慰安所:朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどでつづる
毎日新聞 2013年08月07日 07時00分(最終更新 08月07日 15時56分)
また、日記には「航空隊所属の慰安所2カ所が兵站(へいたん)管理に委譲された」(43年7月19日)、「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという」(同29日)などと、慰安所や慰安婦と軍の関係が記されている。
一方、「鉄道部隊で映画(上映)があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた」(43年8月13日)、「慰安婦に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った」(44年10月27日)など、日常生活の一端がうかがえる内容もあった。
◇従軍慰安婦問題
第二次大戦中に日本が支配した植民地や占領地などから女性が慰安所に集められ、日本の将兵から性的被害を受けたとされる問題。1990年に韓国の女性団体が日韓両国に真相解明や謝罪、補償を求めたのをきっかけに社会問題化した。日本政府は93年8月、慰安所設置や慰安婦移送に旧日本軍が直接、間接に関与したことを認め、「軍の関与の下に女性の名誉と尊厳を傷つけた」と謝罪する「河野談話」を発表した。ただ、女性の連行段階での軍の関わりについては、第1次安倍内閣当時の07年、「政府が発見した資料には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」という答弁書が閣議決定された。