韓国では、「在日同胞は日本で差別を受けている」ということが定説になっています。
そんな中、「じゃ、韓国では差別を受けないのか」というツッコミの記事がありました。
今日はその記事の該当部分を翻訳します。
シンシアリーの意見は後に書きますので、とりあえず、どうぞ。
『在日同胞は、一種の永住権である "特別永住資格"を放棄しなければ、たとえ韓国国籍になっても住民登録番号を得ることができない(在中同胞、在ロシア同胞などは、中国国籍、ロシア国籍を有している)。また、親の "特別永住資格"を受け継いだ子供たちも、韓国国籍ではあるが、原則的に住民登録は難しい。
ここは住民番号共和国(※住民登録番号が無いと何も出来ないという皮肉)。これがないとインターネット加入すら出来ない。
1999年に制定された「在外同胞法」に基づいて、特別永住資格を放棄していない在日同胞は、韓国に長く住んでも「在外国民」でしかなく、外国人登録証のような「国内居所申告証」と「居所申告番号」がもらえるだけだ。
在日同胞3世で、日本の学校に通いながらも「本名」を守って生きていたキム・ファジャ(33)さんの話を聞いてみよう』
『2007年に韓国人の夫と結婚した金さんは、長女が幼稚園に入学する2011年になるまで、住民登録番号が無いということすら知らないでいた。子供二人を育てるためにただ忙しかった。
当時、韓国人の夫と結婚した日本人たちに多文化家庭支援制度として保育費が支援されるという話を聞いた。キムさんももらえるだろうと思って申し込んだ。しかし、近所のサポートセンターから 「対象ではない」との回答は帰ってきた。
おかしかった。もしキムさんが日本国籍に帰化していたなら?韓国男性と日本女性の結婚として保育費支援がもらえる。実際、彼女の周囲には、他にもそのようなケースがあった。初めて「居所申告番号」の問題を認識されたのだ。
皮肉なことである。在日同胞は、日本で特別永住資格を証明する外国人登録証を持参しなければならない差別を受けた。指紋押捺を強要した、あの制度だ。勇気を出して帰ってきた祖国では住民登録証が無くて不利益を被る。
住民番号を与えない理由はある。在外国民の骨格をなす人たちは、1960~70年代に移民し、韓国を去った人々である。彼らが韓国に戻って来て暮らすとなると、永住権が兵役忌避などの手段になる。
しかし、韓国に再移住した在日同胞は違う。彼らは出て行ったんじゃなくて、入ってきた。金さんは 「在日同胞3~5世歳の私は好きでこの国を去ったのではない」と述べた。自分の選択ではなく、歴史の結果だというのだ』
『金さんの長女は来年小学校に入学するが、学校の課題、カリキュラムなどを確認するには学校のホームページにログインしなければならないが、住民登録番号がないとログインすら出来ない。彼女は3年間、一人で議員室を訪問して同胞女性たちと一緒に請願書を出してきた。
差別は遺伝される。同じく在日同胞出身の、聖公会大東アジア研究所のチョ・キョンヒ研究教授の娘は、小学校入学通知書を受け取っていない。入学児童対象の予防接種を受けに行っても、対象ではないと言われる。親が学校に訪ねて入学をお願いしないと小学校にも通うことができない。チョ教授は韓国人の夫と結婚した後、特別永住資格を放棄しておらず、子供もママの特別永住資格を継承しているからだ。』
『なぜ永住権を放棄しないのかと人々は尋ねる。チョ教授は、学術会の発表文「見知らぬ帰還者の想像力: "国民"と "多文化"の間の在日」にこう書いた。
「在日朝鮮人たちに"特別永住 "資格は、日本の定住化の過程で自ら獲得したもので、自分たちの法的地位を表す象徴的なものである。同時に家族が住む日本に居住を確保するための機能的な意味を持つ」
チョ教授の娘は、住民番号も抹消された。娘は韓国人に発行する一般的なパスポートと、他の在外国民に与える居住旅券を持っていた。お父さんが出生届けをして住民番号もあった。しかし、居住パスポートの期限がつき、更新しに行ったら、職員が 「永住権がありますね」と言った。パスポートを更新するには、永住権を放棄しろという。何とかして国籍を守った同胞が多文化サポートに連絡すると、「帰化したらどうですか?」と話す職員もいたという』
『不便さはキリがない。去る7月、キム・ファジャさんは住民センターで大変だった。「居所申告番号」に慣れていない職員は、しばらく待ってと言って電話をかける(誰かに聞いてみる)のが普通だ。事前に電話で必要な書類を聞いても実際に会ったスタッフは昨日とは別の人で、書類も異なるものを要求する。
キムさんは「なんとかなすこともありますが、誰かは良くて誰かはダメだという状況は直さなければならない」と述べた。実際、永住権を隠す人もいる。金さんは「韓国に住んでいる在日同胞の子どもに住民番号を付与することがそんなに難しいんですか」と問う』
『セヌリ党(韓国与党)は在外同胞に住民登録証を発行する法案を推進している。 6月、国会討論会も開催した。この日の討論会で話を聞いた金さんは、 「住民登録証に在外国民と表記するのは何故ですか。政府が知っていればいいのに、あえて表記する必要があるのですか」と指摘した。
彼女は二十歳を超えて祖国の言葉を学び始めた。祖国への関心が大きくなって、2005年に韓国に仕事に来た夫に会った。人々は尋ねる。 「キムさん、何でこの仕事に没頭するの?」
答は、こうだ。 「おばあちゃんが祖国の話をたくさんしてくれた。にもかかわらず、韓国語は下手だが父も朝鮮民族を強調した。日本で住んでいた所が南米から帰国した日本人町だったので、その方々のために奉仕もした。韓国へ来たら、私がそういう境遇だった。すっきりと平等であるべきだと思う』
『キムさんの姉さんであるキザさんはアメリカ留学中に韓国人の夫に会った。姉は妹が作った在日同胞女性のコミュニティに入れない。ポータルサイトへアクセスをするには、韓国語を理解する必要があるのに、姉の韓国語は妹ほどうまくない。お姉さんは、多文化政策から排除されている。お姉さんのような人たちを考えると、ファジャさんはさらに頑張れる。
ママ(キムファジャさんの姉さん)の特別永住資格を受け継いだ息子は韓国国籍だから、軍隊に(兵役)も行かなければならないし就職すると税金も支払わなければならない。これら姉妹のように韓流の韓国、民主化された祖国に帰還した同胞は増えている。しかし、彼らのためを思ってくれる祖国はない』
http://media.daum.net/society/others/newsview?newsid=20130809144007930&RIGHT_COMM=R4
韓国には「ミンチュンもないくせに」という言葉があります。
最近も使われているかどうかは分かりませんが、シンシアリーが高校生だった頃、近くの工場か何かで働いていた(多分)東南アジアの人がそれをよく言われました。
住「民」登録「証」もないくせに・・・・だから、「国民でもないくせに」という意味です。
そういうことを考えると、(記事の話だけで考えるのも何ですが)明らかに改善の余地があります。
上にも書きましたが、ハンギョレ新聞も「在日同胞への差別を何とかしよう」という趣旨でこの記事を書いたのだと思います。
しかし、
しかし・・
個人的に、「私は好きでこの国を出て行ったんじゃない。だからもっと恵沢が欲しい」というスタンスには、同意出来ません。そこまで愛する祖国で暮らしながら、日本永住権を諦めない理由も、納得出来そうにありません。
何かが出来るようになったということは、同じ分、やってはいけないことも増えたという意味です。
権利が欲しければ、その分の捨てるべきものがあるはずで、同じ分の責任を背負わなければならないのです。
彼らにそんな意識はあるのでしょうか。
なんか、「人権」というバカの一つ覚えな意見しか出せない三流市民団体か何かにしか見えないのですが・・
特に「~~がそんなに難しいのですか?」という表現は、アメリカの下院で慰安婦決議案の時、ある国会議員が韓国のテレビインタビューで「日本政府はSUMIMASENというのがそんなに難しいんですか?」と話したのと同じです。
それが、難しんですよ。
世の中には彼らの人権だけが存在しているわけではないですから。
下手に差別がどうとか権利がどうとか騒ぎ出す姿勢こそが、普通に日本(韓国)の一部として生きている在日(または元在日)の方たちにとっては迷惑でしか無いんじゃないでしょうか?
私が同じ立場なら、そう感じるはずですが。
・ただいま、コメントは承認制です・・が、実験的に?開放中です。
・他の人が書いたものを引用(コピペとか)してくる場合は、例え2chだろうとどこだろうと、「~からの転載、~からの引用(出来ればURL)」と明記してください。よろしくお願いします。
・本ブログの最初の趣旨はここ に書いてあります。
・上のリンクからも行けますが、「The New Korea」の翻訳はここ からです。
・最新エントリーとの二重投稿で構わないので、竹島関連で残しておきたいもの、資料、力を入れた意見などは国際裁判エントリーへどうぞ。
・雑談スレ もお忘れなく!