読めば貧困・生活保護が他人事ではなくなる!?
マンガで生活保護を描く、さいきまこ氏の思い
――政策ウォッチ編・第35回
マンガ「陽のあたる家 生活保護に支えられて」(2013年7月より、秋田書店「フォアミセス」誌にて短期連載開始)が、同誌の想定読者層である20~60代女性を中心に、静かな関心を集めている。
今回は、作者・さいきまこ氏へのインタビューを紹介する。さいき氏は、なぜ、生活保護に関心を向け始めたのだろうか? なぜ、生活保護というテーマを含むマンガを、世に問おうと考えたのだろうか?
出版社から契約を切られフリーへ
働かない夫と離婚、息子と2人に
「陽のあたる家 生活保護に支えられて」は、現在、秋田書店「フォアミセス」誌にて連載中のマンガだ。
筆者はまず、サブタイトルに明確に含められた「生活保護」の4文字にインパクトを感じた。「この作品は、正面から生活保護を扱っています」というメッセージだろう。
さらに、「フォアミセス」誌を購入して連載第1回を読んでみた筆者は、作品の説得力と迫力に度肝を抜かれた。どこにでもいそうな夫妻と子ども2人の一家を、どこにでもありそうな災難が襲い、一家は困窮する。その様子が、テンポのよいストーリー展開とともに、リアリティをもって迫ってくる。女性向けコミックの絵柄があまり好きではない筆者が、引き込まれてしまったほどだ。
ぜひ、多くの方に、作品を目にしていただきたい。その思いから、作者のマンガ家・さいきまこ氏にインタビューをお願いした。
◇
――こんにちは。最初に、さいきさんが、どういう経緯でマンガ家になられたのか教えていただきたいのですが。
35歳の時、契約社員として出版社に勤務していたんですが、それだけでは充分な収入が得られていませんでした。さらにその後、契約を切られました。当時、夫と4歳の息子(現在は大学生)がいたんですけど、夫はロクに働かない人でした。息子を育てるためには私が仕事をするしかなかったので、フリーライターとして、エッセイを雑誌に売り込みはじめました。それが、マンガ家になるきっかけでした。
――どのようなエッセイだったのですか?
育児エッセイです。当時は育児エッセイの全盛期でしたから。そのとき、売り込みが成功しやすくなるよう、エッセイに1コマのイラストをつけたところ、「イラストのほうが面白い」と評価されまして。イラスト入りエッセイの連載のお仕事をいただくことになりました。その中で、4コママンガや8コママンガを、自分の裁量で自由に描かせていただきました。
――さいきさんは、美術大学のご出身ですね。だから、抵抗なくイラストやマンガが描けたのでしょうか?
うーん……それは少し違うかなあと。美大って、絵の巧い人が入る学校というわけではありませんし、入ったら絵が巧くなるわけでもないんですよね。美大での専攻はグラフィックデザインで、卒業後はデザイン事務所に勤務したり、雑誌や書籍の編集をしたり、フリーライターとして記事を書いたりしてきました。その全部が、現在の仕事に関係していると思います。
――読み手からは、イラストとストーリーマンガは、全く異なるものに見えるのですが。
私の場合は、イラストから4コママンガ、4コママンガからストーリー4コママンガ、その次は通常のストーリーマンガ、という感じでした。コマ数が増えていって、自然にストーリーマンガになった、といいますか。39歳の時、ストーリーマンガで、マンガ商業誌デビューをしました。同時に、夫と離婚しました。以後は息子と2人暮らしです。
――自然にストーリーマンガが作れるようになるなんて……才能だと思います。私も、マンガにチャレンジしたことが何回もあるんですけど、「コマ割りができるようにならない」というところで挫折しました。
「生活保護をマンガに」のきっかけは?
――では、「陽のあたる家 生活保護に支えられて」について質問させてください。まず、なぜ、生活保護に関心を持たれたのでしょうか?
生活保護に対しては、「いつか自分も受けるかも」と思っていました。私は、余裕のない生活の中で、国民年金保険料はずっと支払い続けてきているんです。でも、今までのところ、老後に備えた貯蓄は全くできていなくて。私の老後を経済的に支えるものは、老齢基礎年金だけです。それでは生活できません。すると、生活保護しかないんですよね。
――息子さんに扶養を受けることは、考えていないのですか?
息子は、「私は、この子が大人になったら、絶対に手放す」と念じて産みました。私自身の両親は、子どもにしがみついてくる感じの人たちで、とても苦しかったです。息子には、自分自身の人生を生きてほしいです。
――廃案になった生活保護法改正案には、親族による扶養義務の強化が含まれていましたね。
ええ。2012年春に始まった生活保護バッシングのきっかけも、「お笑い芸人の河本準一さんのお母さんが生活保護を受給している」ということでした。河本さんがお母さんの扶養義務を果たしていないことが問題視されたのですよね。
――河本さんは福祉事務所と協議の上でお母さんに仕送りをするなど、可能な範囲で扶養義務を果たしておられたようです。
あのバッシングの時は……酷さにヘキエキしました。まるで自分がバッシングされているかのような気がして。それで、「政府の動きに対する反対署名を集める」などの活動をしていたんですけど、2012年末には衆議院選挙で自民党が圧勝、都知事選でも猪瀬さんが当選して。「もう、何をやっても無駄なのか」という気持ちになりました。いろんな方と話してみて、「でも、1人ひとりに、訴えて説得するしかない」という結論に達しました。
――その手段がマンガだったわけですね。
はい。私は口下手ですから、直接、他の方に話しかけて説得するなんて無理です。でも、「自分の職業を通じて、自分のフィールドで、自分にできることがあるのでは?」と。そこで、「陽のあたる家」の企画を立てました。貧困に陥り、そこから立ち直る家族の、家族愛の物語です。
第1回では、一家を困難と貧困が襲います。第2回では、水際作戦に遭うものの、一家は生活保護を申請して保護開始となり、緩やかながら生活再建へと歩み始めます。
「生活保護といえば不正受給」
そう思い込む読者を変えられたか
――「陽のあたる家」は、今月(2013年8月3日)発売の「フォアミセス」で、第2回が発表されていますね。第1回を読まれた読者さんたちからは、どのような反響があったでしょうか?
一番多かったのは、「自分だって、いつそうなるのか分からないです。身につまされました」という感じのコメントです。
――どこにでもいそうな共働きの夫妻と中学生・小学生の子どもたちの一家が、ありふれた理由によって困窮に陥るストーリーですからね。
それから、「不正受給は多いけど、生活保護が本当に必要な人は受けられるようにしてほしい」というコメントも多かったです。
――第2回には、「あるある!」と言いたくなるほどありふれている、「水際作戦」の良くあるパターンの実際が描かれていますね。本当に必要な人にも、生活保護を受けられなくするという。
もちろん「水際作戦」も問題なんですが、「不正受給は多い」も……生活保護について、あまり良く知らない方も、「生活保護といえば不正受給」と思っているんですよね。不正受給は金額で全体の0.4%にすぎないんですが、不正受給に関する報道は多いですから、刷り込まれてしまっているんでしょうね。世の中でそう思われているということを織り込んで、第2回のストーリーを作りました。
(C)さいきまこ(フォアミセス)
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――しかも、生活保護に対する理解不足や悪意や偏見をぶつける人々も含めて、実社会の「あるある!」が数多く描かれていますね。読者の方々の多くは、そちらの立場にあるのではないかと思います。
生活保護バッシングでいえば、バッシャー(叩く人)の立場ですよね。
「フォアミセス」編集部の方々にも、当初、「生活保護」という言葉を聞いて、ちょっと息を飲まれる感じがありました。ただ、生活保護がどういう制度で、どういう運用をされていて、どういう誤解があるかを入れ込んだプロット(筋書き)を作って見ていただいたところ、
「分かりました、やってみましょう」
という感じになって。
――プロットは、もう物語の形になっているわけですか?
そうです。「フォアミセス」編集部の場合、小説のような詳細なプロットを作ってから、ネーム(絵も含めたシナリオ)の制作に入る流れなんです。だから、その詳細なプロットの中で言葉を尽くして、編集部にご理解いただく機会がありました。多くのマンガ雑誌の編集部の場合、「プロット」は、本当に簡単な、何行かの「あらすじ」なんです。
――「フォアミセス」だからこそ、だったのですね。もし、詳細なプロットをマンガ家に要求しない編集部だったら、どうしていらっしゃいましたか?
いきなりネーム作成ですね。150ページ~200ページ分くらいの。
――掲載されるかどうかも分かっていない段階で、ですね。
はい。でも、掲載の目処がなくても、それだけの分量のネームを描いたでしょうね。ぜひ、実現させたかった企画ですから。
実はちょうど今、「陽のあたる家」の第3回を描いているところです。描きながら、推敲を続けています。特にセリフは、最後に書いてしまう直前まで、推敲します。
生活保護が
「無差別平等」であることの意味とは
――第3回の内容を、差し支えない範囲で話していただけないでしょうか?
9月3日発売の「フォアミセス」10月号で発表する第3回のテーマの1つは「スティグマ(恥の烙印)」です。生活保護世帯や生活保護当事者たちに対するスティグマが、実際にはどのようなものなのか、その当事者たちは、スティグマをどのように乗り越えようとするのか。ここでストーリーを語るわけには行きませんが、物語はそこで一応は完結します。
――楽しみにしています。
私の中では、それは完結ではないんです。「陽のあたる家」の主人公一家は、まじめに働いていた夫妻と、育ち盛りの子どもたち。誰もが「救われてほしい」と思うような人たちですよね。
――はい。だから、多数の読者さんたちの心に届いたのでしょう。
ただ、貧困の現場も、生活保護制度の実際も、そういう方々だけが対象というわけではないんです。生活保護制度の原則の1つは「無差別平等」ですから、いわゆる「眉をひそめたくなるような人たち」も受給しています。
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――「無差別平等」とは、「この人は生きていい」「この人は生きなくていい」を、人が判断してはならない、ということですからね。親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」や、キリスト教の「神の前の平等」という考え方と通じるものを感じています。
そうは言っても、眉をひそめたくなるような生活保護当事者に対しては「なぜ、私たちの税金で?」という見方がされやすいですよね。だから、「貧困はなぜ生まれるのか」を描かなくては、と思っています。そこまでは、絶対にたどりつきたいです。そうしないと、「陽のあたる家」は、私の中では完結しません。
個人って、偏見や差別意識でいっぱいですよね。私自身、正義感に溢れているような人間ではありません。私の中にも、偏見や差別意識が溢れています。ときどき気がついて、自分でびっくりします。
――私もそうです。自分自身も含めて、各個人は、偏見や差別意識でいっぱいの度し難い存在であることから、結局は逃れられないと思っています。私は、個人の意志や努力の限界を痛感するからこそ、法や制度の問題に意識が向かっているところもあります。
でも、個人だって、知れば変われるんです。知らないと、どうしようもありませんが。
「ホームレスに近づくな」と
息子に語った自分を乗り越えて
――さいきさんご自身の、「知れば変われる」のご経験をお聞かせください。
しばらく前、息子に、
「ホームレスに近づくなって、お母さん、言ったよね?」
と言われたんです。
私、覚えてなかったんですけど、息子に言われて記憶を巻き戻してみると、言いました、確かに、そう言いました。息子が小さいころ、当時住んでいた場所の近くに、路上生活者(ホームレス)がいたんですよ。で、息子に「危ないから、近づいたらダメよ」と。
――私も、子どもがいたら言っていたかもしれません。
でも、たぶんそれは、路上生活者を実際に知らないからなんですよ。見知らぬ路上生活者に、支援団体の人が話しかけると、どういう返事が返ってくると思いますか?
――想像つきません。人によってぜんぜん違うのでは? とは思いますが。
以前の自分は、「放っといてくれ」「うるさい」「なんだテメエは」だろう、と思っていたんです。ところが、支援団体の見回りに参加してみたら、実際には、「ありがとうございます」と答える方が一番多かったんですよ。行ってみないと分かりません。一回でも、目の前で、その人が実際に話す言葉を聞いたか聞かないかでは、ぜんぜん違います。「before」と「after」で、180度変わりますよ。それは、自分にとって気持ちの良いことです。
――お話を伺っていると、ぜひ私も一度、見回りに同行したいと思うようになりました。車椅子で行けるところは、非常に限られてしまいますけれども。
私も、もっともっと知りたいと思っています。偏見だらけだった以前の自分を、「かわいそう」だと思っています。今も、私には偏見が残っていますけど、だいぶ少なくなりました。
生活保護や困窮者について、あまりよくご存じない方に対しては、
「知れば変われます。私はそうでした。あなたもそうなのでは? 私は、もっと知りたいので、皆さん、どうぞご一緒に」
と申し上げたいですね。
――私も、ぜひ「知って変わる」にご一緒させてください。今日はありがとうございました。
◇
次回は、弁護士の尾藤廣喜氏を通じて、「生活保護制度の改悪に反対する」とは具体的にどういうことなのかを紹介する。厚生省(当時)のキャリア官僚として・弁護士として生活保護問題に関わり続けてきた尾藤氏にとって、今回の生活保護基準引き下げへの反対運動の第一歩「審査請求」とは、いったい何なのだろうか?
<お知らせ>
本連載に大幅な加筆を加えて再編集した書籍『生活保護リアル』(日本評論社)が、7月5日より、全国の書店で好評発売中です。
本田由紀氏推薦文
「この本が差し出す様々な『リアル』は、生活保護への憎悪という濃霧を吹き払う一陣の風となるだろう」