尾木ママの子育て論に賛否が集まっているようで。
尾木ママ「万引きしても優しく声かけて」 「叱らない子育て論」がネットで論議に (1/2) : J-CASTニュース
「叱って育てる」ではうまくいかない
「例えば万引きで捕まったときには褒められない。そんなときにも怒鳴らず、魔法の言葉『どうしたの?』を優しく声かけして」
尾木さんは、子どもが自立するには一定量の愛情が必要で、幼いうちはそれをたっぷり注いでほしいとも訴えた。
ぼくは、「叱って育てる」というアプローチに強い反発があります。そりゃ、あまりにも短期的すぎでしょう、と。ゆえに、尾木ママの話には共感できます。
たしかに、人は叱られることで、表面的には、善い行動を取れるようになります。たとえば万引きをした子どもに対して、「万引きをしてはいけない!盗みを働いたら、うちの子じゃない!次やったら家を出ていけ!」と怒鳴ることで、彼・彼女は万引きをすることはなくなるでしょう。
これは短期的には成果が出るから、ややこしい。しかし、「叱って育てる」というやり方は、長い目で見ると、叱られた当人の人生を抑圧し、成果を出すことを困難にします。
「怒られない範囲」を抜け出せない
叱られて育った人というのは、常に「外部の規範」を参照して、行動を取るようになります。平たく言えば「怒られない範囲で」しか、物事を考え、実践することができないのです。
「怒られない範囲」というのは、日常生活を歩む上では確かに有益です。しかし、人生において、仕事において、何か「新しいこと」に取り組む際には、強烈な制約となります。
「怒られない範囲」に縛られている人は、仕事上で、何か新しい提案を行うときにも、常識の範囲に収まるようにコントロールしてしまいます。そういう立場からは、真に新しいものは出てきません。
「怒られない範囲」に縛られている人は、自分の人生についても、「無難な」選択肢しか選択することができません。彼・彼女は、他人から眉をひそめられるような環境には、耐えることができないでしょう。
「怒られない範囲」に縛られている人は、家族・友人関係でも苦労します。最愛のパートナーですら、相手の顔色をうかがい、自分の想いを内に秘め、安寧を保とうとします。そうした「我慢」が嵩じていけば、関係の破綻という結果をもたらすでしょう。
もっと厳しくいえば、「叱って育てられた人」は決して、一流になれないのです。
一流の人というのは、何らかのかたちで常識を破り、その結果として一流になります。「怒られない範囲」を飛び出すことを厭わない態度が、一流の人を生み出します。
誰かを叱ることを善しとする人は、「叱る」という行為が、その人の今後の人生の可能性に強い制約を与えていることに、ぜひ気づいてください。
一切叱ってはいけない、と言っているわけではありません。その上で、必要に応じて叱り、ケアを与えるようにしましょう。
それでも叱るのは大切だろ!と思う方は、こちらの書籍を読んでみてください。人生観変わると思いますよ。やっぱり、反省を強いるのはよくないのです。