やっぱりオタクはキモい
- 2013/08/09 21:49
- Category: ちょっと長めの文
「ボカロを否定された」
「アニメを観ているなんてキモいと言われた」
「オタク趣味をキモいと言われた」
最近ネットでよく見かける言葉だ。
それに対して、今の多くのオタク達は
「ボカロを否定するなんてありえない!」
「アニメオタクをキモいという人は視野が狭い!」
「オタクはキモくない!」
と主張し続ける。
しかし、残念ながらオタクはキモい。否定されて当然の存在なのだ。
広辞苑でのオタクの意味には「社会的な常識には欠ける人」という言葉が入っている。
常識に欠ける人を受け入れるほど社会の器は大きくないし、そういう人を排除することで社会の規律は守られてきた。
それは人間の防衛本能とでも言うべきだろうか。
異質なモノは排除する。自分に少しでも危害を及ぼしそうな存在は徹底的に嫌う。
やはり、オタクなんてオタクじゃない人から見ればキモがられて当然だし、否定されて当然なわけだ。
もちろん、理解なんてされるわけが無い。
少し前までは、オタクになるには超えないといけないハードルがあった。
それが「世間の目」。
『世間からは否定され続ける。キモがられる。でも、好きで好きで仕方ないから追いかける。』
『周りから何と思われようと、好きなものは好きだから徹底的に研究し、勉強し、楽しむ』
その姿こそがオタクの本来のあるべき姿だと思う。
本来「オタク趣味」と「世間の目」を天秤にかけ、「オタク趣味の方が大切だ」と思えた人のみがオタクになれた。
しかし、最近の風潮として
「自分の立場(オタクであること)を認めろ」と声を上げる。
「趣味なんて人それぞれなのに、否定する権利なんて誰にも無い」と声を上げる。
つまり
自分自身の「個性(だと本人は思っている)」をアピールするために「オタク」は使われている。
自分自身の「仲間」を作るためのツールに「オタク」は使われている。
(一般人という共通の敵を作ることによって「仲間意識」はより強度が増す)
オタクには、キモがられるのを許容できる「ガチ層」と本物のオタクじゃない「にわか層」しか存在しない。
「やっぱりオタクはキモい」と言っても全く問題にはならない。
「アニメを観ているなんてキモいと言われた」
「オタク趣味をキモいと言われた」
最近ネットでよく見かける言葉だ。
それに対して、今の多くのオタク達は
「ボカロを否定するなんてありえない!」
「アニメオタクをキモいという人は視野が狭い!」
「オタクはキモくない!」
と主張し続ける。
しかし、残念ながらオタクはキモい。否定されて当然の存在なのだ。
広辞苑でのオタクの意味には「社会的な常識には欠ける人」という言葉が入っている。
常識に欠ける人を受け入れるほど社会の器は大きくないし、そういう人を排除することで社会の規律は守られてきた。
それは人間の防衛本能とでも言うべきだろうか。
異質なモノは排除する。自分に少しでも危害を及ぼしそうな存在は徹底的に嫌う。
やはり、オタクなんてオタクじゃない人から見ればキモがられて当然だし、否定されて当然なわけだ。
もちろん、理解なんてされるわけが無い。
少し前までは、オタクになるには超えないといけないハードルがあった。
それが「世間の目」。
『世間からは否定され続ける。キモがられる。でも、好きで好きで仕方ないから追いかける。』
『周りから何と思われようと、好きなものは好きだから徹底的に研究し、勉強し、楽しむ』
その姿こそがオタクの本来のあるべき姿だと思う。
本来「オタク趣味」と「世間の目」を天秤にかけ、「オタク趣味の方が大切だ」と思えた人のみがオタクになれた。
しかし、最近の風潮として
「自分の立場(オタクであること)を認めろ」と声を上げる。
「趣味なんて人それぞれなのに、否定する権利なんて誰にも無い」と声を上げる。
つまり
自分自身の「個性(だと本人は思っている)」をアピールするために「オタク」は使われている。
自分自身の「仲間」を作るためのツールに「オタク」は使われている。
(一般人という共通の敵を作ることによって「仲間意識」はより強度が増す)
オタクには、キモがられるのを許容できる「ガチ層」と本物のオタクじゃない「にわか層」しか存在しない。
「やっぱりオタクはキモい」と言っても全く問題にはならない。
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