「従軍慰安婦」強制連行は無かった








◇従軍慰安婦で、日本の名誉を売った二人の弁護士
                      [WiLL2013年9月号] 藤岡信勝

■「反日ネタ」の最高傑作

 慰安婦問題をでっち上げ、世界にその嘘をばらまいて国際的な大問題に仕立て上げた二人の弁護士がいる。戸塚悦朗、高木健一の両名である。なお、もうひとり、顕著な働きをした弁護士に現社民党党首の福島瑞穂がいるが、その件は別の機会に取り組みたい。
 「日本の慰安婦問題は、どうしてこんなにいつまでも終わらず、何度も蒸し返されるのでしょうか」という質問を受けることがある。私はこう答えることにしている。
 「慰安婦問題は、前世紀の最後の二十年間につくられた日本叩きの道具として最高傑作であり、これ以上のうまい反日ネタがないからです」
 慰安婦問題は、一九八〇年代後半の米ソ冷戦の終結と社会主義世界体制の崩壊という時代背景のなかで、社会主義・共産主義の未来を語れなくなった左翼勢力が、自分たちの存在意義をかけて日本の過去を糾弾することに異常な熱意をもち、つくりあげたものである。驚くべきことに、慰安婦問題のデマの製造者・設計者はほとんどが日本人であり、その意味で「メイド・イン・ジャパン」の謀 略なのである。


■「sex slave」の役割

 五月十三日の橋下徹大阪市長の発言以後、「日本はこの問題で反論しないほうがいい」という議論が盛んに行われている。橋下発言について、五月十四日配信のAP通信の記事は、驚くべきことに、「Japanese mayor Wartime sex slaves were necessary」という見出しをつけて報じた。他の外電も同工異曲である。これは「翻訳上の間違い」などという生易しい種類の問題ではなく、明白な捏造報道というべきである。なぜなら橋下市長の発言は、慰安婦が国家によって強制連行されたという資料は存在しないという趣旨であり、したがって「性奴隷」などと言われるような存在ではないことを主張したものであった。
 それを「戦時性奴隷は必要だった」と書かれたのだから、橋下市長は本人の主張と一八〇度正反対の内容を世界中に報道されたことになる。だから、橋下市長は直ちにAP通信などを虚偽報道で訴えれば、ことの本質を世界に向かって明らかにするのに役立っただろう。そして、AP通信などの報道に接した世界中の人々が、「性奴隷が必要だった」とは日本は何という酷い国だ、と思ったとしても当然である。「反論してもかえつて逆効果」という事情は、メディアの謀略というべきなのである。
 では、そもそも「慰安婦」を「性奴隷」として扱うような流れをつくり出したのは誰か。それは日本人の戸塚弁護士が、国連の人権委員会に持ち出したことに始まるのである。
 そして、元慰安婦の老婆を日本国を相手取った訴訟に引っ張り出すことによって、捏造されたストーリーに「裏付け」を与えたのが高木弁護士であった。以下、順に二人の弁護士の行状を検証する。


■「sex slave」の発案者

 戸塚悦朗は一九四二年、静岡県生まれ。一九六四年、立教大学理学部物理学科を卒業後、同大学文学研究科修士課程(心理学専攻)を中退して同大学法学部に学士編入し、一九七〇年卒業。一九七三年から八一年までスモン訴訟原告代理人となり、八四年以降、国連人権NGO代表として活動してきた。
 二〇〇〇年から神戸大学大学院助教授、二〇〇三年から龍谷大学法学部教授。専攻は国際人権法。なお、二〇〇〇年に戸塚は弁護士を廃業している。
 戸塚は国連人権委貝会に「sex slave」という言葉を持ち込み、それ以後、国連機関が「慰安婦」を「性奴隷」と定義するようになったのである。そして、日本軍の「慰安婦」という言葉が被害実態にそぐわないので、クマラスワミ報告書が「軍性奴隷」という言葉を提唱し、国連用語として定着した。
 ここでクマラスワミ報告書と言われているのは、一九九六年二月六日に、「女性のための暴力特別報告者」に指名されたスリランカの女性活動家(弁護士)のラディカ・クマラスワミ女史が、日本の慰安婦問題について行った報告書を指している。「軍性奴隷」は、英文では「military sexusal slavery」となっている。「軍用性奴隷制」とも訳すことができよう。その内容についてはのちに触れる。


■金学順の提訴で決断

 人権擁護に携わる国連の政治機関である人権委員会には、国連との協議資格を持つNGO代表でなければ出席できない。そこで、「日本の象徴的な重大人権問題を国際的人権擁護の政治的手続を使って提起することが、この分野でボランティア活動に携わる筆者の責任でもあるのではなと考えるようになった」という。慰安婦問題に取り組むキッカケになつた直接の動機については、次のように書いている。
《九一年暮れには、金学服さんなど韓国の日本軍性奴隷被害者が民事訴訟を提起した。九二年初頭には吉見義明中大教授によって、この問題への日本軍関与を証明する資料が公表された。その直後韓国を訪問した宮沢首相(当時)が、日本軍の関与を認めて、あいまいながらも謝罪するという事態になっていた。だから、この間題も国連に報告するべき時期だと判断したのである。問題提起の直接の動機はこのようなところにあった》
 こうした経過のなかで特に、「勇気を奮って名乗り出た被害者とそれを支援する内外の多くの女性・市民運動の声」に動かされたとも書いている。金学順らの訴訟戦術は、国連で活動していた戸塚を動かし、局面を大きく変えたのである。そして、その訴訟の主任弁護人こそ、もう一人のこの運動の立役者・高木健一なのである。


■クマラスワミ報告書の嘘話

 戸塚の文章を読むと、彼は弁護士として証拠の扱いについては慎重であるべきなのに。慰安婦の証言を丸ごと信じているかのようである。九三年十一月七日・八日、北朝鮮の平壌で開催された国際会議で慰安婦三名の「証言」を聞かされた戸塚は、次のように書く。
《「慰安婦」に対する加害行為の凄惨さは、筆舌に尽くしがたいものがある。ピョンヤン国際会議での被害者の証言を聴けば、当時の日本の刑事法に照らしても、数え切れないほどの殺人、誘拐、強姦、監禁、強要、暴行傷害、その他の犯罪が行われたことが誰の目にも明らかだ。加害者の行為は、世界中どの国の当時の法に照らしても、重罪として裁かれる犯罪とされるはずだ》
 では、戸塚が工作し、全面的にバックアップしたと思われるクマラスワミ報告書は、どのようなものだったのだろうか。その中身を見てみると、何とそのなかには日本では完全に嘘話であることが確定した吉田田清治の著書を引用し、報告書の第二十九項で、吉田清治は「一〇〇〇人もの女性を『慰安婦』として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している」と書かれている。
 また、三つの国で十六人の元慰安婦の証言を聞いたとして、その内容を紹介している。そのなかには、チョン・オクスンという北朝鮮出身の元慰安婦の証言として次のような記述がある。
《中隊長ヤマモトは彼女に対して剣で打つことを命じました。私たちが見ている中、彼らは彼女の衣服を剥ぎ、足や手を縛り、釘のうち出た板の上を釘が彼女の血や肉片で覆われるまで転がしました。そして最後に、彼らは彼女の首を切り落としました》
 別のヤマモトという日本人は、「こいつら朝鮮人女は空腹ゆえわめいているのだから、この人肉を煮て、食べさせてやれ」と言ったことになっている。
 これは普通の日本人が読めば、ほとんど一笑に付すような馬鹿話にすぎない。むしろ、証言者の「民族性」が色濃く反映している。しかし恐ろしいことに、このような程度の悪い作り話が、国連の名を冠して英語圏で堂々と流通しているのである。「sex slave」という偽造語には、こうしたイメージの「裏付け」が用意されていたのである。
 ここで読者は、二〇〇七年のアメリカ下院の対日慰安婦非難決議の冒頭部分を思い出していただきたい。そこには、日本の「慰安婦」システムが「その残忍さと規模において前例を見ない強姦、強制中絶、陵辱、性的暴力を含み、その結果、手足の切断、死亡または自殺にまで至らしめたもので、二十世紀における最大の人身売買事例の一つだったのである」と書かれていた。
 内容の当否以前に、「手足の切断」(英語では mutilation)とは何だろうと疑問に思った読者も多いだろう。日本にはそういう文化はないからだ。中国には皇帝の愛人の四肢を切断して便所に放り込んだ皇后の話があり、英語圏には当然、言葉に対応する事実があったのだろう。決議文の筆者が、クマラスワミ報告書などに洗脳されていることは疑いない。


■情報ロンダリングのカラクリ

 報告書はクマラスワミ本人が書いたのではなく、某日本人運動家によって書かれたという風評があるという。いずれにせよ、その内容は酷いもので、先の吉田清治の本や慰安婦の作り話、それとオーストラリア人のジャーナリスト、ジョージ・ヒックスが一九九五年に刊行した『The confort women という本(日本語訳は『性の奴隷 従軍慰安婦』三一書房刊、一九九五年)からの引用で埋かられている。
 そのヒックスは日本語が読めないので、東大のある教授に在日韓国人の女性を紹介してもらい、彼女が日本の女性運動家たちから資料を集め、(おそらく英訳もして)送ったものを材料にして書いたのである。
 そのヒックスの本は何に基づいているかというと、金一勉の一九七六年の著書『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(三一書房)という本の引き写しである。その金の著書は、戦前の日本の統治が全て朝鮮民族を滅亡させるものであったという妄想の上に立ち、先の元慰安婦の嘘話を集めたような、まともに相手にするのもばかばかしい種類のシロモノなのである。
 ところが、この金の本がヒックスの英語の本に移しかえられると、何かまともな文献であるかのような体裁を取る。金→ヒックス→クマラスワミと、日本語から英語に書き写される過程で、マネー・ロンダリングならぬ情報ロンダリングとも言うべき事態がおこり、日本では破綻したデマが英語圏で堂々とまかり通る、というカラクリになつているのである。
 戸塚は、たしかに六年間で国連に人脈をつくり、情報を絶えず流してロビー活動を行い、世界のNGOとネットワークをつくつて、「慰安婦」を「性奴隷」にでっち上げることに成功した。


■新しい運動モデルの開発

 高木健一は一九四四年、中国・鞍山市生まれ。一九七〇年、東大法学部卒業。一九七三年、弁護士を開業。サハリン残留朝鮮人問題、在韓被爆者問題、韓国・太平洋犠牲者問題など、アジアに対する戦後責任問題に取り組んだ。高木は現在も東京第二弁護士会所属の弁護士として開業している。
 慰安婦問題を使った反日運動で独創的な点は、相手国の「被害者」を探し出し、原告に仕立て上げて日本国家に対して訴訟を起こさせる、という運動モデルを開発したことである。
 それは、日本国内の公害や薬害の犠牲者を原告とする訴訟のパターンの延長上にあるとも言えるが、国内の訴訟は少なくともある程度の実際の被害を受けた当事者が主体となつているのに対し、この運動モデルでは、日本帝国主義・軍国主義の「被害者」を地の果てまでも出かけて探し出し、何ら訴訟など考えもしなかった当事者に、原告になるよう依頼・説得し、訴訟を通じて「事実」をつくり出すという点にある。
 被害者がいて、それを支える運動がおこるのではなく、反日運動のため被害者を見つけ出して利用するというところに、この運動モデルの特異性があるのである。
 高木の弁護士としてのキャリアのなかで、そのモデルをつくり出した最初のテーマは、サハリン残留朝鮮人の問題であった。この問題では、民主党政権で官房長官を務めた仙谷由人も同僚であった。
 面白いことに、のちに慰安婦強制連行の詐話師として勇名を馳せることになる吉田清治が、サハリン訴訟の証人として早くも登場している。高木がサハリン残留韓国・朝鮮人の帰還請求裁判を東京地裁に提起したのは、一九七五年だった。吉田の法廷証言は、一九八二年九月三十日と十一月三十日の二回にわたって行われた。
 吉田証言を高木は次のように紹介する。
《軍の命令のままに多くの朝鮮人労働者を朝鮮総督府の機関や警察官、村役場の職員の協力によって木刀で追い回しトラックに乗せたと、強制連行の実態を生々しく証言したのだった。そしてそれらの証言のなかで女性の連行もおこなつたという証言が飛び出して、これが以下に引用する従軍慰安婦の強制連行の証言となったのである》(高木健一『従軍慰安婦と戦後補償 日本の戦後責任』三一新書、一九九二年、一五頁)。
 吉田清治の『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』は一九八三年の発行だから、この法廷証言当時は、著書を執筆している最中だったと思われる。高木前掲書には、法廷での高木と吉田の問答が速記録のような形で長々と収録されている。
 「朝鮮半島から何人くらいの婦女子を徴用されたのでしょうか」という高木の質問に、吉田はもっともらしく、「全部で私が労務報国会動員部長中に九百五十人、これは間違いないと思ぅのは、私は非常にこれは深刻でございますし、当時の部下たちと数年前から時々山口県に行った時に会ってその話で大体皆の意見も九百五十人と言っておりました」と答えている。
 詐話師の面目躍如である。というのは、秦郁彦は九三年三月、吉田に電話で「裏付けをとりたいので旧部下の誰かを紹介してくれ」と依頼したところ「絶対に教えられない」と断られた、と言っている。それで秦は済州島の調査に向かったのであった。また、上杉千年は吉田の講演会のあと、楽屋を訪ねて元の部下の紹介を依頼したところ、吉田は脱兎のごとく逃げ去ったと書いている(『検証「従軍慰安婦」』全貌社)。
 秦と吉田の先の電話のやりとりのなかで、吉田が最後に「私を支持するNGOも多いので、近く国連に持ちこんで大問題にさせます」と話している。高木−吉田−国連−戸塚といった形で、水面下では早くから地下茎のごとく、人脈が繋がっていたらしいことが次第に見えてくる。


■慰安婦を反日運動に利用

 さて、一九九一年十二月六日、金学順ら慰安婦三人を含む原告三十五人(慰安婦のほかに軍人軍属十六人、遺族十六人)が、東京地裁に提訴した。日本国に謝罪と賠償を求めるという内容だった。
 朝鮮人慰安婦を名乗り出させて訴訟の原告にするという案は、もともとは大分市の主婦・青柳敦子が初めて実行したものであった。青柳は一九八九年、韓国に出かけて鉦や太鼓で原告探しをした。初めは反応がなかったが、翌年、韓国側遺族遺族の組織ができ、提訴の段階となつた。
 ところが、韓国側の団体が青柳のグループと手を切り、高木弁護士のグループに接近した。こうして、東京地裁への提訴は高木が主任弁護人を務めることになったのである。
 ところで、原告のなかの元慰安婦だった金学順は、訴状には十四歳の時から三年間、キーセン学校に通ったこと、養父に連れられて中国に渡り、性的サービスをさせられるようになったことなどが書かれていた。しかしこれでは、どこに日本政府の責任があるのかさっぱりわからない。このことについて、秦は次のようなエピソードを紹介している。
《私がその頃、高木弁護士へ「もう少し説得力のある慰安婦はいないのか」と聞くと、「実は私もそう思って韓国へ探しに行ってきた。追加分[あとで原告に加えられた元慰安婦を指す引用者]はよいのばかりですよ」と言われたので訴状で検分したが、似たりよったりなので失望したことがある》
 要するに、高木らは自らの反日運動のために、韓国の元慰安婦の老婆を利用したのである。


■テレビ番組の情報操作を暴蕗

 一九九六年九月二十九日深夜、日本テレビ系列で「IANFU インドネシアの場合には」というドキュメンタリー番組が全国放送された。これは、名古屋の中京テレビというローカル局が制作したものであった。竹中直人のナレーションで、インドネシアの元慰安婦たちがやっと声を上げ始めたというストーリーである。
 番組に登場するインドネシアの女性が、日本兵に強制連行されたかのような話をしている。これには作為ほどこが施されていると私は直感した。放送の前日に、日本共産党の機関誌「しんぶん赤旗」だけが内容の予告をしていたのも大いに怪しい。組織的に仕組まれているのは問違いない。
 そこで、いまは故人となつたアセアンセンターの中島憤三郎に相談し、番組のビデオをみんなで視聴して番組の嘘を突き止める公開検討会を開催することにした。中島は福田元総理大臣(父の方)のインドネシア語の専属通訳を務めており、インドネシア語にも現地の事情にも精通している。
 検討会は、ビデオを再生して、登場する女性のインドネシア語の発言と字幕の日本語のズレをチェックするという方法で行った。予想どおり、女性の証言をねじ曲げて訳した箇所が次々と判明した。二つだけ例を出そう。
▽元慰安婦とされる女性の証言の字幕は、「買い物から帰る途中で無理矢理連れ去られました。日本兵に単に乗せられたのです」となつている。ところが、実際にビデオで彼女の発言を聞くと、そのようなことは言っていない。「買い物から帰る途中で無理矢理連れ去られました。オランダの車、いや、日本の単に乗せられたのです」と言っているのである。字幕にある「日本兵」という言葉は、どこにも出てこない。番組が勝手に書ぎ加えたのである。悪質な偽造である。
▽元慰安婦とされる別の女性の証言の字幕は、「戦争が終わると日本人は誰もいなくなつちゃつたんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです。手元に残ったのはお金じゃなくてキップ(軍票?)だけだつた。キップというただの紙キレだけ」となっている。実際の発言は、「はい、いま私が一番つらい事はこうなんです。私は体を悪くしているのでゆっくりしゃべります。(戦争が終わって)散り散りになって帰るとき……あの朝鮮人は誰だったろう。全員いなくなってしまったんです。一銭も手元に残されませんでした。キップが残されただけでした。紙キレのお金、それをキツプと言っていました」となる。
 「あの朝鮮人」とは、慰安所の経営者のことであるのは間違いない。番組は経営者が朝鮮人だったということを隠し、わざと「日本人」という言葉を挿入して、あたかも日本人が慰安所を経営して、彼女たちを置き去りにしたという話に仕立て上げた。テレビ・メディアを使った悪質な情報操作である。この検討会の内容は産経新聞で報道され、反響を呼んだ。


■インドネシアに火をつけた

 そこで私はこの際、インドネシアに出かけて、ことの真相をつきとめようと考えた。産経新聞も独自の取材を計画し、阿比留瑠比記者と同道することにした。案内役・通訳として中島翁にご足労願った。
 調べていくと、驚くべきことが判明した。インドネシアの慰安婦問題に火を付けたのは高木健一だった。
 高木はインドネシアを訪問し、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。このことが、「慰安婦は名乗り出れば二百万円の補償金がもらえる」という話として伝わった。
 インドネシアで二百万円といえば日本円で二億円に相当し、数世帯が一生遊んで暮らせる額である。当然ながら、希望者が殺到してパニックとなった。実に二万二千二百三十四人もの人々が「慰安婦被害者だ」と名乗りを上げたのである。戦時中、インドネシアに駐留していた日本兵は二万人である。これが、中京テレビのナレーションが言う「アジアの女たちが声を上げ始めた」ということの実態なのである。改めてイヤというほど感じた。
 インドネシアでは英字紙「インドネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長にも面会した。アリ会長は中京テレビの番組を見て、次のように語つた(中島憤三郎「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」『祖国と青年』一九九六年十二月号より引用)。
《ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。「お金をくれ」などとは三百六十年問、わが国を支配したオランダにだって要求しない》
 村山内閣は「アジア女性基金」の寄付金の配分を打診していた。これに対するインドネシア政府の対応も、まことに立派で完壁なものであった。九六年十一月十四日、スエノ社会大臣が記者会見し、次のような発表をした。
1.インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはない。
2.しかし、日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをして、お金をはらいたいと
  いうのでいただくが、元慰安婦個人には渡さず、女性の福祉や保健事業のために
  使う。
3.日本との補償問題は一九五八年の協定により、完結している。


■「朝生」で高木の行状を追及

 名乗り出た慰安婦の登録実務を行ったのは、インドネシアの兵補協会であることが分かった。そこで、ジャカルタ郊外にあるその事務所を訪ねることになった。兵補とは、旧日本軍の雑用をする仕事に携わった現地の人々のことである。
 事務所までは、埃っぼい道を激しく振動する単に揺られて一時間以上も走ってやっと辿り着いた。民家の二階の事務所に招き入れられて、インドネシアの兵補中央協議会元会長のタスリップ・ラハルジョと面会した。
 ラハルジョは、「東京の高木弁護士の指示を受けて慰安婦の募集を始めた。『早く進めろ』と催促も受けた」と語った。ラハルジョ会長は、高木が日本語で手書きした慰安婦登録用書式を見せてくれた。
 九六年十一月三十日、テレビ朝日で「朝まで生テレビ」が放映された。タイトルは、「元日本帝国軍人五〇人の戦争と平和」というもので、五十人の元軍人をスタジオに招いて、その前で慰安婦問題について討論するという趣向だった。出演者は秦郁彦、小林よしのり、高木健一、海老名香葉子、それに私という顔ぶれだった。
 このなかで高木は、アジアの女性たちが声を上げ始めた、という類の発言をした。そこで私は、兵補協会の事務所で撮影した高木の手書きの慰安婦登録用紙を拡大写真で見せて、その実体を暴露した。アジアの女性が自発的に立ち上がっているかのような話は嘘で、自作自演、火のない所に煙を立てて回っているのは他ならぬあなたではないか、と私は高木を追及した。
 この放送にはその後、ちょっとしたトラブルがあった。「朝生」は普段は文字どおり生放送なのだが、この日は元軍人五十人をスタジオに招いたため、ご高齢で深夜の出演は無理だった。そこでこの日だけ、例外として午後五時からの録画撮りとなった。
 収録後、日下プロデューサーから電話がかかってきた。高木が「自分の言い分を字幕で入れよ。そうでなければ放送することを認めない」とごねているとのことである。そこで私は、テロップを入れることにやむなく同意した。テロップは私の発言の場面にかぶせて、「この論争のなかで藤岡氏の発言の一部に事実を歪曲したものがあり名誉を傷つけられたとの抗議が高木氏からありました」というもの。論争のなかで反論すべきなのに、こういうやり方はアンフェアである。生番組にどうしてテロップが出るのかと不思議に思った人もいることだろうと思うが、以上のような事情があったのである。なお、このテレビ討論の私の発言部分を YouTube でいまも見ることができる。
 金で釣って慰安婦に名乗り出させて運動に利用する反日活動家の醜い姿。それによってアジア各地に「反日産業」を扶植していく恐ろしさ。彼等こそ、日本国の獅子身中の虫である。


■「首の皮一枚」だった日本

 最後に、戸塚悦朗の一文を引用して本稿を締めくくりたい。戸塚は二〇〇八年に前掲の『日本が知らない戦争責任』という著書の改訂増補版を出したが、それはちょうど二〇〇七年の参議院選挙で民主党が勝ち、参議院の与野党逆転が起こつて政権交代の可能性が言われ出した時期であった。
 そこで戸塚は増補版の前書きに、「政権交代を実現することができれば、『解決不能』と言われていた日本軍性奴隷問題の立法解決が可能となり、それをきっかけにアジアとの和解のプロセスが始まるというヴィジョンがはつきりと見えてきました」と書いていた。
 幸い、その民主党政権は三年三カ月で終わったので戸塚の期待は実現していないが、日本は首の皮一枚で救われたのである。




◇日本を批難するドイツは恥知らず

                下記[WiLL 2013年8月号]より抜粋

■ドイツの“従軍慰安婦”

 さて、CDU(与党のキリスト教民主同盟)はこうして日本の犯罪性を最大限に強調したが、しかし、最後にそれを現状の女性の問題にすり替えて焦点を逸らすという手法を採っている。つまり、ここからわかるのは、CDUがこの議決案に反対した理由は、旧日本軍への理解でも現日本政府の擁護でもないということだ。別の理由があるのだろう。
 次の文章を読んでいただきたい。
《この女性たちがいかなる辛苦を嘗めたか、いかなる屈辱、懲罰、疾病を耐えなければならなかったか、それらの苦しみのあと、高齢になったいまも精神的苦痛に襲われ、何人もの女性はそのために自殺をし……》(クリスタ・パウル著[強制売春)]邦訳なし)
 これは、日本の“従軍慰安婦”のことではない。ドイツの従軍慰安婦″の話だ。
 ヒトラー政権下のドイツ国防軍は、ドイツ国内、紛争地、および占領地全域に、大規模な売春所を運営していた。売春施設は兵士用、将校用、親衛隊員用、外国からの徴用労働者用などに分かれ、驚くべきことに、それは強制収容所、絶滅収容所にまであった。
 売春婦として働かされたのは占領地の女性、およびラーヴュンスブリエツク女子強制収容所の女囚である。ここでは、様々な国籍の若くて美しい女性が囚人のなかから引き抜かれ、全土に配置された。
 ナチは他のすべてのことと同様、国民や兵隊の性行動も統制下に置き、緻密な計画をもって監視し、管理しょうとした。
 順を追っていくと、まず、政権を握った直後(一九三三年)に売春婦狩りが始まっている。売春婦の定義は、妙に人目を引く態度やふしだらな行為で個人、あるいは公衆に対して不快な思いをさせる人間ということだったので、警官は売春婦だけではなく酒場にいる女性、あるいは、単に独身で進歩的な行動をとる女性なども独断的に逮捕することができた。また、ニュルンベルク法が制定されたあとでは、ドイツ人と関係を持ったユダヤ人女性も逮捕の列に加わった。それらの女性の多くが「反社会的」という烙印を押され、収容所に送られた。
 囚人のランクでは、「反社会的」というのが一番下で扱いも劣悪、死亡率は非常に高かった。「娼婦が酷使されようがされまいが、我々には関係のないことだ。どんどん酷使し、できるだけ早く除去できればなお良い」というのが、党の方針だった。
 その一方、党は着々と売春施設の設置を進めていた。つまり、売春は公共の場から駆逐されたものの、新たに党と軍のイニシアティブで再編成されたのである。占領地で兵士たちが女性を強姦したり、地元の売春宿を訪れたりしたなら統制が取れなくなるばかりか、性病が蔓延し、軍の能力が削がれる。それを防ぐため、軍は売春施設を必要とした。また、軍のなかに蔓延っていた兵士の同性愛を抑える意味もあったと言われている。


■ドイツ国防軍の売春施設

 一九四〇年夏、ドイツ国防軍はフランスの占領地において地元の売春宿を接収し、国防軍の売春施設とした。もちろん、駐留しているドイツ兵士のためのものだ。これが、初期の売春施設の一つである。
 そしてすでに同年十月には、ポーランド占領地のドイツ軍衛生部の士官が売春施設の設置を求めている。「国防軍、奉仕団、空軍、親衛隊が売春施設の設営を引き受ける。売春婦としては、ポーランド人の売春婦として働いていた女性を使うことになるだろう」という文書が残っている。こうして、一九四〇年から四二年までの間だけでも、三万五千人の売春婦が働いていたという。そして、大抵はほぼ六カ月で取り換えられた(前掲書より)。
 なお、強制収容所に作られた売春施設は、収容所を運営していたエリートである親衛隊用のものと囚人用のものがあった。囚人で特に働きのある者がそこを訪れる許可を貰ったというが、これは日本でいま、論じられている慰安婦問題とは比較にならないため、言及しない。
 いずれにしても、専横的に選抜された女性は便宜上、売春婦に応募させられ、売春の許可を貰い、売春施設に幽閉された。そして比較的良い食事を与えられたものの、労働は過酷だった。特に、一般兵相手の売春婦は休みなしで働かされた。四三年三月に、ポーランド地区の売春施設付の軍医が、売春婦の不足を訴えている。報告書には、売春婦一日一人当たり、少ない日で二十二・六人、多い日で四十六・五人の兵隊を相手にしたという統計が添えられていた。
 フランツ・ザイトラー著『売春・同性愛・自己毀損 ドイツ衛生指導の諸問題1939−1945』によると、一九四二年、ドイツ国防軍が経営していた売春施設は五百カ所を超えていた。前線の位置や部隊の規模が変化するたびに、いくつかの売春施設は閉鎖され、新しい施設が開かれた。徴用された売春婦はポーランド人、ロシア人、ギリシャ人、フランス人、ユーゴスラビア人の、ユダヤ系ではない女性であった。
 兵隊の買春が合法化されたことにより、四〇年十月からは、ドイツ兵による強姦事件は親告罪となつた。つまり、被害者が告訴しない限り取り締まる必要のない行為となり、強姦はあってもないと同様になつた。第二次世界大戦中のドイツ兵における強姦の数は、十万人につき二・三件とされ、ドイツ軍はその規律の良さを誇ったが、真にはこういう事情が絡んでいたのである(『強制売春』クリスタ・パウル)。


■個人補償は払っていない

 また、ドイツは村ごとの虐殺など、正規の国防軍が働いた犯罪に対する個人補償などは払っていない。〇六年、イタリアの高等裁判所が、チヴイテッラという村で四四年に二百五十人が虐殺された事件を裁き、ドイツ国に対して、犠牲者の遺族に七十八万ユーロの支払いを命じる判決を出した。
 しかし、ドイツは〇八年、この判決は国際法に抵触するうえ、「戦後五十年が過ぎ、ドイツが国際社会の一員として各国と豊かな協力関係に入っている現在、要求には根拠がない」として、オランダの国際司法裁判所に訴えていた。
 その結果、一二年二月、ドイツ政府は賠償を払わなくてもよいという判決を勝ち取った。ちなみに、この時の国際司法裁判所の裁判長は小和田恆氏であった。以上抜粋




カリフォルニア州の公聴会で、慰安婦像に日系住民反発 2013/07/13産経

 【ソウル=黒田勝弘】韓国の中央日報が12日、米国発で伝えたところによると、米カリフォルニア州グレンデール市で設置される予定の「慰安婦記念像」をめぐる公聴会で日系住民の反対意見が続出し、2013年7月9日の公聴会は大荒れとなったという。
 80歳をはるかに超えた老人からグレンデールで生まれ育った二世、引退した教授や有名建築家までが発言台に立って、日系住民たちは「慰安婦問題は歴史の担造だ」「市は日韓外交問題から手を引くべきだ」「慰安婦は売春婦」「きちんと真実を検証したという書類を提出しなさい。売春婦を記念する都市がどこにあるか」「売春婦は日本の将校よりも多くのお金を儲けた」「米国も韓国戦争で韓国の慰安婦を利用した」などと発言し、記念像設置に激しく反発したという。
 米国では近年、慰安婦問題を持ち出した在米韓国人による反日活動が活発だ。同市でも韓国系住民の呼びかけを受け市議会が慰安婦記念の「平和の少女像」の設置を決め、30日に公立図書館で除幕式が行われる予定という。
 これまで米国の地方自治体では日本非難決議や慰安婦記念碑設置はあるが、ソウルの日本大使館前に反日団体が設置したものと同じ慰安婦記念像が設置されるのは初めてだ。
 報道によると公聴会には約20人の韓国系を上回る約30人の日系住民が出席。日系住民の抗議は地元の日系新聞が「慰安婦像の撤去を要求しよう」と呼びかけた結果という。慰安婦問題で日系住民の反発が伝えられるのは極めて珍しい。以上抜粋




◇立ち上がった在米日本人達
                      [WiLL2013年9月号] 目良浩一

■公聴会に出席

 ロサンゼルスの北にある郊外都市、人口十九万人のグレンデール市で、米国連邦政府の下院が日本軍の従軍慰安婦″を非難する決議をした七月三十日を「慰安婦の日」とする議題が昨年、可決された。
 続いて今年の七月三十日に慰安婦の像を市の中央公園に建立する議案が掟出され、七月九日、その議決にあたって一般の市民が意見を述べる機会が設けられたという広報を見た友人からの連絡で、この議案に反対する日本人や以前から反対運動をしている有志などに声をかけて、市議会に出席した。
 グレンデール市における慰安婦像の建立の話は、かなり以前から伝わっていた。市は韓国系の民間団体から慰安婦像の寄贈を受けて、にわかに姉妹都市になつた韓国の二都市の記念事業として行うという計画になつていた。
 なお、ここに建立されようとしている慰安婦像は、韓国の首都ソウルの日本大使館に向かい合う公園に建てられている慰安婦像と同一のものであり、慰安婦の記念碑が建てられた米国のニュージャージー州のパリセーズパーク市とハッケンサック市には、この像は建てられていない。米国内では最初のソウルの像の複製で、韓国が米国に建てると宣言している二十以上の慰安婦像の第一弾である。
 七月三十日に像の除幕式が予定されていることは在米の日本人の間では広く知れ渡っていて、それが日本人に与えるであろう深刻な影響を懸念する人々はかなり早い時期から警戒をし、日本領事館に意見を求めたり、対策を考えてきていた。七月五日になつて、ようやく九日の特別市議会の開催が公示されると、直ちに、この特別市議会において正々堂々と反対意見を陳述することによって、この議案に対処することにした。
 この件に関しては、日本の「史実を世界に発信する会」や「なでしこアクション」からも、メールを通じて支援をいただいていた。南カリフォルニア在住の日本の進路に懸念を持っている人たちは、これは絶好の機会であるとして、この機会を利用して市会議員を説得し、この議案を葬り去ることを願って、多数が参加したのである。
 市民のための座席は百席ぐらいあったが、すべてが満席になり、一階のロビーでテレビを注視する一般市民も出てきた。二階の会議場は、ほとんどが早くから来場した日系人で埋まっていた。


■日本から反対メールが殺到

 市議会の開会が宣言され、この議案が掟出された。議長のウィーバー市長は「最近、多数の電子メールが来て、その数は三百五十にも達する。多くは日本からで、反対意見である」と状況を説明したあとに、一般市民からの陳述が始まった。
 意見の陳述ができるのは前もって申請していた人で、名前を呼ばれると市会議員の並んでいる前に出て陳述するのである。各人の持ち時間は陳述希望者の数によって決まり、今回は一人二分であった。
 合計三十六名の人が陳述し、日本系が二十九名、韓国系が七名であった。物怖じしたり、英語が下手だからと引っ込みがちな日本人がこのように多数発言したことは、注目すべきことである。
 韓国側は少数であったが、英語を第二言語とする人(アメリカ生まれの韓国人)が多く、場慣れしていて堂々と発言している姿から経験を積んだ人のように思われた。
 市議会での一般人からの発言は、市によっては居住者に限られているが、グレンデール市ではどこの住人でも発言の資格が与えられた。その意味では、民主主義の極限といえるかもしれない。しかし、発言はなんらの拘束力も持たないのである。
 多くのアメリカの地方自治体と同じように、市の行政は雇われた行政官、シティマネジャーに任され、彼には相当の収入が与えられる。市会議員は市の方針は決めるが、実施には直接に関与しない。
 そのために、市会議員の職は多分に名誉職で、以前は無給だった。最近では年に三万ドル(三百万円相当)の所得を得ているが、他業種の役職者と比較すると低所得である。その結果として、給与以外の収入を得ることを考えるようである。
 ロサンゼルスに長く居住し、以前、市の職員をしていたという日本人によると、市庁舎のなかでの話の多くが、常に不明朗な金にまつわる噂やそのことに関する話だったそうである。
 カリフォルニア州では近年、ベルという市が、法外な給与・年金などを特定の職員に支払っていたことが暴露されて醜聞が広く報道されたが、地方自治体の行政にはかなり問題がある。
 このプロジェクトの推進者の先頭に立つ市会議員フランク・キンテロ氏(ヴュネズエラ系アメリカ人)は昨年と今年の二回、韓国に招かれて、日本大使館の前の慰安婦像などを訪問したり、元慰安婦に会ったりしてきたと言われている。もう一人のローラ・フリードマン議員も、韓国を訪問したと言われているが、彼らの訪問が誰の費用によって行われたかは不明で、どのような密約がなされたかもわからない。


■日本側、韓国側の言い分

 日本側の発言は、大まかに分けて以下のようなものであった。
「通常に言われている従軍慰安婦の話は作られたもので、真実ではない。日本政府や日本軍は慰安婦の募集、採用に関与した事実はなく、韓国からの慰安婦は韓国の民間人によつて募集され、採用されたものである。
 米国の軍隊で一九四四年に作成された調査報告書には、明確に慰安婦とは売春婦に過ぎないと書いてある。彼女らは兵隊らの三十倍以上の収入を得ていた。性奴隷とは到底いえない」
「市議会議員、キンテロ氏に直接、質問したい。韓国への旅行はどこから旅費が出たかを明らかにすることを要請する」
「一九六五年に日本と韓国の問で締結された日韓基本条約を以って、それまでの両国の問の問題はすべて解決されたことになつている。その際に、日本は韓国に三億ドルの無償援助と四億ドルの借款を供与した。したがって、韓国政府が残った問題を解決すべき義務がある」
「市議会は、韓国側からは情報を集めたが、日本側からはほとんど情報を取っていない。このような偏った情報だけで判断することは、公平とは言えない。日本からの情報を十分に取って検討すべきである」
「この議案は、基本的人権の問題ではなく、外交問題である。したがって、地方自治体は外交問題から撤退し、連邦政府に任せるべきである」
 それに対して、韓国側の発言は以下のようなものだった。
「日本は、歴史認識をまげようとしている。過ちをしたことを率直に認めて、謝罪すべきである」
「韓国では、慰安婦について詳細な調査を行った。その結果として、多数の若い韓国の少女や女性が日本軍によって徴用され、虐待され、性奴隷にされたことは歴史的な事実である」
「そのような悲惨な仕打ちを受けた女性のために記念碑を立てることは、女性の人権を尊重して人類の幸福を推進するためのものであり、決して外交問題ではない」


■領事館から抗議ナシ

 一般市民の発言が終わると、市会議員が発言を始めた。時間は無制限である。最初に発言したのは、キンテロ氏で、彼は旅行費用の出所については言及しなかったが、彼自身の歴史観について時問をかけて披露した。
 まず、韓国側の歴史認識が正しいと言明して、日本では正しい歴史が教えられていないと宣言した挙げ句、日本人は正しい歴史を学ぶべきだとした。たとえば、日本ではフィリピンのバターン半島での死の行進や南京虐殺が正当に教えられていないと述べて、日本の教育を批判した。
 そして、「私は歴史に詳しい」として一九九三年の河野談話に言及し、「日本政府自身が、政府の関与を認めて謝罪している」。
 さらに、彼は二つのことを述べた。
「第一は、ロスの日本領事館にこの件について問い合わせたが、領事館からはまったく抗議の言葉はなかった。第二には、日本とメキシコにある姉妹都市にはすべて通知してあり、彼らの同意を得ている」
 これについては、のちに言及する。
 次に発言したのはフリードマン女史で、彼女は日韓の紛争を激化するのが目的ではなく、目的は悲惨な扱いを受けた少女たちの経験が再び繰り返されることがないように、人道的な立場から像を建てるのであると述べて、議案に賛成すると言明した。
 この市には、アルメニア系の市会議員が二人いる。彼らは大体において、市の人口の三四%を占めるアルメニア系市民によって選出されている。アルメニア人は、百年程前にトルコ人から大量虐殺を受けた経験があり、いまでもそれを根に持っている。非迫害民族としての彼らの立場を韓国民の感情に重ねて、強い同情心を抱いている模様である。彼ら二人は、議案に賛成すると声明した。
 残るは、市長のウィーバー氏である。彼は直接には歴史観を語らずに、まったく別の理由で反対する旨を述べた。第一には、当該市では韓国側からの情報には事欠かないが、日本側の情報については乏しいので、よりバランスの取れた検討をしてみる必要があること。第二には、予定されている公園は、近いうちに再開発計画によって土地利用の変更がありうるので、いずれ現在の予定地から移動させる必要性が出てくるという理由である。


■四対一で議案は採決

 投票の結果は四対一で、議案は採択された。
 この議決の経過を見て思うことは、戦後に東京で行われた極東国際軍事裁判と称するいわゆる「東京裁判」である。いかに正当な議論をしても、いかに相手の非を的確に捉えた批判をしても、裁判官はすべて戦勝国から出ているために、判決においては悲惨な敗北を喫することになる。
 今回は、裁判官は必ずしも敵国からではないが、公正な、民主主義的な手続きは踏むが、議案についてはすべて韓国側から市会議員への運動は完了していて、儀礼的に一般住民の発言が許されて議事が完了したということである。
 ここでは、勇気をもってウィーバー氏が「東京裁判」におけるパール判事の役をしたことに注目する必要がある。
 議決が終了したあと、韓国系の人々(いろいろな年代の韓国人をバスに乗せて会場まで連れてきていた)は大喜びで、(事前に勝利が約束されていたとしか思えない用意の良さであった)プラカードを掲げて記念写真を撮影し、それを韓国系のテレビ局が撮影して放映しているようであった。韓国H側は明らかに、グレンデールで成功をおさめ、次の都市を目標として動き出すであろう。


■歯がゆい日本政府の対応

 今回の反対運動を経験して痛感したのは、まず第一には、在ロサンゼルス日本総領事館の無関与である。市会議員キンテロ氏が発言したように、市は一応、日本総領事館に問い合わせているのである。しかし総領事館の対応は、「これは政治問題化してはいけないし、外交問題化してもいけない」というもので、他の何らかの方法で穏便に片付けようというものだった。
 総領事は市長に会いに行った模様であるが、何を提案したかについては、行動を起こした日本人の有志が尋ねても何らの回答も得ることはできなかった。逆に、穏便に、韓国側の感情を逆撫でしないように、と注意された。
 そして結果から判断すると、総領事が市長に会ったことは効果がなかった。しかも、隠密に解決しようという方針で明確な日本側の意見を表明しなかったため、キンテロ氏が表明したように「承認した」と受け取られたのである少なくとも、そのような表現を阻止することができないような対応であったのである。
 グレンデール市は、「これは姉妹都市関係の事業である」としている。市は、広島と東大阪の二つの都市が姉妹都市であると公示していたが、信頼できる筋からの情報では、この件については当の広島はそのような関係を持ったことはないと言明し、五月に正式に姉妹関係を否定する通知を出している。
 グレンデール市はこの案件について、日本の姉妹都市に連絡し、東大阪市はこの事業に反対する意思を外務省を通じて表明したが、何らかの理由で、その情報は総領事館か外務省で留め置かれ、グレンデール市には伝えられなかったということである。
 日本の姉妹都市からの批判が出るのを恐れての判断であったかどうかは不明だが、明らかに外務省が、このようなグレンデール市の行為を許すことに手を貸している。日本の国益を守るべき役所が、まったく逆の行為をしているのである。
 さらに慰安婦像の設立反対運動にとって障害になるのは、一九九三年八月に出された、当時の河野洋平官房長官の従軍慰安婦に関する談話である。
 この談話はしばしば国内で厳しく非難されているが、政府がまだ正式には修正をしていないために、日本を非難するために従軍慰安婦を持ち出す人々からは、この談話が日本政府の立場であると主張される。
 それに対し、それは誤りであり、その後の調査で政府は政府や軍の直接関与はなかったと内閣が決議をしたことを付言しても、なかなか説得をすることが困難である。
 河野談話は早急に訂正しなければならない。そうしなければ多勢に無勢で、反対派の日本人は常に敗北の憂き目に遭うということを、今回の公聴会で痛切に感じた。これは参加した日本人一人ひとりが実感したことである。
 次に必要なのは、一九九五年八月十五日の終戦五十周年記念に出された、当時の村山富市総理の声明である。このなかで総理は、「遠くない過去の一時期、国策を誤り」「多くの固H々、とりわけアジア諸」国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」ことを認めて謝罪したのである。韓国は当然、そのアジア諸国のなかに含まれていると解釈して、慰安婦問題もこのなかに含まれると考えているであろう。貧困やその他の事情から慰安婦になった人たちの苦悩に同情はするが、このような一般的な謝罪は、健全な外交には障害となるだけで何らの利益もない。この声明も訂正されなければならない。


■領事館の弱腰

 今回の経験は貴重であった。グレンデール市の決定に関して、数十人の日本人と日系人が集まり、そのなかの二十九人が反対声明をしたことは画期的であった。あのおとなしい日本人が発言台を前にして、明確に反対意見を述べたのである。日本からのメールでの応援も後押しになつたし、南カリフォルニア地区の日本人および日系人の意識の向上を反映しているのかもしれない。
 しかし、如何せん丸腰で戦場に駆り出された戦士のようであった。在外公館は、このような日本の名誉を守ろうとしている人々を単に中立的な立場から見ているだけではなく、むしろ軽蔑の念を持って見ていることが明らかになった。
 十一日付「なでしこアクション」の通信に載っていたが、在米の人からの質問に領事館側が次のように答えている。
抗議すれば韓国は益々怒って次の慰安婦像を作ることになるだろう。設置を止めることは不可能だった。水面下ではいろいろ手を尽くした。日本国の指示がないと動けない。現場でのスピーチは韓国の人のほうが説得力があった。売春婦という言葉が不快感を買った。韓国系の組織は大きいので力を持っている
 あたかも、韓国の領事が答えているかのような返事が返ってきた。
 日本政府は、この韓国からの外交攻勢に対してどのように対抗するかを明確にし、抵抗する必要がある。外交の基本問題として、国の方針を決めることが緊急の課題である。参議院選挙後の安倍政権の重要課題の一つであろう。以上抜粋

 ■産経:「賛同」は虚偽 東大阪市が米グレンデール市に抗議 姉妹都市解消も
 米カリフォルニア州グレンデール市が慰安婦を象徴する少女像を設置した問題で、グ市のホームページ(HP)に姉妹都市の大阪府東大阪市が設置に賛同したかのような虚偽の記述があるとして、東大阪市がグ市に抗議文を送っていたことが1日、分かった。(2013/08/02朝刊)
 東大阪市の野田義和市長は「一方的な行為で、はなはだ遺憾」とし、グ市が適切な対応を取らない場合は姉妹都市提携の解消も視野に検討する考えを示した。
 像は現地の韓国系団体が主導し、7月30日に設置。費用約3万ドル(約295万円)は韓国系団体が負担した。しかしグ市のHPには像設置の背景として、姉妹都市が碑や記念物の設置に興味を寄せていると表明した▽維持費は姉妹都市により賄われることを保証する−などと記述されていた。
 東大阪市の職員が7月中旬にHPの記述を見つけ、野田市長名の抗議文を25日付でグ市長宛てに郵送した。
 抗議文には「このような意見表明をした事実はない」と修正を求めるとともに「像設置は市民の心証をいたく害しており、誠に遺憾」としている。
 像設置をめぐり、東大阪市には同月31日までの約1カ月間で124件の抗議が電話などで寄せられた。東大阪市は旧枚岡(ひらおか)市時代の昭和35年にグ市と姉妹都市提携を締結した。
 ■産経:「残念」「丁寧に説明していく」佐々江駐米大使 2013/08/02
 駐米大使は31日の記者会見で、米ロサンゼルス近郊のグレンデール市で慰安婦を象徴する少女像が設置されたことに対し、「日本政府の立場と相いれず、残念なことだ。アジア女性基金などの措置について、(米国の地方議員や行政府に)丁寧に説明していきたい」と述べた。
 慰安婦像の設置がグレンデール市だけでなく、全米各地に広がる動きが出ていることについては、「韓国系住民の多い土地では、われわれの声が反映されないのは遺憾ながら事実」とした上で、「(米側も)聞く耳を持っているので、ワシントン大使館を中心に静かに説明する努力をしていきたい」と語った。



テキサス親父:慰安婦は売春婦!証拠はこれだ!
               http://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4 2013/07/22

 国立公文書館からの書類は、1944年に米国軍がビルマで慰安婦を捕まえて書いた間違いなく本物の報告書だった。
 彼女らは米軍の進撃に遭い、日本軍と共に逃れていたんだ。日本軍のすぐ後ろにこの慰安婦達はいたんだ。離れてしまい、そして迷っている所を捕まえられたんだ。その後に米軍に「事情聴衆」されたんだ。
 思い出してくれよ!1944年だぜ!戦争のまっただ中だぜ。
 戦中には日本軍も米軍も自軍に有利に働くことに関しては、プロパガンダに利用していたんだ。米軍がこの日本軍の慰安所で働いた「慰安婦」「売春婦」を捕まえたわけだから、米軍はこう言えたはずだよな「彼女らは売春を強要されていたんだ!」「日本人はどれだけ酷い奴らか分かるだろ!」。でもそうじゃないんだ。そう言えなかったんだ。それが「嘘」になるからな。
 この報告書で米軍は事実を報告し、これらの女性達は「志願して雇用された」訳で、日本軍が力尽くで朝鮮半島から20万人の女性を連れてきたわけじゃ無いっていっているんだ(もし慰安婦が20万人もいたのなら、彼女らは「雇用」され対価として「高額を支給され」ていたんだ)。
 この書類の興味深いところだが、この報告書にはこれらの女性達は「日本人の基準に照らしても白人の基準に照らしても綺麗じゃない」って書いてあるんだ。「綺麗じゃなかった」ってんだ。言い換えれば米軍が言っているのは、これらの女性達は「ブサイク」だって言っているんだぜ。
 この報告書は更にこう続いているんだ。
 女性達は大金を持って楽しんで、洋服や化粧品や他にも自分たちの為の物を買うことができて、街に出かけていたんだぜ。「性奴隷」がそんなことできるか?「性奴隷」がそんな大金を稼げるか?借金を返したら家にだって帰っていたんだぜ。「性奴隷」がそんな事できるか?慰安婦の中にはこんな不平を言っている者も居たんだぜ。日本の兵士との時間が足りなくて、すべての兵士達を迎え入れることができず、「来てくれる兵士達みんなに奉仕できなくて残念だ」って言ってるんだぜ!「性奴隷」がそんな考えをするか?
 報告書は更にこう続いているんだ。
 慰安婦達は日本軍の兵士達とスポーツをしたり、ピクニックに行ったり娯楽や宴会をしたり、「性奴隷」がそんなことするのかよ?1944年の米軍の報告書によれば、彼女らは雇用されてたんだ。
 朝鮮人達は現在ここ合衆国を慰安婦に捧げる慰安婦碑や慰安婦像なんかで汚染しているんだ。「日本軍に強制されて性奴隷にされた」って主張してな。お前らは『嘘吐き』だ!そんなことは起きていない。俺はお前らを『嘘吐き』って呼ぶぜ!大東亜戦争中の米軍よりもな。当然これを戦争のプロパガンダに使えたであろう米軍よりもな。しかし彼女らはこの「慰安婦は雇用された」と真実を語っているんだ。
 記念碑だかを感染させてるニューヨーク州ロングアイランドのナッソー郡に、ニュージャージー州にデトロイトの馬鹿者達へ、お前らは「慰安婦香具師」に取り込まれているんだぜ。それに最近、南朝鮮のソウルにある日本大使館前に建てた慰安婦像と同じ物を建てることを可決したカリフォルニア州グランデール市の市議会議員の間抜け野郎ども!





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