん。
神戸さんがまた命の大切さを振り返らせてくれました。
東日本大震災も福島第一原発も,復旧にはまだまだ遠い道のりです。
命の大切さを胸に刻みながら,日本のこれからを考え自分なりに行動して行きたいと思います。
39 ■無題
偶然たどり着きました。
当たり前の日常が有ることのありがたさを改めて考えさせらました。
大切な家族、笑い声、けんかしたり・・・全てが愛しい。
ありがとうございました。
言葉では表現しきれない想いでいっぱいです。
もっと毎日を大切に生きていこうと思います。
40 ■感動しました
パの他球団ファンですが、読ませて頂きました。
改めて日航機事故に考える機会を頂きました。ありがとうございます。
非常に素晴らしい記事でした。神戸選手、これからも頑張ってください。
41 ■無題
この事故当時まだ私は産まれていませんでした。
この記事をよんで初めてこの事故を知りました。
全然知らなかった。泣きながら読みました。
まだ言葉が出てきません。
これから命について、家族について、考えます。
42 ■28年前
この日のことは忘れられません
ぎゅーちゃんの生まれた日だったんですね
私は高校出て、社会人デビューした初めての夏…
同期入社の大阪の友人が神奈川に遊びに来ていて、この前日、このくらいの時間に大阪に帰りました
もし、一日帰る時間がずれていたら、友人も巻き込まれてたかもしれない!…同期入社仲間とテレビに、くぎ付けになっていました
あれから28年もたつんですね
今は結婚し母親になり、その立場で事故を思い出すと、涙が止まらなくなりました
平凡な毎日だけど、幸いにも両親も健在で、主人も、息子もそばで「生きて」いてくれる…それが奇跡なんだなと今日はしみじみ考えました
思い出させてくれてありがとうございました
ぎゅーちゃんも奥様とお子さまをいつまでも大切に…
43 ■日本人として忘れていけないこと
初コメントです。
私は当時12歳で2日後に自分の誕生日を
迎える日でした。鮮明に覚えています。
乗客には坂本九さんもいたんですよね。
『上を向いて歩こう』や
『見上げてごらん夜の星を』
本当に好きな歌だったので悲しかったです。
8月は日本人にとって命の大切さや
争いや戦争の無意味さ、
生きていることの尊さを
改めて考えなくてはいけない月だと
思っています。
日航機の事故も沖縄戦、原爆、終戦、
そして神戸た東日本の震災も
日本人として忘れてはいけないことだと
改めて考えました。
神戸選手・・・ありがとう。
そして、亡くなった方に合掌。
44 ■はじめてコメントします
ツイッターで神戸さんのブログの記事があり、最後まで読ませていただきましたが、自然と涙が出てきました。
私も当時のことを思い出しながら読んでいました。当時小学生でしたが、とても衝撃を受けた事故でした。
45 ■無題
悲しい出来事でしたが、書いて下さって、ありがとうございました。
46 ■無題
この時はまだまだ生まれてませんでした。
この事故を知ったのは中学に入る前、いろいろ資料を見たら何も言葉になりせんでした。
あの時コックピットでは3人のパイロットが最後までコントロール不能になった機体をコントロールしようとしたか、忘れては行けません
多くの命が失われた事故を風化させては行けません
そしてもうこんな悲惨な事故は起こってはなりません。
47 ■無題
読ませていただきました。あの時間帯に搭乗した事があります。関西弁が飛び交う機内です、ここは大阪か?と思うほどです。事故後一週間位で伊丹から羽田までの途中空から祈りました
48 ■無題
大事な人の死はとてもつらいです。
一日笑って過ごした日も、どこか空虚です。
それはきっと大事に過ごしてこなかったからかもしれません。
皆さんもどうか後悔しないように生きて欲しいです。
49 ■無題
偶然リツイートされていた神戸選手のブログの事を知り、読ませて頂きました。
この事故の一部始終は、良く覚えています。
私は当時12歳。この事故では、歌手の坂本九さん、当時の阪神タイガースの球団社長も搭乗され、帰らぬ人となりました。
ブログの最後の問いかけの健君のお父さんの行動、おそらくもし自分に子供がいて、同じ場所にいれば、同じセリフを吐いて、峠に向かった事でしょう。子供の為に自分を捨てられるのが、親というものでしょうから。
普段、命についてどれだけ考えているのか?人とは愚かなもので、こういった亡くなられた命の話に触れたときに、やっと思い出したように問いかけるのみ。進歩のない話かもしれませんが、
私もここまで40年生きてきて、11歳、15歳、16歳の時と、3人の同級生を病気、事故で亡くし見送ってきました。
そのいずれも、何の偶然か命日は夏。暑さを一瞬忘れる鎮魂の時を迎えます。30歳を過ぎたころからは、何だか自分が無念にもこの世を去った旧友たちに生かされているのではないかと
いう思いが、頭をよぎることが増えてきました。
私は普段、東海地方在住のドラゴンズファンであまりロッテ戦を観る機会も少ないのですが、
一プレーヤーとして、その思いの丈を乗せたプレーであの熱い千葉マリンのファンを魅了、活躍をされることを一プロ野球ファンとして祈念しております。
シーズンも残り3分の1に差し掛かってきましたが、正念場で故障等に気を付けて頑張ってください
50 ■無題
とてもいいブログでした。
命について考える良い機会になりました。
私は他球団のファンですが、応援しています。
これからも頑張ってください。
51 ■無題
自分の生まれる前の出来事で、今までは過去に起きた悲惨な事故としか捉えていませんでした。
今ある生活は決して「当たり前」ではないことを神戸選手によって改めて実感させて頂きました。
自分はヤクルトファンですが、神戸選手のこれからの活躍を願っています。
頑張って下さい!
52 ■初読です。
1985年は、まだ僕は産まれてないですが、調べるのが大好きで、1985年を調べていたら、この事故を発見しました。坂本九さんを含む、たくさんの方の命を亡くしてしまいました。もう、こんな事故が無いように、なってほしいですし、もう、誰も悲しまない世の中になってほしいものです。神戸さん、残りのシーズン頑張ってください。
53 ■無題
よくがんばった
これからも頑張れ
僕もがんばります
54 ■久々に
自分は83年生まれなので、僅かながらに事故の事は覚えております。
自分は飛行機嫌いで学生時代の修学旅行も参加の可否を最後の最後まで悩んだ記憶があります。
もちろん飛行機嫌いの原因はこの事故です。
あまりにも悲惨な事故。
この事故のフライトレコーダーの音声を大人になってなってから全部聞きましたが、コックピットは最後まで冷静に機体を立直す、不時着させる事に精一杯でしたね。
まさかプロ野球選手のブログでこの話を読み入るとは思いもしませんでした。
ご家族の居る方、神戸選手の気持ちを汲み、改めて家族の大切さ有難さを考えてみましょう。
残念なことに自分にもう家族はおりませんが、明日は奇しくも明日は迎盆。この話を思い出しつつ亡くなった家族を迎えに行こうと思います。
良い日と言ったら大変誤解のある言葉になってしまいますが、この事件の事改めて考えさせてもらいました。
最後に今後の活躍ご期待申し上げます。
QVCでの神戸コール楽しみにしております。
55 ■無題
始めまして。
僕は神戸選手のことはよく知りませんでした。
今回このブログにたどり着いたのもTwitterを通してです。
ブログを読んで涙が出てきました。
日本人に、とって夏は大切な時期ですね。
とても心に響きました。
僕もまた命について考えて行きたいと思います。
これからの神戸選手の活躍を期待しております。
56 ■無題
この記事泣きました。
テレビや映画で見た事がありましたが事故のことをあまり知らなかったしその時はそんなに深く考えてなかったからここまで深く考えたのは初めてです。
ありがとうございます。
57 ■なんだろ
物凄く胸が痛くなった。
俺の今の命。
もう少し大事に、そして誰かの為になる事やりながらすり減らして行こうかなと。
ありがとう。
俺はもう少し生きてみる。
もう嫌な事ばかりで、いつ死んでもいーや。
とか思ってたんだけど、アンタのブログ読んで何か。何かやってみる気になったわ。ありがとう。
野球頑張ってね
58 ■無題
私は幼稚園生だったので覚えてませんが。
茨城の実家に私を連れて帰ってたときだ、覚えてる。と、母から何度も聞いたので…知っていたと思ってましたが、ブログ読んで、知らないこと多すぎて放心状態になりました。
母はいつも、あなたくらいの子がね、生きてて…ヘリコプターで救出されてたの、と。最後に語るんです。
きっと他人事ではなかったのかもしれません。
今日だよね、と、再度話題にしたら、そのこの名前を覚えてました。いつもは物忘れ多い母なのに…。
8月はご冥福をお祈りする月でもありますね。
あのときは、飛行機事故が多かった。。。
飛行機に当たり前に乗れるようになったのが複雑におもえます。
59 ■初めてコメントさせていただきます。
神戸選手、はじめまして。
プロ野球ファンです。
ブログを拝読して、涙が出ました。
私は昨年8月8日に母を亡くしました。
高校野球が始まる日が母の命日となってしまい、去年と同じようにこの暑い中逝ってしまった母のことを思いながら、負けたら後がないから必死に頑張る高校球児の姿に、去年、旅立つ直前まで必死に生きようと一生懸命闘った母の姿を重ねながら今年も過ごしていたので、神戸選手のブログを拝読するまで、日航機墜落事故の日だったことを忘れてました。
私は健くんより少し年上なので、8.12のことはすごく覚えています。
当時、やはりもういない祖父のもとに帰省している時に、この事故を知りました。
野球が好きだった健くん。
私も当時憧れていた桑田さん、清原さんに逢いに行く途中でその短い生涯を閉ざされてしまった健くん。
健くんがご存命なら、なにか野球に関わることをされていたかもしれない、そんな健くんの無念を思うと、自分は本当に『生かされている』んだって思い、桑田さん、清原さんのおかげでプロ野球ファンになったとも言える私は今、ある選手を強く応援し、逢いに行くことだけをただ楽しみに、励みにしていますが、それは当たり前なんかじゃない、そうさせてもらっているんだということを改めて思い知らされ、感謝しなければならないと、強く思いました。
そして、健くんをはじめとする、28年前の犠牲者の方々が果たせなかった、『逢いたい人に逢える』ことがどんなに素晴らしく、幸せなことであるかも、強く思い知らされました。
また、神戸選手のように、このようなことをブログに書いてくださる方なら充分ご承知だと思いますが、私が応援している選手をはじめ、すべてのプロ野球選手が、今、好きな野球を職業にできていることを、感謝の気持ちを忘れずに頑張ってほしいなと思います。
健くんのように、もしかしたらプロ野球選手になれたかもしれないけどなれなかった人のためにも。
文中、多々失礼な表現があったかと思います。ごめんなさい。
神戸選手も、まだまだお若いので、頑張ってくださいね。応援してます。
改めて、日航機墜落事故の520名の犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
60 ■無題
そう今日があの痛ましい事故の日だったのですね。
私は良く覚えていますよ。
坂本九さんが亡くなったことや、生存者の中に子供の女の子がいたこと、そして確かその子は看護師になられたはず。
でもこのブログな遭わなければいつか忘れてしまいそうでした。
生きることの、生かされていることの意味、真剣に考えてみます。
神戸選手、長文ご苦労様でした。そして有難う。
そらから私も遺族の方々が少しでもご納得されるような、事故の真相究明を心より願います。
61 ■無題
当時中学3年生の僕も2005年の特番は観ていました。その放送のちょうど1週間後、自分は病に倒れました。脳内出血の手術で、術後も右半身が動かず、リハビリの日々が続きました。利き腕が使えないストレスと、術後の頭痛でいらいらしていましたが、生きている事の幸せをどこかで感じていました。
そしてそれから8年が経った2013年、昨日僕は一歩間違えれば命を落とすところでした。
奇跡的に無傷ではありましたが、このタイミングでまた、命の尊さを身を以て感じました。
最近自暴自棄になりかけていた中で、昨日の事故も、この記事にこうして出会えたのも、自分に何かを暗示しているのかもしれませんね。
辛い事があっても生きているだけで幸せだって、そう考えたら少し元気を取り戻せました。
後半戦の活躍に期待しています!
62 ■なんとなくコメントしたくなりました
東日本大震災からちょうど1年2ヶ月たった2012年5月11日に娘が生まれました。
震災に限らず、少なからずとも絶望があるこの世の中で、誰か、人々の「希望」の「光」であってほしいと願い、「光希」(みつき)と名付けさせてもらいました。
同じパリーグ、ライオンズのファンではありますが、球団に限らず、どんなスポーツに限らず、どんな職業に限らず、人は夢や希望を与えられるもとだと信じています。
63 ■忘れてはなりませんね。
事故当時、TVや新聞で絶え間なく報道されていたこの大事故、当時「一生忘れることはできないだろう」と感じるほど、胸に刺さる悲しい出来事でした。
しかしながら、残念なことに、
お恥ずかしいことに、あの夏から18年、まだ20年とたたないのに…
私は今日がその日だったことを、他の方のtweet、そして、神戸選手の記事を読むまで、忘れておりました。
本当に、恥ずかしいことです。
そして、9歳で貴い命を奪われた美谷島健くん、
私よりも1歳下で、懐かしさを感じさせる近鉄帽を被ってKKコンビに胸を躍らせていた彼の事は、当時から私も野球少女だったゆえに、他人事とは思えません。
大人になるまで生きられなかった彼の分まで、しっかり生きなくては…と、身の引き締まる思いがしました。
美谷島健君のご家族の皆さまには、このお写真とエピソードを神戸選手のブログを通して伝えて下さったことに、深い敬意と感謝、そして健君のご冥福をお祈りいたします。
そして、亡くなられた方へのご冥福をお祈りいたします。
神戸選手、本当に、本当にありがとうございました。
ロッテも応援します。
64 ■無題
はじめまして、2chから来たものです。
失礼な言い方ですが、まだ無名の野球選手のあなたが、こうゆう記事を書いてくださりとても感謝しております。
日航123便墜落事故は、まだ自分が、生まれるずっと前に起きた本当に悲しい事故です。
これからもこの事件を未来の子供達に語り継がれれていくことを祈りたいものです。
乱筆失礼しました。
65 ■無題
とても感動しました。
私はこの事故が起きた頃はまだ生まれていなかったので詳しくは知りませんでした。
神戸選手のこのブログでこの事故のことを深く知ることが出来ましたし、命の尊さや家族の大切さなど再確認できました。
初めて神戸選手のブログを読ませて頂きましたが、読み終わった頃には目に涙がたまっていました。
Twitterでぜひ読んだ方がいいと聞いたので読みにきました。ほんとにこの記事に出会えてよかっです。いろいろ考えることができました。素晴らしい記事をありがとうございます。
66 ■無題
自分もこの事件について関心を持ち調べてみたことがあります。YOUTUBEの動画やネットで検索したら見られる損傷の激しい遺体の写真なども見ました。この事故に限らず航空機事故って整備不足とか人為的なミスが原因のものが多くて、本来なら防げたはずの事故もあるんじゃないかな、と思います。自分はこの事故について知って、命の大切さとか今を生きていることの貴重さについて考えるまでには至りませんでしたが、確かに人の命って一瞬で奪われることありますよね。ちょうど帰省中なのでいつもより多めに家族とコミュニケーションとろうとこの記事読んで思いました。あと、偏見ですが野球選手の方がこのような文章を書かれたということに少なからず驚きました(失礼w)
67 ■読みながら涙が出ました…。
ただただ祈る事しか出来ません。
風化してしまう事が一番怖いです。
ありがとうございました。
68 ■身が引き締まる思いです
墜落しつつある飛行機の中、乗客の方々の胸中に思いを馳せて涙が溢れてきました。飛行機という逃げ場のない場所では、生きるために最後まで「もがく」ことすらできない。どうしようもない、覚悟を決めなければならないという残酷な数分間に、なおも残された方々に何かを遺そう、託そうとする。
色んな感情が交錯して上手く言葉になりません。ただ言えることは、日頃の私があんまりにも一日を雑に過ごしているということ。家族への感謝、今日を普通に過ごしていられた幸福、明日にでも、もう二度と味わえなくなるかもしれないのに。
身が引き締まる思いです。神戸選手の仰る通り、夏は命と向き合わなければならない季節なのかもしれません。当たり前過ぎて気を緩めればすぐに忘れてしまう、今の一瞬、一日の尊さ、もう戻らない時間。だからこそ必死に生きなければならない。
素晴らしい記事を書いて下さってありがとうございました。神戸選手のご活躍を陰ながら応援しています。
69 ■無題
ブログを拝見させていただきました。 亡くなられた方々の気持ちやその遺族の方々の悲しみを考えると物凄く胸が痛くなりました。今、当たり前に生きているこの瞬間を大事に、たったひとつの命、家族とめぐりあえた奇跡に感謝していきたいと思います。
70 ■無題
こんばんは!
今日も、お疲れ様です
初めまして、ホークスファンですが
コメントさせていただきます。
この事故はまだ僕が生まれる前のことですが、本当にたくさんの命や悲しみを作った、言葉に表せられないような悲しい出来事ですね…
読んでいて、胸が苦しくなりました
僕の将来の夢は航空整備士です
4月から専門学校で勉強しています
飛行機は本当に大きく整備は難しいです
しかし、安全第一というのは
どこの、どんな整備士でも同じです
一歩間違えたら事故起きますし…
そんな重大な作業をやっていらして
改めて整備士さんのスゴさが分かります
僕もこのようなことが起きぬよう、
当たり前の安全を守りたいと思います
最後に
プロ野球選手の皆さんは、打てなくても失点しても反省して次に活かせばいいですが、もし整備士が失敗なんてしたらこの事故が何度も起きるでしょう プロ野球選手の皆さんは必ず打つ、必ず抑えることは出来ますか、空の世界では失敗とか絶対に許されないんですよ?
もしこの先、この1球で全てが決まるという時は失敗は許されないと思ってみては?
例え仕事は違っても、命を懸けてでもやってやるという心を持ってみるのもいかがですか?
71 ■無題
僕は同年6月12日生まれです。
よく母親が僕の生まれた直後の印象的な出来事として当時の事をよく話してくれたのを思い出します。
不思議ですよね、僕も生まれ年に起きた事故という理由からか、事故についてはもそうですが、航空機の安全についても色々興味を持ち調べたことがあります。
これだけお詳しいならご存知かもしれませんが、この事故を題材にした映画「クライマーズハイ」、「沈まぬ太陽」はどちらもお勧めです。
話は変わりますが、そろそろ1軍でみたいですよ!頑張ってくださいね!
72 ■無題
私が生まれる10年くらい前のことで、事故のことはうっすら知っていましたが、神戸選手の記事に私の知らないことがたくさん書いてありました。
読んでてすごく心打たれました。なんか言葉にできないです…
これからの人生、一生懸命生きます!
73 ■無題
自分はこの事故が起こった時は生まれておらず、この事件の存在もちゃんと知りませんでした。
けれど神戸選手の記事を全て読んで、こんな惨事を知らずにぬくぬくと過ごしている自分が哀れだとも思いました。
この事件を知らない人は知る事が必要だと思うし、今知った自分が言うには相応しくないかもしれませんが風化させない事が大事だと思います。
ごく平凡な生活が送れる事を当たり前と思うのではなくて、感謝しないといけないなとひしひしと感じました。
いつも忘れている家族への感謝を忘れずに家族を大事にしたいと思います。
神戸選手応援してるので頑張ってください!
74 ■ありがとうございます
はじめまして。88年生まれ女です。
この事故のことを、貴方のブログで初めて知りました。
医療職に従事している私は、亡くなられる方、そしてそのご家族と接する機会がままあります。
普段から命について考えることは非常に多く、当事者の方々との接し方や自分の振る舞いにも悩み葛藤することが多いです。
そこでいつも思うのが、病気という生命に直結する問題がある方のご家族では、悲しみはもちろんありますが家族の死への需要期間が少なからず設けられることに対し、事故や震災では全くの青天の霹靂なもので、その衝撃や悲しみ、怒りから需要に移行するのは大変難しいだろうということです。
いつも想像してみますが、その悲嘆は推し量れません。
東日本大震災に関してもたくさんの著書が出ています、それを読みながら
家族や友達、大切な人々がわたしの周りにいてくれることにいつも感謝し、自分の生きている意味もそこにあるのだと改めて考えさせられていました。
正直貴方のことは存じ上げませんでしたが、わたしに考えるきっかけを新たにくださってありがとうございました。
これからのご活躍を期待しています。
そして、お誕生日おめでとうございます♡
75 ■ありがとうございます
この日のとき、僕は小1でした。
祖父母の家から帰って、夜、家のテレビのニュースで報道されていたことを思い出します。
当時の状況、またこんな原因があったとは知りませんでした。
そして、こんな小さな被害者がいたなんて・・・
神戸選手のおっしゃる通り、命の貴さについて、考えたいと思います。
戦争も、事故も、二度と起こしてはいけません。
76 ■感謝
他球団のブログから来ました。私の誕生日は原爆の日です。だからいつも平和や戦争について考えさせられます。
日航機事故もリアルタイムでニュースで見て、悲惨な写真も記憶に残っていますが、神戸選手のおかげで新たに知るところが多く、この度の記事は深く心に残りました。
ただただ感銘を受けています。
当時の衝撃や恐怖と戦った乗客、乗務員の方々のことが思い出されます。
東北・北関東の震災の悲劇さえも風化しそうなこの頃、命あることが、家族や友人がいて当たり前の日常を送れることが、野球が楽しめる環境がどれほど尊いか教えてくださってありがとうございます。
神戸選手の発信力は素晴らしいです。
今後のご活躍を祈っております。
77 ■同じく、、、
私は事故の前日に産まれました。事故のことを知ったのは小学生のころ。
母より「あなたの産まれた次の日、沢山の方が亡くなられたの。坂本九さんもよ。大変な事故だったの。だからね…」と誕生日に教えて貰いました。
その後、同じように当時の新聞を見たり、ジャンボ機、御巣鷹山、坂本九さんに興味を持ち始めました。
坂本九さんのドラマ、映画を見たりし、当時の搭乗者とその家族の方々の思いを知ることになりました。
自分の体調が回復したら、登山したいと考えています。
78 ■無題
同じ日、同じぐらいの時間の便に私の兄も大阪行きの飛行機に乗っており、この速報が入ったとき、ものすごく心配したのを覚えています。
中越地震では親戚が被災しました。
東日本大震災では友人が被災しました。
私も家族との連絡がなかなかつかず、全員の無事を知るのに数日かかりました。
どんなに折り合いが悪くても、家族は家族。
生きるってなんだろう
家族ってなんだろう
そう思う出来事がくさん起こりました。
今こうして生きていられることに感謝しないと、と思いました。
改めて考える良い機会となりました。
後半戦の活躍に期待しています!
79 ■感謝
当時、中学生だった者です。
世に名を知られた方が、こういうことを書いてくださったことに、事故当時の記憶を持つ者として感謝します。
きっと、多くの人達が読むことでしょう。
ありがとうございました。
80 ■無題
この記事を読んでから、YouTubeのフライトレコーダーを聞きました。コックピットに鳴り響くアラーム、終盤に聞こえてくる「機首を上げろ」と言う自動音声。そして、賢明に機体をコントロールしようと奮闘するクルーの声に心が震えました。当時を知りませんが、文字だけとはいえ機長の「どーんといこうや」が、批判される理由が分かりません。取って着けたようで申し訳ありませんが、神戸選手のこれからの活躍を祈っております。
81 ■はじめまして
まず、このような記事を…ありがとうございます。
私は来年から、ある航空会社の客室乗務員(CA)として勤務します。そのため、空の安全に関しては、本当に考えさせられますし、自分が今後、その安全を担う一人なんだと痛感しました。
もし、このような悲劇が今後、自分の乗務する便で起こった時、私はどんな行動を取るのか…取るべきなのか…すごく考えさせられます。
CAとして、乗客のみなさまを守る事が間違いなく正しいでしょう。わかってます。しかし、自分の命も大切なことに変わりありません。同じくらい助けたい命です。
いくら技術や化学が進歩してきてるとは言え、100%安全などありません。
100に満たない所を補っていくのが、パイロットである運行乗務員、私たち客室乗務員なんだと感じます。
命の大切さ、空の安全…
これから入社して退社するまで
何があっても忘れられない課題だと思います。
82 ■無題
僕が生まれたのはこの事故の10年も後のこと。でもこの事故を知れば知るほど、今約束されているように見える"安全"というものの脆さを考えさせられます。
僕がこの事故を初めて知ったのも神戸さんと同じく、20周年のドキュメンタリーでした。あれから今でも、ネットや図書館などでこの事故を調べることがあります。
あの明石家さんまさんはひょうきん族の収録が予定より早く終わった為、いつも使っていた123便をその日に限って乗らずに済んだそうです。
人生何が起こるかわからない。
だから今を精一杯生きないと。
僕も知らない情報がたくさんありました。
ありがとうございました。
83 ■無題
思わず読みいってしまいました。神戸さんの遺族や命に対する思い、文章力など様々な部分に感銘を受けました。
私も今生きていることを当然と思わずに様々な不幸で亡くなった人に恥ずかしくないよう必死で生きていこうと思います。
神戸さんも野球を是非頑張って下さい。マリンフィールドへはよく行くのでグラウンドで見れる時を楽しみにしています。
84 ■無題
この事故も
他人事や昔の事では済まされない。
風化してはならないことなのだと
改めて気付かされました。
85 ■無題
ええんとちゃう(適当)
まあ、この話は置いといて
もっと活躍してクレメンス
86 ■無題
何度も読み返してしまいました。
あの時、機長の方々、客室乗務員の方々は一生懸命頑張っていたんですね。
あれから28年も経ったのか、このニュースを見る度にそう思います。
原爆の日と、終戦記念日がある8月は、特に命について考える機会が多い月ですね。
87 ■無題
お邪魔します。野球好きの者です。
当時大学生、鮮明に覚えています。
この日ちかくに祖父が亡くなったという出来事とセットです。
それから私は後に発覚した障害や、
障害による疾患に、また2度の離婚などの出来事に振り回され、
何度も自分の命を粗末にしようとしました。
生きたかったのに生きられなかった命のことを忘れて。
今、野球が見られること。
かわいい猫と、ささやかでも穏やかに暮らせること。
すべてに感謝しなくてはいけないと、
そして感謝、願い、平和、すべてを祈り続けなくては、
と改めて思いました。
そのきっかけを作ってくれてありがとうございます。
暑い日が続きますが、神戸選手の活躍をお祈りしています。
またマリンで見られる日を楽しみにしています。