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プロのエッセイストになりたい。 現役東大生/ライター/東京大学2013年度文科三類首席合格/東京学芸大学卒/英検一級/TOEIC940/英語教員免許 twitterもやってます。 @kawakamitkhr
  • 07/25/13--10:15: smn (chan 16996362)
  • someone, save me out of this enormous pain


  • 07/26/13--02:17: クセジュは臭えじょ (chan 16996362)
  • 昨日はじめて、パキシルという抗鬱剤を飲んだ。

    別に深い理由はなく、少しテンションが低めだということもあり、服用してみたのだ。

    別に効果はなかったように思う。

    精神に直接作用を及ぼす薬というのは実に興味深い存在である。

    人間の精神には具体的な形がない。

    骨折や出血など、身体の可視的損傷に対して直接作用を及ぼせることが多い薬と対照的に、

    精神薬というのは、ドーナツ化現象だ。
    精神とはなにか?
    この究極な問いへの答えは未だ出せぬまま、
    さしずめ見つかる精神の表象としてのシンプトムをターゲットに、作用する。
    中心では何も起きていない。
    変わっているのは周辺だけ。
    周辺で、症状と対処のイタチごっこが起きているのに、中心の黒幕は始終、胡坐。


    不随意な精神。
    意識で心臓を止めることが出来ないように、意識で心をコントロールすることは出来ず。

    それもそのはず。
    古典ギリシア時代から、続いてきた哲学、人間存在とは何かという問い、

    わたくしがケリをつけようなどとは甚だおこがましき愚考。

    ソクラテスやアリストテレス、
    遠く超えて、
    アキナス、
    超えて、
    デカルト、

    人間が滅びるまで、答えは出ぬのかもしれぬ。

    しかし、悲観しては大先輩たちに示しはつかぬ。

    比類する高さの建造物はもうない。雲は突き抜けた。あとは大気圏を突破、神の御元へ。
    わたくしに与えられた壮大な積み木の1ピースを、慎重に天辺に置けたら、冥利に尽きなむ。




    ゲーセンの入口にあるのは、プリクラやクレーンゲームといった華やかなアトラクション。
    どれもリア充臭が鼻をつく。

    一方、タバコ臭さと反比例して薄暗くなっていく通路を抜けてゆくと、そこには孤独な空間が。

    背中を丸めて煙草をくわえて、独り。

    けたたましく鳴るサウンドはちっともうるさくなく、
    その場を占める静寂な音楽の名前は「孤独」。

    しかしやはり経営のために、商業波にのるために、入口のリア充エリアは必要で、欠かせない。

    とはいえゲーセン好きにはわかると思うが、
    ゲーセンの本番は、奥。
    孤独の巣窟。
    奥。
    最深部に渦巻く埃、鬱屈した誇り、
    液晶に鈍く照らされた孤独な男たちこそ、ゲーセンの至宝。
    彼らを排除しては、ゲーセンはゲーセンでなくなるだろう。


    moi aussi

    大学生であるということは非常に価値重き状態である。
    何を望むも、何を犯すも、
    いろいろなものが守ってくれる。

    例えば、これは詳述できないが、
    わたくしの知るある教育大学の学生が行った
    幼少者への痴漢行為は、当局によるhush upを受け、
    「病気による無期休学」
    と相成った。

    しかし、ぬくぬくとした状態では精神にうまいぐあいにワセリンが塗られ、
    「これがなかなかどうして」
    とまさに芝居のようなセリフも吐きたくなく体たらくに堕ちんと欲す。

    大学を抜けたら、中国で住みたい。

    安藤忠雄氏ではないが「世界のどこかは景気がいい」のだ。
    景気ってのは何も、経済の調子だけとは限らぬ。

    沈みゆく船上では、様々なものが切り捨てられる。

    重しになる食糧、新大陸へやる奴隷、下っ端の船員


    沈みゆく船が沈まなかったことはないのに


    重要性の低いものから切り捨てられて、
    ムダが削がれる。

    しかしas you know、
    無駄とは、
    芸術が最も好んで巣食う餌、

    合理性重視のスムーズワールドでは
    生み出されるものはみな無骨、

    日本はこちらに向かっているのはどうやら見て取れそうだ。
    学生運動の頃の活気をわたくしは中国に見出している気がするのだ。

    反共産党運動
    その圧殺
    自由の主張
    検閲
    亡命
    暗殺

    ケイアス

    眠れる獅子がいまゆっくりとその身を起こし、
    猛然と駆け出す今その前に、
    地響き鳴らす大欠伸を満喫しているところだろうか。







  • 07/29/13--00:59: 文章救出任務 (chan 16996362)
  • おとといの夜だったか、妻との会話から、面白い思考の糸口が見いだされた。

    それは、
    芸術として自らの立場をclaim(主張)せんとする「文章」が持つ、おこがましさ。
    についてである。

    文章は、ある文化的コンテクストにおいては
    伝達手段
    ほかのコンテクストにおいては
    芸術
    たり得る。

    レポートや論文を書くときそれは伝達手段で、
    詩や小説を書くときそれは芸術だ。

    ピアノやバイオリン、絵画、写真は基本的には芸術。
    時折社会的メッセージを伝達する任務を負担することがこうした芸術にあれども、
    それは限定的だし、
    「芸術」であるからこそ任されたといっていい。
    検閲などをかいくぐるために。

    伝達手段としては言葉、文章が一番手っ取り早いのが現実だ。
    誤解(あるいは自由な解釈)をできるだけ排除もできるから、
    不特定多数を対象にした伝達に向いている。

    だとすれば、
    その「文章」がときに芸術たり得るとしたらそれは大きなステップアップであり、
    文章の傲慢でもある。

    文章など、意思伝達に徹しておけ。といわれても仕方がない。
    ただのツールだからだ。

    歌とも違い、リズムもない。
    ただの熱せられたインクの走り。

    傲慢承知で、
    それを果たしてどうやったら芸術に押し上げられるだろうか、

    これは美しい


    芸術作品として取り扱ってもらえるだろうか。
    値段を付ければいい?
    そうは問屋が卸さぬろう。

    値を付けても売れねば、実質的には無価値と等しいばかりか、
    むしろ無価値であることが強調されて空しい。
    新宿駅西口のあの300円で自作の詩を売る女性を思い浮かべよ。

    さて、どうすれば?
    諸君、
    諸君にとってどんな「文章」ならば、これは芸術だ。
    と認めうるか?

    泣ける小説?
    家族の大切さを教える小説?
    いまの生活の尊さを説く小説?
    幽玄なポエム?

    お待ちしておる。







  • 07/30/13--06:00: 長い目で見て (chan 16996362)


  • 夏休みが来ました。

    今日一番感じたのは、
    中国語のテスト開始前のクラスの静寂よ。

    わたくしは一回東京学芸大学を卒業しているから、
    大学の試験の雰囲気ってのがいかにゆるいかを知っているつもりだったんだけど、そんなことないのね。

    まさに入試の時そのものよ。

    だって進振りがあるもの。

    1,2年の成績で、自分が3年以降、やりたいベンキョウができるかどうか決まるんだもの。

    みんなすごい。18歳なのに。
    すごい。
    すごいよー。

    わたくしなんて、怒られたからね。
    この前。
    テスト開始前に、18歳の男子に話しかけたら
    「テスト前だからちょっと静かに頼む」って。
    恥ずかしくなったね。
    こいつらはがり勉?
    違うお。
    本気なんだお。
    マジなんだお。
    こんなに格好いいことあるかい?
    服も顔も髪型もまだあどけなくて子供よ。
    でも覚悟は立派に日本の柱よ。

    こいつらが官僚とか、医者とか、議員とかになるんだったら、
    日本は捨てたもんじゃないかもなって、思えるんだお。

    官僚とか医者とか議員とか、金すごいもらってメディアで叩かれてばかりに見えてムカつくかもだけど、
    もうちょっと長い目で見てやろうお。

    叩かれるの覚悟で国を背負って立とうとしているんだもの。

    わたくしも一生懸命頑張ろう。

    こう思わせてくれる人がまわりにいる。
    これがわたくしが一番かみしめる幸福であります。


  • 07/31/13--06:10: 林修先生への敬意 (chan 16996362)
  • 言わずと知れているでしょうが、林修先生は有名です。

    彼の恩恵を一番受けたといっていい、東大生も、もちろん多くが彼を尊敬していますし、

    わたくしも東大に入る前には

    「東大に入ったら、林先生の悪口だけは言わないほうがいい」と冗談で脅かされました。

    彼の素晴らしさは、

    割り切り

    にあると思われます。

    彼は常に冷静沈着であります。

    自分の「ブーム」がまったく刹那的なものでしかないということへの達観。

    現代文が、「訳のわからぬ文章」であることへの認識。

    自分の仕事が、その「訳の分からぬ文章」の読み方を教えるという、一見ばからしい仕事であることの理解。

    しかし彼が宣うことで、幸いわたくしの意見と一致いたしますのは、

    意味のないことをやろうとすることが、意味のないことだとは限らない。

    これであります。

    受験勉強は、それ自体はあまり実社会で意味のないことかもしれません。

    でも、

    意味がない

    と切り捨てては、東大に入って官僚になったり、東京芸大に入って画家になったり、することはできません。

    とくに、東京芸術大が、芸術センスだけでなく、しっかりとした「学力」を要請する選抜方式をとるのにはそういった意味がありましょう。

    夢の実現のために好きなことしかやらない連中に、
    人を感動させる何かが作れるとは思えません。なぜならこの世には、いやなことばかりだからです。
    自分の好きなことを仕事にするアーティストが、
    自分がやりたい仕事に就けなかった多くの人間たちを感動させるためには、
    「いやなことをやり続けた」、その苦しみがわかるということが必要なのだと思うのです。

    生まれてから好きなことだけやって人を感動させられるのは、本当に一部の天才だけでしょうし、
    そんな天才は放っておいても世に出ますから、
    放っておいても世に出ないわたくしを含む一般人は、したがって天才ではないのです。

    「頑張っていやなことをする」
    必要があるのです。


    無意味なことでも、
    いやなことでも、
    夢のためなら苦にしない。
    いや、
    苦だとしても頑張る。
    このことには、
    生きていく上で大きな要素が含まれています。

    わたくしは、
    東大生を
    「受験勉強ばっかりしてきた奴ら」
    と蔑む人間を心から軽蔑します。

    ロボットでもあるまい、
    彼らが
    無心で
    勉強をしていたと思うのか?

    カップルを尻目に、
    リア充を尻目に、
    1月に私立で決める連中を尻目に、
    指定校推薦で決める連中を尻目に、
    来る日も来る日も、
    セミが鳴く日も、
    落ち葉散る日も、
    雪の舞う日も、
    桜のつぼみがつく日にも、

    机という狭い狭い世界で、
    真っ暗な世界で、
    鉛筆というたった一本の頼りない刀を武器に、
    闘い続けた彼らを、

    東大の合格発表は遅い。わたくしの母校では、卒業式よりも後なはずだ。
    それまでよく頑張った。

    僕なんかは違う、もう受験のノウハウも知っているし、大人だから心もまだ彼らに比べれば平静、受かって当然。

    彼らはまだ若い、
    脆くて儚い、

    本当に手前味噌ですが、

    東大生である彼らに対して、
    敬意を表するのであります。

    林修先生の話とは関係がなくなってしまいましたが、
    乱暴にまとめれば、
    これも文章の良さかもしれませんね。



  • 08/01/13--07:03: 岩崎京也 (chan 16996362)
  • 岩崎京也は、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』と被る。

    『アルジャーノンに花束を』では、主人公である「知恵遅れ」(今ではタブーワードか)の青年が、最新の治療技術によって「天才」へと変貌し、
    いかに自分が「知恵遅れ」であったころに周りから感じられていたあたたかな人情が、
    偽物であったかを知り、
    そして、
    周りの人間がいかに欺瞞に満ちているかを知り、
    苦悩する。
    そして悲しいのは、
    手術の効能がやがて薄れ、
    「天才」から再び「知恵遅れ」へと彼が堕ちていく過程で、
    彼がその苦悩を忘れて、
    再び、
    欺瞞だと気がついたはずの人情の中に埋れていく点である。

    さらに詳しくは是非、文庫本を買って手ずから読んでほしいが、

    いまtwitterで話題となっている岩崎氏にわたくしは共通点を見出すのだ。

    岩崎氏の人気は、
    その純真さだ。

    ツイッターユーザーとしては中々珍しい、携帯の絵文字付きのツイート、
    ときおり誤字が混ざりながら、
    そのメッセージは真っ直ぐだ。

    ついでながら付け加えておくと、
    『アルジャーノンに花束を』
    の中の「知恵遅れ」の青年の手記にも、非常に多くの誤字が含まれているのだ(日本語版より、英語版の方が誤字が生々しくわかる)。これは実に興味深い共通点だ。



    わたくしたちは、
    岩崎氏や『アルジャーノンに花束を』の青年に、

    下から勇気を貰っている。

    下からだ。

    降り注ぐ勇気ではない。

    下からわたくしたちが掬い上げる勇気だ。

    無様だが、いや、無様だからこそ胸をつく。

    断っておくが、わたくしは、岩崎氏が大好きで(フォローもしている)(中の人がいようといまいと)ある。
    『アルジャーノンに花束を』もわたくしの愛読書でありますし、最後の一文は涙で読めなかった。

    なにも、見下していることには決して成らない。
    であるが、下からもらう勇気であることは、しっかりと認識しておくべきで、
    この認識は、
    わたくしたちが、
    人が転んだらつい笑ってしまうこと、
    わたくしたちは見世物小屋で「知恵遅れ」や「身体障害者」や「奇形」をつい最近まで盛んに見て楽しんでいたこと、
    コロッセオでは剣奴たちの闘いの、まさに高みの見物をしていたこと、
    と通ずる。
    綺麗事として
    一言、
    「感動」
    と捉えるべきではなく、
    何かしらわたくしたちの心の闇を暴いている瞬間でもあると認識しておくべきではなかろうか。


  • 08/03/13--07:02: 怖い話 (chan 16996362)
  • ライガーですとか、タイゴンですとか、そういったものをご存知でしょうか。
    知らない方は、調べてください。

    今回は、wisdomちゃんとの会話の中から生まれた、怖い話を夏の夜のお供にお届けします。



    人間とサルの異種交配が可能になって、
    ある研究者夫婦が、夫と、あるサルのメスを使って子供を作ることに。
    妻の方は、遺伝子的には介入していませんが。

    メスのサルは出産時に死亡。
    生まれた子供は、見た目も中身もサルそのままでした。

    数年間育て、きちんと教育も与えましたが、サルっぽさは変わらず。
    「人間ぽく生きるようにはならないかな?」
    「なったとしても、見た目がかなりサルだよね」
    と議論もなされましたが、進展はなし。
    結局、
    その半猿半人を、山に捨てることに、
    「じゃあね」
    と研究者夫婦が置いて帰ろうとした途端に、
    サルの顔をしたその子供はサルのまんまるな瞳でじっと「両親」を見つめ、こういいます。

    ねえ、なんで捨てるの?



    こええ。
    この子供は、ずっと自分の「運命」を聞いていたのでしょう。両親から。
    それでどういうわけか(ことを大きくしないため?子供なりに無難な方を選択するつもりで?)、サルっぽくふるまうことに決めたんでしょうなぁ。

    こういうことがそのうち起きそうだね。
    染色体数とかいろいろと障壁は多そうだけど、想像できることはすべて実現してきたのが人間だから。

    早くないっすか……

    離婚……

    したんですけど……

    詳細を記す……

    ツラタン……

    以下、元妻・料理研究家オガワチエコ了承済み実話……


    オガワチエコには、元彼であるTと、連絡を取る癖があった。

    交際から入籍の間にも一度、彼の家に行きセックスをしている。
    これは法的には告発できないが。

    わたくしは、それを辞めてくれないかと要請。

    オガワチエコは、
    その度に
    二度と連絡しないと
    約束。

    わたくしはその度に
    ぬか喜びを見せた。
    一度たりともその約束が守られていることなどなかったのに。
    結婚してからも、それは終わらなかった。

    わたくしは極度の束縛癖を持つ。

    オガワチエコのそういった行為をどうしても見逃せなかった小さな男だ。

    さきほど、
    もう数えたら何度目になるかわからぬ。
    また、ケータイにふとTの名前が表示された。

    どうして言ってくれないの?またTから連絡来たら、僕に報告してと言ったよね?約束したよね?

    オガワチエコは、

    だってひろくん怒るんだもん

    とひとこと言った。

    わたくしの中で何かが壊れる。

    そして離婚。





    いまこうして三鷹の東大寮に戻ってくると、

    すべてがあまりにあっというますぎて、夢かとも思える。

    いや、夢だったのか。

    なんにせよ、今から旅行に行ってくる。

    旅中で起きた出来事を全部ノートに記しておこうと想う。

    森鴎外の舞姫に、西村賢太の苦役列車に感化され、

    いまは、

    私小説を書きたいのだ。

    夏休みは、貯金を貪って生きる生活になると思う。

    わたくしは今、

    オガワチエコへの「束縛」
    が奪っていたのは、
    彼女ではなく、
    わたくしの自由にほかならないことを知る。

    at least
    彼女に対して最後に放った言葉が、憎しみの言葉ではなく感謝と激励の言葉であったことに、わたくしは少し自分を前向きに捉える要素を見出すことができる。

    唯一心残りがあるとするなら、彼女との間にどんな子供ができるのか、
    これだけは知りたかった。
    母親になった彼女をまずはじめにわたくしが、この目で見たかった。

    これに尽きる。


    以上は、わたくしが寮に戻ってから記した内容。



    以下は、わたくしが引越しのトラックの中で記した内容。



    温かく本格化する夏に、わたくしは離婚する。

    わたくしは、生まれてからこれほどの裏切りを受けたことがあっただろうか。

    これから書き記す愛と裏切りの物語は、わたくしが信じた愛が確かに存在したことを朧げなりとも確認するために、そしてなにより、オガワチエコを告発するため、
    これに他ならない。

    いかにこの行為が非生産的、非建設的、後ろ向きなものであるかは千も承知。
    しかしわたくしは、ただただこの復讐のため。そのために、経緯を書いていいかい?と許可を得たのだ。
    人間として終わっている、わたくしは。悲しい。
    でも僕にはこれしかなくて。
    僕にはこれしかない。
    僕には文章しかない。
    書くしかない。
    誰か助けてくれ。

    辛くて、馬鹿馬鹿しくてこれ以上書けない。馬鹿馬鹿しすぎる、僕の器の小ささが。
    僕はあまりにも愚かすぎるじゃないか。
    こんなのじゃ、この先誰も守れないじゃないか。
    いまこうして引っ越しのトラックの中、悲しみが溢れるじゃないか。
    このままじゃ僕は。

    間違いではないはずだ。

    二人の間に愛はあったし、
    二人で釣りをした時間も、
    映画を観た時間も、
    子供の話をした時間も、
    性交をした時間も、

    短さなど関係ない。
    たしかにそこに




    あった。


    しかしながら、
    わたくしたちの結末が
    こうなったのが結末。

    何も残らぬ。

    残るのは悲しみと後悔だけ。

    また、僕は
    爆発を
    発狂を
    防げず、

    大丈夫、きっと悲しみは癒えると思うから。

    あのときもそうだった。
    元カノが5年間もレイプを受けていたと知った時もそうだった、
    わたくしが作った劇団を卒業後も続ける話が頓挫した時もそうだった、
    卒論代行業者に途中で仕事を丸投げされて詐欺同然に金を騙し取られたときもそうだった。

    わたくしは、心の傷が癒えるのが、人よりも少し早い。
    でもこの傷は、せっかくからば、癒えないで欲しいとも思う。

    若いうちの苦労は買ってでもする。
    この大切さをわたくしは知っているつもりだから、悲観するのはもうやめよう。

    ここで、終わり。
    もう文句は、泣き言は、言わない。

    失ったものは振り返らないで、
    前進前進。

    中国語をマスターしよう。
    夏休みが終わったら、せっかく今来て欲しいと言われている会社を手伝いに行こう。

    何しろ、わたくしの住処である孤独を、
    きちんと正面から見つめよう。
    心から愛そう。

    わたくしはまだ若い。

    若さは何にも勝る。

    頑張っていこう。
    頑張っていこう、川上ぽこひろ。
    頑張っていこう、川上貴寛。

    きみは東大首席だ。
    きみの努力があれば、なんでもできるさ。

    だけど、今晩だけは泣かせてくれっち。

    また少ししたら面白いブログ書くね。