(ニュース61号 2000/08/01)
韓国の米軍基地と反基地運動
都裕史
韓国における米軍基地の成り立ち
日本の植民地支配にあった朝鮮半島に初めて米軍が上陸したのは、一九四五年九月八日です。当時、米軍は日本帝国主義から朝鮮民族を解放してくれた「解放軍」として迎えられました。
日本帝国主義の武装解除を行う傍ら、米軍は朝鮮半島南部に軍政を引き、自らの統治を円滑に進めるために日本帝国主義の統治機構を温存して、「解放軍」ではない支配者として次第にその姿を鮮明にしていきます。
現在、大韓民国にある米軍専用施設は九六ヶ所と言われ、その多くは、旧日本帝国の軍事基地であったところです。米軍が、『自らの力で日本から接収した土地であるので、韓国民に返す義務も必要もない』と言ってのける根拠になっています。
一九四八年八月一五日に朝鮮半島の北緯38度線以南に大韓民国が成立し、翌月九月九日に朝鮮民主主義人民共和国が以北に独立を宣言します。冷戦のもっとも先鋭的接点として、植民地から解放された朝鮮が大国の代理戦争を生み出す構図に組み込まれたのです。
米軍は、四五年の駐屯開始から継続して南の地に存在していましたが、四九年頃には大部分撤退することになります。しかし、一九五〇年の六月二五日に朝鮮戦争が勃発し、大量の米軍が再び朝鮮半島に流入してくることになりました。
韓国における米軍の地位
朝鮮戦争の最中、一九五〇年の七月に韓国と米国の間で大田協定(正式名称:駐韓米国軍隊の刑事裁判権に関する大韓民国と米合衆国間の協定)を締結し、一切の権限を無制限に付与されるような立場を米軍は得ることになります。並行して、当時の大韓民国大統領李承晩は、大韓民国軍隊の軍事作戦指揮権を国連軍という名の米軍に委譲します。これによって、米軍は、冷戦時代の一方の覇者として、朝鮮半島で思うがままの振る舞いを保障されることになったのです。
日本と米国の場合、サンフランシスコ平和条約の締結と同時に発効された日米安全保障条約があり、その下で、日米駐屯軍地位協定があります。この協定によって日本に駐留している米軍はあらゆる特権を受け、現在も尚、この不平等条約は改正されるどころか、「思いやり予算」という名の莫大な軍事予算特恵を追加してもらっている状態です。
一方、韓国においては、日米安保条約と同時期に韓米安保条約が締結されます。しかし、韓国に駐留する米軍に対しては、新たに地位協定が結ばれることが無く、米軍の「治外法権」ともいえる大田協定がそのまま持続されることになります。その上に、一九五二年五月二四日には、韓国の米軍に対する経済的支援を内容とするマイヤー協定も締結され、米軍の特権は一層強化されていきます。
韓米の間で駐屯軍地位協定が結ばれて発効するのは一九六七年二月九日でした。この原因は大きく三点あります、一点目は、米軍によるあまりの暴虐無人の振る舞いに対して韓国内世論が高まり、韓米間の地位協定が求められたこと、第二には、米国のアジア戦略の下で、それまで関係修復が難しかった韓国と日本との間で、米国主導による韓国側にとって屈辱的な韓日条約が締結されたこと、そして最後に、ベトナム戦争への韓国軍派遣を条件に地位協定締結に応じたということです。
その後、韓米駐屯軍地位協定は一九九一年に若干の改訂が行われますが、その後は一九九六年の九月に改正協商が途絶えたまま、そのあまりにも不平等な内容を温存したまま現在に至っています。
韓米駐屯軍地位協定(SOFA)と日米のそれとを比較した場合、明確に指摘できることは、米軍(米国)から見た条約内容の観点は次元的に同一であり、その下で、程度の差として韓米間の条約は日米間の条約よりも韓国にとって劣悪であると言うことです。
例えば、二〇〇〇年八月二日から韓米間で再開されようとしている駐屯軍地位協定の韓国側改正案の一つには、「刑事事件を犯した米軍人の、韓国警察による身柄拘束時期を、現行の裁判判決後から起訴時点に早める」という事項があります。これは、日米駐屯軍地位協定の現行内容そのままです。このように、信じられないほど韓米駐屯軍地位協定は日米駐屯軍地位協定よりも不平等さが歴然としているのです。
韓国における反米軍機運の高まり
冷戦構造の固着化に伴う南北分断の激化は、南の大韓民国をして歴代軍事独裁政権を生み出す土壌となり、長きに亘って反共・親米国家として様々な社会発展を阻害してきました。
軍事ファッショ政権による民主主義の破壊と反共イデオロギー統治は、一方で米軍に対する無制限な「寛容性」を韓国民に強要してきたと言えます。
韓国全土に広がる広大な米軍基地、特に、大都市に駐屯する米軍は都市機能を著しく停滞させ、韓国民が被る被害は莫大なものです。しかし、「米軍を批判することは北に同調する」という弾圧によって民の声は封殺され続けてきたのです。
日本における米軍基地は、形式的には土地所有者から日本国政府が借り受け、それを米軍に提供するという方式をとっています。そこには、賃貸契約があり当然賃貸期間と賃貸料が存在します。しかし、韓国においては、常識的に考えられない米軍基地の供与関係があります。
韓国における米軍基地には何の賃貸契約もなく、無制限に無期限、米軍の思うがままに無料で使用できるようになっています。よって、もともとの土地所有者は「国家安保」というイデオロギーのために、完全に所有権を剥奪されたままです。
更に、現在韓国には陸軍、空軍を中心とする約三万七千の米軍が駐屯していますが、かつて最高時は三六万人を数えた米軍が、長い間、各種の凶悪犯罪を引き起こしてきました。その正確な統計さえも定かでなかった米軍犯罪の実態は、沖縄におけるそれと同様に、「国家の安全」という看板の影で泣き寝入りを強要させられてきたのです。
一九九二年に尹今伊(ユン・グミ)という基地村で働く若い女性が、米軍によって無惨に虐殺されました。そして、その犯人の米軍人は、韓国側の徹底した調査もできないまま、韓米駐屯軍地位協定によって保護され極刑が下されることもなかったのです。その事件が発端となって、韓国民の積もり積もった反米軍感情が爆発します。「これ以上の米軍犯罪を許してはならない」、「犯罪米軍を優遇する韓米駐屯軍地位協定は改正されなければならない」という声が高まり、遂に翌年には「駐韓米軍犯罪根絶運動本部」が結成されます。すなわち、犯罪問題を通した反米軍機運の高まりが、具体的反米軍運動を生み出していったのです。
一方、無償で無期限、自らの土地を収奪され続けてきた韓国民は、いまだ反共・親米の社会的制約の中で、「ヤンキーゴーホーム」ではなく、「我々の土地を返せ」というスローガンで土地の取り戻し運動を始めました。
犯罪と土地、この二つの課題で韓国の反米軍基地運動は高まっていくことになったのです。
梅香里(メヒャンニ)、米空軍爆撃演習場
韓国の首都ソウルから南に六〇q、かつては「梅の香りが村を覆う」と呼ばれた梅香里は、米軍の五〇年に亘る射撃、爆撃演習場として「戦場」そのままの様相を残しています。
米軍地上攻撃機による陸上機銃掃射演習場と、原爆の模擬投下訓練や劣化ウラン弾などの砲弾を撃ち込む海上演習場を併設した梅香里は、爆音被害や誤爆事故によって人の住める地域ではないことが、米軍自らの科学的調査結果でも明らかになっているところです。しかし、「人が住んでいるということが、実際の攻撃を想定した演習を実施できる好条件」と米軍人が言うほど、戦争の実験場になってしまっているのです。
長い間の米軍による実弾演習で、梅香里沖に浮かぶ一つの島は跡形も無く消え去り、更にもう一つの島も海上に僅かにその存在を現すのみとなっています。
今年の五月八日には、演習中の米軍機がエンジントラブルを起こし、五〇〇ポンド爆弾が六つ一挙に投下されました。その事件に対する韓米合同調査団が「直接被害無し」の発表を行うや、梅香里の住民たちは直接闘争に立ち上がりました。そして、韓国全土から支援に駆けつけた人々と共に、現在、連日の反米軍基地闘争を力強く展開しています。
日毎に高まる現地闘争は、沖縄や米海軍射撃場のあるプエルトリコのビエケス島住民とも連帯闘争を繰り広げるべく、戦闘警察の過酷な弾圧にも負けず、逮捕者、負傷者を出しながらも果敢に闘われています。
彼らはもはや「ヤンキーゴーホーム」を堂々と声高らかに叫んでいます。さる五月の「南北頂上会談」の流れも相まって、韓国では米軍の存在そのものに対する熱い闘いが、強靱な韓国民衆のエネルギーをもって更に高まっていくでしょう。いまや、従来考えられなかった劇的変化に向けて、すでに歴史は動き出しているのです。
(と ゆさ・米軍基地反対運動を通して沖縄と韓国民衆の連帯をめざす会〔略称=沖・韓民衆連帯〕、URL
: http://homepage1.nifty.com/OKIKAN/)