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〈夢をつなぐボール3〉 楽しんで快進撃再び

2006年07月07日

 大型バスの車内テレビにビデオ映像が流れていた。

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練習は厳しく、練習後は楽しく。「一緒に甲子園を目指そうな」と話す中村監督(右)と鈴木主将=さいたま市浦和区の市立浦和高校グラウンドで

 6月上旬、市立浦和の野球部は、千葉県の高校へ練習試合に向かっていた。映し出されていたのは、18年前の先輩たちの快進撃だった。

 「おー」「すげえ」。最初は、おどけるようにテレビを見始めた。

 が、次第に、その表情が変わっていく。甲子園のグラウンドで躍動する選手。必死にボールを追う「同世代」の先輩の表情、そして笑顔。選手たちは、食い入るように画面を見つめる。

 25分のビデオの最後は、全員で勝利の校歌を歌っていた。

 ビデオは、野球部で2〜3年に一度上映されるのが恒例だ。しかし、監督の中村三四(54)にとって、今年は特別な思いがあった。

 今のチームの主力となっている3年生が、快進撃の年に生まれたからだ。主将の鈴木翔矢(17)は、映像を目に焼き付けて誓った。「チームにとって記念すべき年に生まれた僕たちが、また奇跡を起こす」

 異色の初出場チームだった。88年夏の埼玉代表、浦和市立(現さいたま市立浦和)。平均身長171センチ、地方大会のチーム打率2割5分4厘は、ともに甲子園出場49校中、最低だった。

 そんなチームが常連校、強豪を次々破る。佐賀商(佐賀)、常総学院(茨城)、宇都宮学園(栃木)などに勝ち、4強入りを果たした。

 埼玉大会もノーシード。下馬評が高かったわけではない。中村は振り返る。「試合が始まれば、自分にできるのは選手が硬くならないように声をかけてやることぐらい」

 主将だった●手(そうて)克尚(36)は、準々決勝の宇部商(山口)戦の前夜、宿舎で中村から、「野球はお祭り。のびのびと楽しもう」と声をかけられたのを覚えている。

 中村は言葉通り、3―3で迎えた延長11回表、1死満塁の好機にも、重圧のかかるスクイズのサインを出さなかった。結果、4番打者に走者一掃の右中間三塁打が出て、決勝点を挙げる。

 試合中、笑顔が絶えなかった浦和市立の野球は「ニコニコ野球」とも「さわやか野球」とも言われた。

 ●手は今、草加南で野球部監督を務める。いつか公式戦で中村に挑戦したいと思っている。

 甲子園4強の翌年、チームの雰囲気にあこがれて入学した選手のうち、3人が県内で野球部監督になった。狭山清陵の鈴木諭(32)、新座の五十嵐祐幸(32)、川口の茂木孝仁(32)だ。

 鈴木は、2年生の新チームで迎えた初冬のある日、中村から「スケートに行け」と言われる。野球に役立つか分からなかったが、全員でアイススケート場に足を運んだ。

 滑れる選手、滑れない選手がいる中で、上手な選手が率先して仲間に教えるようになった。鈴木は「先生が教えたかったのは仲間同士の協力だったのかと、今になってみると気づく」と話した。

 中村は、今も同校で指揮を執る。練習にサッカーを取り入れるなど、独自の指導も続ける。チームの投打の柱、横山悟士(18)は「練習を飽きさせないためだと思うが、楽しい雰囲気にさせてくれる監督です」。

 快進撃から18年。甲子園で勝つごとに、中村は、選手が精神的に成長していくのを実感した。

 もし、巡り合わせというものがあるなら、と思う。「その88年に生まれた子どもたちの力で、もう一度甲子園に行きたいんですよ」。=敬称略(●はくさかんむりに隻)

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