女性の定義、男性の定義
JR東への「質問状」でも言及したが、「女性専用車両」が本当に「女性専用」なら、「女性専用車両に乗車できる女性の定義」が不可欠である。「何言ってるの? 女性は女性じゃない? 見ればわかるじゃない?」と言う人は、現実を全くわかっていない。「見た目で判断する」なんてのは、愚の骨頂である(注:ところが、聞くところに寄れば、JR東は、その「愚の骨頂」である「見た目で判断」しているようである)。
JR東が言うには、「通勤電車の女性専用車両には男性も乗れる」とのことだから、別に、「女性専用車両に乗車できる女性の定義」は必要ない。しかし、「夜行列車の女性専用車両には男性は乗れない」そうだから、「女性専用車両に乗車できる女性の定義」は絶対に必要である。でなければ、「乗れる、乗れない」という最も重要な運送条件に対して、キチンとした基準がない、ということになってしまう。
では、JR東が実際行っている「見た目による判断」がなぜ、いけないのか? それは、「見た目」では、「本当に女性かどうか、本当に男性かどうか」がわからないからである。性同一性障害の人、あるいは、女装の男性又は男装の女性は「見た目」では(性別が)わからないだろうし、「女性愛者の女性又は男性愛者の男性は、女性専用車両とそれ以外の車両、どちらに乗るべきなのか」という話にもなる。
ところで、「一番キチンとした基準」となれば、「戸籍上、女性の人」が、「女性専用車両に乗車できる女性」ということになるだろう。法律上も、契約上も、これが一番説得力がある。しかし、電車に乗るのにイチイチ戸籍を調べる、というのは非現実的である。と言うか、そんなことをすれば「プライバシーの侵害」と言われ兼ねない、と言うか、確実に言われるだろう。
また、近年の動向からすれば、道義的な配慮も必要だろう。すなわち、性同一性障害の人に対する配慮である。ところが、現状では、同じ「性同一性障害の人」」でありながら、「見た目」が女性の人(たとえば、はるな愛さん、椿姫彩菜さん、佐藤かよさん)は「女性専用車両」に乗車できるが、「見た目」が男性の人(たとえば、楽しんごさん、クリス松村さん)は「女性専用車両」に乗車できない、という矛盾が生じる。しかし、「心」の問題を「見た目で判断」しようとする限り、この「矛盾」を払拭できるわけがない。
さらに、女装の男性又は男装の女性、女性愛者の女性又は男性愛者の男性などをどうやって識別するのか? と言うか、識別すること自体に問題はないのか? 趣味や嗜好をアレコレ言う資格が、赤の他人にあるのか?
まあ、結論を言えば、そもそも、一企業に過ぎないJR東には、「性別識別権限」も、「趣味や嗜好をアレコレ言う資格」も、あるわけがないのである。だから、「戸籍上、女性の人」と定義したところで、あるいは、「心」の問題を加味したところで、JR東(の駅員)が、「この人は乗れます。この人は乗れません」などと言えるわけがないのである。まして、「この人は(見た目が女性に見えるから)乗れます。この人は(見た目が男性に見えるから)乗れません」などというのは、「愚の骨頂」、「笑止千万」なのである。
「性別識別権限」や「趣味や嗜好をアレコレ言う資格」がないのであれば、JR東が、幾ら、「夜行列車の女性専用車両には男性は乗れない」と言ったところで、それは「絵に書いた餅」に過ぎない。利用者は、イチイチ「戸籍上、女性である」と証明する必要はないし、「心が女性である」と公言する必要もないし、「女装趣味」を咎められるイワレはないし、「男性愛者である」と告白する必要もない。もし、JR東が「性別識別権限がある」、「趣味や嗜好をアレコレ言う資格がある」と主張し、この領域に踏み込めばどうなるか、識者やマスコミから「プライバシーの侵害」を指摘されること必定だろう。
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