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【社会】

91年 原爆資料館お忍び訪問 ビートルズ ジョージ響いたヒロシマ

 被爆から六十八年を迎えた広島市の原爆資料館(広島平和記念資料館)には、日本に来た多くの外国人が訪れる中、平和への思いが強かった元ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンさん(一九四三〜二〇〇一年)も訪問していたことはあまり知られていない。ハリスンさんは衝撃を受けながら「つらいけれど忘れてはならない」と、原爆への怒りと平和への思いを新たにしていたという。 (藤浪繁雄)

 九一年十二月。ハリスンさんは親しかったミュージシャンのエリック・クラプトンさんとともに日本各地で公演。関係者やファンによると、同月六日に広島公演を終え、翌日に資料館を訪れた。空き時間を使っての「お忍び」訪問だったため、資料館も把握していない。

 公演を見た埼玉県狭山市の女性会社員(41)は「翌日、平和公園でジョージを見てびっくり。集まってきたファンにサインしたり、リラックスした様子で資料館に入っていった」と当時を振り返る。

 ハリスンさんの案内などを担当した通訳のアイリーン・ケイさん=米カリフォルニア州在住=によると、閉館の三十分ほど前に入館。展示物を見て回るうち、最初はいろいろ質問を受けたが、「徐々に言葉少なになり、そのうち一言も話さなくなり、私の手を黙って握っていた。彼が感じたショックと悲しみが伝わってきた」と記憶をたどる。特に焼け焦げた子どもの衣服を見た時は涙ぐみ、「つらいけれど、こういうことは忘れてはいけない」と語ったという。

 ケイさんは多くの外国人アーティストに同行し、広島来訪の際には「原爆の恐ろしさを知ってもらいたい」と資料館を案内するよう努めてきた。

 ハリスンさんは資料館訪問を公式には明かしていないが、九三年に出版された三千五百部限定の写真集に「(ライブ)会場のなかにいるこの人たち全員が原爆の放射能を浴びて死んだ人やいまだに苦しんでいる人を身近に抱えているに違いないと想像した」などと思いを記していた。

 元CDジャーナル編集長でビートルズ研究家の藤本国彦さんは「ビートルズは四人それぞれが平和への思いを表現しているが、ハリスンは物質社会への批判の姿勢、人間の本来持つ温かさの中から、平和を歌っていた」と話す。「この世に平和をください」と歌ったヒット曲「ギブ・ミー・ラブ」(七三年)だけでなく、広島を訪ねた後では、亡くなる直前まで制作したアルバム「ブレインウォッシュド」の同名曲で、現代社会に怒りをぶつけていた。

 今年十一月にはポール・マッカートニーさんの来日公演があり、注目されるビートルズ。生きていれば七十歳のハリスンさんの音楽や思想も受け継がれている。

 

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