JR西日本では4月18日から、それまで曜日・時間帯が限定されていた女性専用車両が全日・終日化された。
私が通勤に利用している阪和線でいえば、これまでは平日は午前9時以降や土日は専用車両でなくなっていたのが、365日とも終日、男性である私は、女性専用車両と指定された車両に乗れなくなったのである。
これまでも、一般の車両は混み合っているのに、女性専用車両では空席が目立ったり、そこでバッグ等を隣に置いて化粧にいそしんでいる女性を見たりすると、とても不愉快な気分になった。
また、間違って乗ってしまったときに、まるで男性であることが悪いことであるかのようにジロジロ見られるときの、あのバツの悪さ、不愉快さは言葉で表現しがたい。
私の、この不愉快さは、法的保護に値しないのであろうか。
例えば、女性は補助的労働しかできないと言って差別することと、本質的に同じではないか。
憲法14条1項は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定めている。男性であるという理由のみで、公共交通機関の利用が一部制約されることが、「性別による差別」に当たることは明らかである。
あくまで「任意」の「ご協力」だから問題ない、というのが建前かもしれない。
しかし、そのような「協力」を、公共交通機関の運営者が積極的に奨励するのは、やはり憲法違反(公序良俗違反)の問題がある。例えば、「外国人の皆さんは犯罪を犯す可能性があるので、この施設への立ち入りはご遠慮ください」とアナウンスしたり、看板に「日本人専用施設」とすることが問題ないかを考えてみればわかる。
もっとも、憲法学上、差別であっても合理的根拠がある場合は許されるとされている。
では、女性専用車両なるものを設ける理由は何だろうか。それは混雑する車両での痴漢行為から被害女性を守るためであり、それ以外にはないというのが私の認識である(間違っていれば教えてほしい。)。
確かに、満員電車の中で痴漢被害が発生しやすいことは事実であり、そのために女性専用車両を設けることが「有効」であることは否定しない。
しかし、①本来痴漢行為は立派な犯罪であり、その防止は、基本的には、駅当局・警察による取締りや、乗客に対する教育・啓発によるべきものであり(それらは今も行われている。)、およそすべての男性を、特定の車両に乗せないことは、手段として「やり過ぎ」である(上記の例でいえば、外国人犯罪が増えているとして、外国人全部を特定の施設に入れないというのと同じである。)。
②また、この制度は、男性という性が、女性という性に対して一般的に加害的・侵害的であるという前提に立っており、その意味で「人間不信の制度」である。
しかし、およそすべての男性に痴漢の危険性があるわけではないし、およそすべての女性が痴漢に会う危険性があるわけでもない。
また、痴漢被害は、厳密に言えば加害者が男性、被害者が女性というパターンばかりとは限らない。例えば少年に対して成人男性が痴漢をするようなケースも、少ないが存在するのである。
さらに、一見すると男性か女性かわからない人もいるし(それはその人の個性だろう。)、いわゆる性同一性障害の人もいる。そのような人たちにも外形による振り分けを強制することになるのである。
お母さんと男子中学生、老年のご夫婦などは、別々の車両に乗るか、お母さんや奥さんが普通車両に乗らざるをえないことになるのも、説明がつかない。
③男女平等の見地からは、女性専用車両を作る以上、同数の男性専用車両も作るべきである。なぜなら、女性はどの車両にも乗れるのに対し、男性は女性専用車両には乗れないから、男性乗客は一般的に女性乗客よりも混み合った車両に乗ることを強制されることになるからである。
もっとも、男性客が女性客よりもかなり多いのであれば、女性専用車両を設けても男性が不利になるわけではないが、そのような統計は聞かないし、少なくとも大阪では、乗客数に男女差がさほどあるとは思えない。
男性だけがそのような混雑率の差異を受忍すべき根拠はないし、他方で、男性専用車両を作ることが不合理とはいえない。
男性の中にも、男性専用車両なんてイヤだという人もいるかもしれないが、痴漢に疑われたくないとか、女性の香水のにおいがイヤだとか、空いているならそちらの方がいいという人もいるだろう。いろんな考えや選択の人がいるのは、男性でも同じなのである。
男性専用車両を作ると、女性は男性専用車両に乗ってはならないという不便を余儀なくされるが、それは現在男性が既に受けている、女性専用車両に乗れない不便と同じであって、「お互い様」なのである。
④さらに、この制度は、男女の相互理解や「共生」の理念に反し、男性と女性の間の表面的・皮相的な対立と憎悪を助長し(「男なんてみんな同じ」とか「女はわがままだ」など)、本当の男女平等の浸透につながらないと思う。
子どもたちへの教育という点からもよくない。男の子は、13歳になると、「自分は女性にとって「危険」と見なされているから、女性専用車両に乗ってはいけない」と自分で納得しないといけないのである。人間社会には男性と女性しかいないのだから、本来「共生」が基本であって、「隔離」や「排除」が基本であってよいはずがない。
このように考えてくると、仮に女性専用車両を設けるとしても、それは必要最小限度にとどめられるべきであり、具体的には、乗客の男女比率や、痴漢被害の動向などを統計的に分析したうえで、痴漢被害の防止に必要最小限と認められる程度の混雑がある路線と時間帯に、限定されるべきである。そして、その場合も、同数の男性専用車両を設けるべきだというのが、私の意見である。
ただし、「女性」に限定するのではなく、「女性・高齢者・障がい者」の専用車両にすれば、社会的共感が得られやすいと思う。
いずれにせよ、今回JR西日本が、混雑もしていない路線・時間帯・曜日まで常時女性専用車両を作るというのは、明らかに間違っている。
女性差別や障害者差別もそうだが、差別というのは、それを受けている人が声をあげないと、なかなか改善されない。
だから、不愉快に感じる男性は、「男らしく」黙って耐えるのではなく、声をあげるべきである。
それを受けて、女性専用車両を疑問に感じている女性も声を出してほしいと思う。心ある女性であれば、女性だけがゆったりと座れることに、多少とも後ろめたさを感じているのではないか。そのわずかな後ろめたさに目をつぶることが、差別を温存するのではないかと思うのである。
また、「あくまで「任意」の「協力」のはずだから従わない」として、強引に乗り込む男性もいるかもしれない。
そこまでしなくても、という人も多いと思うが、もともと強制ではない以上、少数者の主張や行動を尊重するのが民主主義である。そういう人は痴漢などしないはずだ。白眼視するのではなく、柔軟に受け入れる社会こそが、望ましいのではないか。
「女性専用車両は憲法違反だ」という訴訟でも起これば、面白いかもしれない。
しかし、今の裁判所では、「あくまで任意のもので、従うことは義務ではないから、問題はない」と判断する可能性が高いと思われる。
そんな点だけは「ものわかりがいい」のが、現在の裁判所である。
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