また伊勢神宮式年遷宮に伴うお白石持ち行事に参加した。
今日は生まれ故郷である岩渕町の内宮陸曳き(おかびき)である。
例によって奉曳までの時間おはらい町を散策していると本日の二番車の豊栄会に出会った。
おはらい町で食事を済ませて出てくると本日の四番車大湊が浦田町交差点に現れた。
さすがに大湊は御木曳きで御正殿の棟持柱材を奉曳するだけあって奉曳車もでかい。
車輪も人の背丈程あるのがわかる。
奉納出発点に向かう為にブラブラ歩いていると牛谷坂を上りきった所に
本日の五番車(古市出発一番車)の倭町がいた。
倭町の担当者に聞くと本来は赤福前にいなければならないのにかなり遅れているとの事。
先ほど見かけた大湊の奉曳人数が大勢過ぎて遅れたそうである。
我々の法被を見て「私らこんなとこにおるであんたら(神宮に)入るの夜中になるんに」との事。
遅れる事の多い行事だか一抹の不安を感じる。
私の参加する岩渕町は本日のトリを務めるのである。
暫く行くと次は六番車(古市出発二番車)の岡本町だ。
私は出身は岩渕だが本籍は岡本なのだ。 やっぱり親しみを感じる。
七番車は吹上町。 法被には軍配に「富貴上」と染め抜かれている。
奉曳車にも日本酒の「富貴」の菰樽が積まれている。
九番車の宮崎町と私が参加する十番車の岩渕町はまだ出発していない。
暫く待っているととりあえず時間になり団長の挨拶がはじまった。
その後木遣りや伊勢音頭の披露があり約20分程送れて奉曳が始まった。
狭い古市街道なのでなかなか練る事はできないが、それでも若い衆は「エンヤ!」の掛声で左右に練り始めた。
暫く進むと行程の中の難所の一つ牛谷坂が見えてきた。
ここでは奉曳車の後部に後綱を取付け若い衆によりブレーキをかけながら下っていくのである。
本日の奉曳の中でも岩渕町の奉曳車は大型である。
その大きな奉曳車が細い坂道を下って行く姿は迫力満点だ。
無事に牛谷坂を下り広い道に出るとそれまでの鬱憤を晴らすかのように右に左に大きく練り始める。
あちこちで曳き綱に木遣りが挟まれ持ち上げられている。
浦田町交差点を渡る頃には既に午後5時を回っている。
明るいうちに神宮さまに入れるのだろうか。
夕日に照らされながらおはらい町を行く。時刻は午後6時半だ。
まだどこにそんな体力が残っていたのだろうと言う様な力強いエンヤ曳きで、
あわや観客席に突っ込むかの勢いであった。
このあとお白石を頂き御正殿に奉献したのだが案の定ほぼ真っ暗であった。
岩渕町の人に取っては新しい御社をはっきりと見る事ができずに残念なことであろう。
岩淵は次の外宮もお白石持ちのラストのラスト、大トリとなるので果たして明るい内に入れるのだろうか。
私は次は先日参加させて頂いた中之町に再び参加させて頂く。
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