長崎原爆遺跡:惨禍伝える学舎の門柱 旧長崎医大

毎日新聞 2013年08月08日 07時10分(最終更新 08月08日 07時33分)

旧城山国民学校の被爆校舎=長崎市城山町で2012年8月2日午前11時54分、下原知広撮影
旧城山国民学校の被爆校舎=長崎市城山町で2012年8月2日午前11時54分、下原知広撮影

 68回目の長崎原爆の日(9日)を前に、長崎原爆で被爆した旧城山国民学校校舎など長崎市内の「原爆遺跡」4件が国の文化財・登録記念物に登録された。長崎原爆の遺構が登録されたのは初めて。関係者は被爆の歴史を伝え、記憶をたどるきっかけにもなる遺構に改めて向き合い、核兵器廃絶への思いを新たにしている。

 長崎大医学部(長崎市坂本1)のキャンパスにある旧長崎医大の門柱も登録記念物の一つだ。爆心の東約700メートル。1.2メートル四方、高さ1.8メートルの立派な石柱だが、爆風で傾き、台座から最大16センチの隙間(すきま)ができた。原爆の威力を示す遺構として注目されてきた。

 文化財指定を歓迎するのは元長崎大教授、市丸道人さん(88)。長崎医大1年の時に原爆に遭い、戦後は被爆者医療の研究に長年携わった。“被爆門柱”を見ると、その前を往復した日々を思い起こすという。

 原爆で大学は全壊・全焼し、教職員、学生ら約900人が死亡した。市丸さんは路面電車の事故で大学に行けずに無事だった。翌10日から遺族らとの連絡役で向かった市内の救護所で目にしたのは、外傷もない人が次々と息絶え、何が起きているのか戸惑う先輩医師たちだった。

 当時、放射線障害の知識は乏しく「今思うと、言葉は悪いが、治療は気休めのようなものだった」。焼け野原の中、市丸さんたちが火葬した犠牲者には級友もいた。被爆者に多発した白血病治療を研究する道を選んだのは「友人の分まで頑張ろうという思いもあった」と語る。

 冷戦下、核戦争防止などを目指し、東西両陣営の医師が1980年に結成した「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW、1985年にノーベル平和賞受賞)に参加。反原爆の訴えを被爆地・長崎から届けた。各地での講演では「核が使用されれば病院は何も機能しない。原爆は“人類絶滅装置”だ」と繰り返し、核兵器廃絶を訴え続けた。

 研究を退いた今も、核兵器の動向に気を払う。廃絶への道は遠いと感じるが「核兵器がある限り、68年前の長崎の地獄を繰り返す可能性はある。ゼロにすることを次の世代に託したい」。

 あの頃、級友たちと何気なく通り過ぎていた門柱。市丸さんは「医学部や仲間が受けた被害の象徴として、大事に受け継いでほしい」と話す。9日は医学部である慰霊祭に出席する予定だ。【小畑英介】

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