読書メモも残しておりますが、面白かった箇所が多いのでピックアップしてみます。
バカな若者を減らすために
ここ最近話題の、ツイッターで愚行を自ら晒してしまう「おバカな若者」たち。ああいった人たちを減らしていくためには、一体何が必要なのでしょう。スマナサーラ長老の言葉に、そのヒントがありました。
「悪いことしてはいけないよ」とか、「ルールを守りなさいよ」なんて教える必要はない。
本人が毎日「何をしたら楽しいだろう?どうすれば、みんなを喜ばすことができるだろう?」と考えている以上、誰に強制されなくても、社会のルールぐらい守ります。法律も道徳も拘束も、この子には必要ない。
スマナサーラ長老は、仏陀の教えを忠実に引き継ぐ「初期仏教」の導師。めっちゃ日本語流暢な感じですが、それもそのはず、すでに30年以上日本にお住まいになっている方です。
で、そんな導師が、興味深いことに、子どもたちに「悪いことをしてはいけない」なんて教える必要はない、と断言しているのです。これはいったいどういうことでしょう。
ぼくの解釈では、これは「正しく利己的になれ」というメッセージだと考えます。例のおバカな若者たちも、もっともっと利己的になればよいのです。
「え、あのバカものたちは、十分利己的だから、ああいう愚行をするんじゃない?」と思われるかもしれませんが、それは間違いです。ある程度は利己的ですが、その利己性が近視眼的で不徹底だから、ああいった愚行に陥るんです。
どういうことか。おバカ写真を晒す彼らは、俯瞰的・長期的な視野に立って、自分を大切にすることができていません。
事実、彼らはああいった愚行によって、周囲に損害を与えるだけでなく、他でもない自分の人生を傷つけています。
彼らにあと幾ばくかの利己心があれば、「自分のために」愚行を避けたはずです。利己心が十分に磨かれていないがために、おバカなことをしてしまうのです。
ぼくらは社会に生きている以上、「自分のため」を徹底していくと、結局「他人のため」に行き着きます。
徹底的に利己的になれば、自然と利他的になる。そして利他的になって周囲から認められれば、もっと利己的に振る舞える。このループは不思議なもので、人間の文明を発展に導いた、一つの優れた本能だとぼくは思います。
おバカな若者に対しては、「損害賠償請求をすればいい。見せしめれば、真似をする人は減る」といった厳罰主義的な意見も聞こえてきますが、ぼくはそれは不健全だと考えます。
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今必要なのは、正しく利己心を養う教育をすることです。社会のため、他人のため、ということを考えるのではなく、まずは人々が、「自分のため」を一歩深く捉えることができるようになるべきなのです。
そんなことを、長老の言葉から考えました。これ良い本なので多くの方におすすめします。