――楽しみにしています。
私の中では、それは完結ではないんです。「陽のあたる家」の主人公一家は、まじめに働いていた夫妻と、育ち盛りの子どもたち。誰もが「救われてほしい」と思うような人たちですよね。
――はい。だから、多数の読者さんたちの心に届いたのでしょう。
ただ、貧困の現場も、生活保護制度の実際も、そういう方々だけが対象というわけではないんです。生活保護制度の原則の1つは「無差別平等」ですから、いわゆる「眉をひそめたくなるような人たち」も受給しています。
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――「無差別平等」とは、「この人は生きていい」「この人は生きなくていい」を、人が判断してはならない、ということですからね。親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」や、キリスト教の「神の前の平等」という考え方と通じるものを感じています。
そうは言っても、眉をひそめたくなるような生活保護当事者に対しては「なぜ、私たちの税金で?」という見方がされやすいですよね。だから、「貧困はなぜ生まれるのか」を描かなくては、と思っています。そこまでは、絶対にたどりつきたいです。そうしないと、「陽のあたる家」は、私の中では完結しません。
個人って、偏見や差別意識でいっぱいですよね。私自身、正義感に溢れているような人間ではありません。私の中にも、偏見や差別意識が溢れています。ときどき気がついて、自分でびっくりします。
――私もそうです。自分自身も含めて、各個人は、偏見や差別意識でいっぱいの度し難い存在であることから、結局は逃れられないと思っています。私は、個人の意志や努力の限界を痛感するからこそ、法や制度の問題に意識が向かっているところもあります。
でも、個人だって、知れば変われるんです。知らないと、どうしようもありませんが。
「ホームレスに近づくな」と
息子に語った自分を乗り越えて
――さいきさんご自身の、「知れば変われる」のご経験をお聞かせください。
しばらく前、息子に、
「ホームレスに近づくなって、お母さん、言ったよね?」
と言われたんです。